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花のよう

朝の街は死んでいるようだと思う。
白く照らされて、静かで、規則的に家々が並んでいて、空の広いあの感じは、どこか墓地に似ている。
それが綺麗だと思う。

昨日、友人に告白をした。
一年前の冬にも告白をした人で、そのときはお断りの返事をいただいた。
そこからあれこれ考えて、やはりまだ彼女が愛らしく思えるのでまだあなたが好きだとだけ伝えた。
結果はやはりお断りであった。それでも友人でいるぶんにはよいというので、変わらず友人として付き合っていくことになった。
それはそれですわりのよい関係である。付き合ってなにするのというお決まりの禅問答によって別に付き合っても今と変わらんな……とも思う。
これはこれでよいのだ。

彼女の写真を一枚ももっていないので、せっかくだから撮ろうと言ってみた。
写真嫌いの彼女がなぜか珍しく了承してくれた。
帰ってから写真をみるとぶれているしローアングルだしであまりよい写真ではなかった。
それはそれでよかった。

断るとき、彼女がすごく申し訳なさそうな顔をしていた。胸が苦しくなって「気にしないで、そんな顔をしないで」と言った。
彼女に可愛い、すごく可愛いというと照れていた。胸が躍った。
こういう心臓を掴まれているかのような感覚はなにゆえなのだろうか。不思議なのでここに書く。

彼女と自転車で映画館まで行った。
私の知らない道であったので彼女が先導したのだが、そのときのことが鮮明に記憶された。
マフラーの肌触り、夕景、鉄塔、錆びたチェーンの音、涼しい風、ひこうき雲、そういうことを憶えている。

今朝からは学校の用事で激務である。
あまり寝てもいないけれど、なぜだかすこぶるに元気だ。
森見登美彦の小説に「ロマンチックエンジン」という言葉が出てきたことを思い出した。堕落した大学生である主人公が、彼女のことにおいてはやけに活動的であった。
わかるなあと思う。

愛だの恋だのを考えている自分が皮肉としても幸せ者だと思う。
就活とか、いろいろあるというのに。

けれどそれはそれで頑張ればいいんじゃん?と楽観的な自分もいる。アンビバレントである。反復横跳びである。

彼女とは『すずめの戸締まり』を観た。
私は既に小説版を読んでいたので、彼女と感想を話すときは小説版との比較を主軸とした。
映画版はテンポが早いなあと感じた。彼女もそう感じたといっていた。
けれどたいへんによかった。

そういえば昨日の帰り道、彼女とわかれた場所がちょうど踏切の前であった。

ひととおり私の心もちを話して、それに彼女が応えて、少しの沈黙があって、踏切が鳴って、「この踏切が上がったらいくよ」と言った。
やけにドラマチックだったなあと今思い返す。
ついでに書いておく。

どうせほとんどの人は見ていないし、意外と恥ずかしいと思っていた文章が友人によいと言われたりする。恋愛のことはあまり書くまいとしていたが、ええいままよのノリで全部書いてしまった。
それはそれでよいのかもしれない。


彼女は花のようだと思う。そういうものが似つかわしい。

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