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Hatoba 雑記

新しく曲を作った。
『Hatoba』という。

最近は繰り返しという言葉について考えている。
というよりは、螺旋という概念。
朝起きて夜に眠る、気分が上がる落ちる、人が出会い別れる、空が晴れる曇る、花が咲いて散る、太陽が昇る月が昇る、波が寄せて返す。

すべてのものごとはどこかで繋がっていて、この世界はゆっくりと回るゆりかごのような……。

ここまで書いて、これは雑記としてではなく詩として書くべきだと思った。

さて、作っている最中、音楽の制作に環境音を使うというのはある種の飛び道具ではないのだろうかとふと考えた。
環境音は強い。それだけで空間がどれくらいの広さで、明るさで、色で、においで、時刻であるのかが感じ取れてしまう。
それひとつでどこにもとりついていないはずの私の音楽が見ず知らずの物語を手に入れ、かりそめの質量を手に入れたような気さえする。
聴いた人たちがかりそめの質量にみずからを入れられたのなら、それはそれでよいのかもしれないけれど。

発端は映画のサントラであった。ふと、もしこの音楽に音楽単体で出会っていたら私はこの音色に惹かれたのだろうかと考えた。
答えなどわかることはない。けれど、音楽が音楽そのもので自立せず、他にもたれていることは確かだ。言い換えて、支え合っているとも。

だからといって楽器のみを使用するのが本当の音楽だというのはいささか考えが古すぎる。結論というか、私の主張としては音楽そのものがよければいいのだから、使える者は使いなさいというもの。

しかし、私はこの圧倒的なかりそめの質量に甘えているのではないだろうかと疑わしくもなる。

それはそれでよいのだ。矛盾を愛し受け入れることだ。
途方もない螺旋が、今は美しい。

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