痩せていく僕から1年後の自分へ

自分史上、最も急激に痩せていっている今を、忘れないように書き留めておこうと思う。

今の体型が嫌で食事制限をしているというわけではなくて、お金を貯めたくて食事が減っている。
1日3食大盛りご飯(コンビニ)だった生活から、肉とか野菜を蒸して食べる生活に変えた。八百屋とか肉屋にも行くようになった。
家に体重計はないけど掌にスマホはあるので、銀行口座に入っている金額はいつでも分かる。増えると嬉しい。
痩せ過ぎだと同僚から言われるけど、生活を変えようとは思ってない。

これってある意味、摂食障害だなと思う。
経済的摂食障害とでも言うべきか。

仕事柄、摂食障害の状態にある人に接することも多い。こういう文章を書くことで、摂食障害に対する偏見を助長したくないし、社会問題を矮小化したくない。

1年後にこれを読み返したとき、今の気持ちにまったく共感できなくなる気もしている。だから書いておきたい。言葉に気を付けろと自分に誓った上で。

①今より5kg多かった頃の自分を思い出して「強そうだ」と感じる
今より腕が少し太かった自分の映像が、記憶の中にある。記憶が正確ならの話だけど、その頃の体型に対する感想を言うなら「強そう」だ。今まで人生で一度も強そうな身体を目指したこともないし、本気でトレーニングしたこともないのに。

僕は今、貯金をしたい気持ちとは関係なく、男性的なマッチョな価値観と距離を置きたい考え方で生きている。だからこそ「強そう」と思う自分に驚いている。もしかしたら強そうな自分に戻る理由が少ないのかもしれない。

②前よりも味を想像するようになった
COVID19の症状に嗅覚と味覚が狂うというものがあるというニュースを聞いたから、一口食べた時に「味がする」と考える習慣がついた。その延長線上に、食材を買う時に「キャベツはこんな味」「グレープフルーツはこんな香り」と想像するという行為があったんだと思う。

これって豊かなことだとは思うけど、あの味あの香りを得るために払う必要がある金額は何かという思考がアタマの端っこにあって、ちょっとやばいなと思うこともある。

③自分を満足させることが上手くなった
当たり前に思えることだけど、満足度とか幸福度は払う金額と比例しない。まあ、座っているだけで幸せな気分になれるベンチを公園に設置するためには税金が使われているから、社会規模と個人規模は少し違うかもしれないけれど。

お金を使うことに今より躊躇いがなかった頃は、ベンチに座るのと同じくらいの量の幸せと時間を使うのに、わざわざお金を払うことも多かったと思う。
お金を出してお腹いっぱい食べても、満足できるとは限らないと今は思う。少し前は、とりあえず満腹になりたかったのに。


ここまで書いて思う。
やっぱり食べることとお金を使うことの距離が日々変化して、それは生きることとの距離に影響してる。
うまくいけば、生きることに大きな財布が要らなくなるのかもしれない。


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