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半額シールをめぐる県民性の違い、その衝動について、2,3のこと。

スーパーの半額シール。
それは一定の時間を経過したものの、まだ棚に売れ残った商品に対し、一つひとつ、うやうやしく貼られる不名誉な「称号」。

いや、購入する側からしたら「うほほ~い」、と喜んで手に取りたい、名誉ある「戦利品」なのだけど。

東京と富山を往復するようになって気づいたこと。
それは、スーパーで「半額シール」への情熱がまったく異なる、ということ。

昔から半額シールに目がない私は、これまで「半額シールへの近づき方」というくだらない投稿をするほど、大の半額好きでもある。たまに、半額シールに目を奪われて、「正値」を見ないでカゴに無意識に放り込んで、それがどこか名店の油揚げだったりして、半額になってもまだ400円、だったりして、あわてて半額コーナーに戻したり、なんてことも。

結論から言うと、富山のスーパーでは私ほど半額シールに情熱を燃やしてソワソワしている人は見かけない(ほとんど、と言っていいほど)。とはいえ、私もスーパーの中では限りなく涼しい顔、ポーカーフェイスを装っているので、内心、こんなに「気もそぞろ」であることは、おそくらバレてはいないはずだが・・・。

それが東京のスーパーでは、半額シールに対し、「余裕な態度、イコール、戦利品を他人に持っていかれる」、という不名誉な事態に陥ること、多々あり。半額って、見つけた瞬間、すぐに手に取る、というよりは私の場合、遠巻きに「どうやら輝かしきシールがついている」のを確認し、また周囲に同じ獲物を狙った「敵」がいないか見定めてから、そろりそろりと、獲物(半額)に近づくのだけど、そんな手法をしていたら東京では、一瞬で、他人にかっさらわれてしまうのだ。

これは富山の「富める国」ならではの余裕だろうか?
ご存じの通り、一世帯あたりの所得が全国でもナンバー3に入ったり、持ち家率もナンバーワンと、何かと「富める国、富山」なのだ。もしかすると、半額シールに情熱をかけるなんて、そんな「ゲスの極みな行動」は周囲の目もあって許されないのかもしれない。

なので、半額シールへの近づき方も、富山と東京ではまた、違ったものになる、ということだけ、このささやかな「dekoneko・レポート」として簡単に記録しておこうと思う(こほん)。








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