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夫婦の数だけ、その形がある。

BSで再放送されていた「希林と裕也」。
娘の也哉子ちゃんがナレーションを務め、父、内田裕也と母、樹木希林の一風変わった夫婦関係と当時の社会情勢、時代背景を絡めた90分ほどのドキュメンタリー番組だ。息つく間もなく一気に見た。

思ったのは、希林さんが生まれながらにして持つ、内なる「特性」を理解できないと、裕也さんとの一風ユニークな関係も、一般人には到底理解できないだろうな、と。

印象的だったのが、希林さんの言葉で(うろ覚えですが)、「自分にはブラックホールみたいなのがあって、自分をつなぎとめる何かがないと、そのブラックホールに吸い込まれてしまう」といったニュアンスの言葉。

希林さんにとってのブラックホールが何だったのかは分からないけれど、
金銭面、女性面、様々な面で苦労の連続で、
自分を現実世界に縛りつける裕也さんは、希林さんをこの世につなぎとめる「重石」だったのではないか。
希林さんにとって裕也さんという存在は、自分が今、息をしてここに生きているという「証」、生きていく「原動力」だったんじゃないか。

演技者として、女優として、やはり何かを表現する者には(小説家にせよ、音楽家にせよ)、自分の中に「陰(イン)なるもの」「どこかネガティブなもの」を内包していて、それをプラスのエネルギーに昇華させるために、演じたり、書いたり、何かを表現するのではないか、と思っている。

希林さんが自分の内に抱えた「狂気」は、裕也さんの「狂気」でもあり、二人はそれを共有した共犯者だったのではないか。

希林さんにとって、裕也さんは唯一無二の存在であり、
そんな魂の片割れを見つけた希林さんは生涯、裕也さんに恋していたんだと思う。

希林さんは「この人にはひとかけらの純なところがある」と表現していた。
「ひとかけらの純」っていい響き。
純、自体が貴重で稀有のものだから、「たくさんの純」じゃなくていいよね。
ほんのひとかけらで十分。
そんな表現のできる希林さんのセンスにもしみじみとシビれた。

結婚して、夫婦になって、たとえ別居婚であっても、
こんな究極な恋愛の状態を死ぬまで続けた希林さんに、アッパレ!と感嘆するばかり。

形にとらわれない夫婦のカタチ。
最期まで二人は自分なりの「ロックでパンク」な道を貫いたのだ。

物を持たない主義だった希林さんの
生前、暮らしていた部屋というのも、映画のロケのような文豪やお茶が似合いそうな和空間だった。

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