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04. 1周年記念!!(病気が)

病気で倒れて1年が経ちました。
倒れた時の状況や、その後どういう治療をしてきたのか振り返ってみます。
治療中の写真なども掲載したので傷や血を見るのが苦手な方は注意してください。

倒れたのはスイスで働いていて、1年ほど経った7/23頃でした  (あいまい)。
2, 3週間ほど前から38~39℃の熱がでており、自宅療養していました。
コロナだと思って家で寝ていたのですが、当日は40℃を超え、全身がかゆくなってきました。お風呂で冷やしたり、温めたりしたらかゆみは落ち着いて、ソファでグッタリしていたところで私の記憶は途切れ、気づいたら病院のICUにいました。
グッタリしたところで奥さんがホームドクターを呼んでくれ、すぐに救急車で搬送されたそうです。搬送される際に、全身にアザが浮かび上がってきており、奥さん的には死んだと思ったらしいです。

目が覚めた時には体がほとんど動かせず、なにが起きているのかさっぱりわかりませんでした。自分がなにかしらの疾患があること、ここが病院であるということは辛うじて分かりました。
ドクターやナースと話して、どうやら最初は何らかの感染症が疑われており、隔離状態になっていることがわかりました。
当時のラインを見ると2日後ぐらいにはごはんも食べて、ドクターと英語でコミュニケーションできていたらしいです。

あとでドクターに受けた説明ではめちゃくちゃ危険な状態だったそうです。
会話であんなにdangerous, in dangerって聞いたのは始めてです。

アザは時間が経つと潰瘍のようになってきて全身やけどのような状態になっていました。
下に1週間経った段階での写真を載せましたが、苦手な人は見ないほうがいいと思います。ちなみに下半身はもっとひどくて、1年経ったいまも毎日、包帯巻いています。

入院後1週間、ピースする私。ちなみに変顔もしてます。

この頃にはどうやら感染症ではなく、血液系のがん (悪性リンパ腫) であることが分かってきました。最も代表的な化学療法であるR-CHOPを行ったところ、膵臓や骨髄に転移していた腫瘍は無くなりました。
しかし、同時に大量の腫瘍が崩壊したことにより、老廃物が大量に放出され、腎臓の機能が損なわれてしまいました (慢性腎不全)。
たしか、当時のクレアチニン値は8 mg/dLとかだったと思うので、マジでなにも機能してなかったと思います (いまは1.1ぐらい)。
悪性リンパ腫、全身の潰瘍、腎不全の三重苦です。
また、足の潰瘍の痛みが凄まじく、人生ではじめて痛みで気絶しました。

全身のアザの原因は結局わかりませんでしたが、血小板が少なかったので、内出血したところが血が止まらずアザになったんじゃないかということでした。

病院の屋上でおにぎりを食べる私
スイスの病院食

8月中頃には、足の痛みも治まってきて車いすで院内を移動したりできるようになりました。
また、副作用で髪が抜け始めて、面倒なので断髪式をしました。
人生初の坊主!(いまはもっとツルツルです)
意外と似合ったのでヨシッ!

断髪式の後

化学療法のサイクルは3週間、最後の数日は免疫もある程度回復しており、その数日を利用して日本に帰ることになりました。
日本に帰国後はすぐに今の病院を受診し、翌日から入院しました。
R-CHOPを継続するのかと思っていたのですが、DA (dose adjasted)-EPOCH-Rという化学療法が始まりました。
白血球などの減少をみながら、抗がん剤の投与量を増減する治療法です。
私のがんは正確にいうとCD5陽性DLBCL (Diffuse Large B Cell Lymphoma: びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)という診断名で、B細胞?の表面にCD5という糖タンパクが発現しているのが特徴ということでした。
CD5陽性の場合はR-CHOPではなくEPOCHの方が治療効果が高いということでEPOCHをやるとのことでした。
こちらも3週間サイクルで、最後の3、4日ほどは短期退院になります。
この短期退院を利用して、友人とサッカー観戦に行ったりしていました (ホントは人混みにいくのも遠くに行くのもダメです)。
いまでは絶対にゴール裏いけないので、この時行っておいて本当によかったです。付いてきてくれた友人に感謝。

2022/9/18 横浜F・マリノス vs. 北海道コンサドーレ札幌

EPOCHは全部で8サイクル、プラスでHD(High Dose)-MTX (メソトレキサート)という化学療法を2サイクル行いました。メソトレキサートは頭蓋内への移行のよい抗がん剤で、大量投与によって、血液脳関門を突破し、頭蓋内での再発防止になるそうです。
DA-EPOCH-R/HD-MTXをやっている時は、とにかく何も考えないようにしていました。
副作用も吐き気などはそこまででもなく、しゃっくりだけが毎回の問題でした (永遠に続くしゃっくりは想像以上に地獄)。
終わりも見えてきた2月ごろには頭の帯状疱疹にかかり、すっさまじい頭痛に悩まされました。医療用麻薬がなかったら発狂していたと思います。
フェントステープ最高!!
この時は内服薬がめちゃ多く、一日50錠は飲んでいたと思います。

朝のお薬 (昼も夜もべつにあるよ)

3月でDA-EPOCH-R/HD-MTX、計10サイクルの化学療法を終え、お家に帰ることができました。
しかし、3週間ぐらいすると、なにもないところで左側に倒れてしまう、左手で持っていたお椀をこぼしてしまう、というようなことが起こりはじめました。
4月末ごろに病院を受診し、腰椎穿刺やMRIを行いました。
脳圧がかなり高くなっており、MRIでも脳に複数の腫瘍が確認できました。

すぐに入院になったのですが、この頃は意識障害もあり、自分ではなにがあったか理解できていません。
「ココハドコー?」ってリアルになりました。
記憶もすぐ飛ぶし、会話も成立しているか怪しい状態だったそうです。
すぐにCHASER療法 (抗がん剤) がはじまりました。このころは自分でトイレに行くこともできなくなっており、おむつ生活です。
1サイクル目が終わるころには、意識障害もなくなり、手足のマヒも改善しました。
意識がしっかりしてくると、自分が大丈夫なのか不安になってきます。
いままであまり連絡をとれていなかった旧友ともたくさん電話させてもらって、元気を貰いつつ、自分の意識が大丈夫なのかの確認もしていました。
この時、いろんな友達と電話できて本当にうれしかったです。ありがとう。

短期退院を挟んで2サイクル目でもさらなる改善がありました。
手足のマヒもだいぶ改善し、MRIでは腫瘍がなくなっていました (下の画像)。いちおうこの時点で寛解です。
この時CHASERが効いていなかったらかなりヤバかったらしいです。

ただ、私の場合は再発の可能性が極めて高いとのことで、このまま根治を目指して治療を行うことになりました。

MRIとレポート。CHASER前 (右) と後 (左)。

CHASERの後は、地固め療法的に大量化学療法 (ブスルフェクス+リサイオ)+自家造血幹細胞移植を行いました。
抗がん剤治療で落ちた血球が回復してくるときに、血球中に造血幹細胞がでてくるのでそれを事前に採取します (アフェレーシス)。
超大量の抗がん剤を投与すると骨髄から造血機能が損なわれます。そこで事前に採取した造血幹細胞を輸注し、骨髄に生着することで、造血機能が復活するという治療です。メインの目的は移植前の超大量の抗がん剤投与による治療効果になります。

この時の副作用は過去最高につらかったです。
粘膜障害で口内炎が口全体にできてなにしても痛いし、のども痛すぎて薬を飲むのに医療用の麻薬 (モルヒネ) の投与量を一時的に上げたりしていました。お腹も過去最高に痛く、ずっと下痢でお尻も痔になっていました。
いちばんしんどかったのが出血性膀胱炎です。排尿の際に尋常ではない痛みが10~30秒ほど続き、歯を食いしばりすぎて奥歯が欠けたり、地団駄を踏みすぎて足の裏全体にマメができたような状態になりました。
せっかく口の状態が良くなってきても、味覚障害でごはんやパンを食べても砂のような味しかしない、という追い打ちもありました。
なぜか、クノールのスープパスタだけは食べれて、なんとか食つなぐことができました。ありがとうクノール。
ずっと個室 (クリーンルーム) から出るのも禁止だったこともあって孤独が凄く、精神も相当やられてしまいました。
もっとみんなに電話とかラインしてもらって、元気をもらえばよかったです。

短期退院を挟んで、いまはCAR-T療法 (薬の名前がキムリア) を行っています。
CAR-TはChimeric Antigen Receptor T-cell therapy、キメラ抗原受容体T細胞療法の略で、なんのことだかさっぱりわかりません。
自分のT細胞を取り出して、がん細胞を攻撃できるように遺伝子組み換えし、体の中に戻す比較的新しい治療法らしいです。

CD5陽性DLBCLで中枢神経系 (脳と脊髄) での再発患者は10年前の論文では、全員 (n = 24) が2年以内に亡くなっているので、私のがんの根治にはCAR-Tの効き具合にかかっています。
新しい治療なこと、自家移植からのCAR-T療法のフルコースで治療している人が少ないことなどから、CD5陽性DLBCLの中枢神経系再発患者にどれぐらい効くのかの具体的なデータはありません。

Miyazaki et al., (2011), Annals of Oncology, Volume 22, Issue 7, Pages 1601-1607.
CNS relapse (+) が中枢神経系での再発患者。

キムリアの後に有効な治療は現在のところないようです。
なので、次再発した場合、根治を目指した治療は行わず、緩和ケアなどの「満足して死ぬための治療」に切り替える予定です。

CAR-T療法が効いたかどうか調べる方法はありません。
なので、私は信じることにしました。
といっても、ちょっとした頭痛とか、細かい作業の失敗とかで再発の恐怖とずっと闘うことになるのだと思います。
おれは負けんぞ!!
(病気には勝てないので、負けん!っていうのが気に入ってます)

なのでみなさん、CAR-T療法が効くようお祈りと、ラインなどの連絡いただけたら嬉しいです。
なんて連絡したらいいか困ってる人がいたらとりあえず「はろー」って一言送ってください。できたらはやめに。

長い文章読んでくれてありがとうございました。

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