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メモリアルコミュ4からみる北条加蓮

はじめに
 初めまして。木偶の坊と申します。今回は北条加蓮というアイドルを少し深掘りするべく、このような文章を書いてみようかな、と思いました。北条加蓮というアイドルの要素の一つとして挙げられるのが、「幼少期にアイドルに憧れいた」という点です。多種多様なアイドルが存在するシンデレラガールズの世界においては、プロデューサーと出会う以前からアイドルに対する憧れを抱いていたという要素を持つ子は必ずしも多くはありません。アイドルに憧れる、アイドルを夢見る少女にとっては、プロデューサーと出会ってアイドルになることは、自身の夢を叶える、ということを意味します。そんな彼女たちの中で北条加蓮は、夢が叶う瞬間をどのようにして迎えたのか、そして、夢が叶った先に何を目指すのか。また、そもそもアイドルに対してどの程度、どのような憧れを抱いていたのか。今回はこれらの点を、デレステの北条加蓮のメモリアルコミュ4を中心に考察して行こうかと思います。

1.北条加蓮にとって「アイドル」とは
 はじめに、で触れたように、北条加蓮がアイドルに憧れたのは幼少期の頃になります。ご存知の方も多いかとは思いますが、幼少期の加蓮は体が弱く、入院生活が長かったことが本人の口から伝えられています。そんな、苦しくて、退屈であったであろう日々の中で加蓮が出会ったのが「テレビの中のアイドル」でした。加蓮がテレビの中のアイドルたちから貰ったものは、アイドルに対する「憧れ」、アイドルになるという「夢」、そして何より、入院生活の支えとなったであろう「元気」でした。
 しかし、プロデューサーと出逢うまでに、加蓮はこれらの憧れ、夢を諦めてしまいました。アイドルに対する憧れを抱いた日から、プロデューサーと出逢うまでの期間はあまり多く、また詳細なことは語られてはいませんが、彼女の言葉から推察すると、ある日、奇跡的に病気が治り、退院。しかし当然ながら、彼女が入院している間に周辺環境は変化しており、入院生活が長かったことから勉強や運動に関してもついてはいけず…彼女の言葉を借りれば世界に「絶望」し、理不尽ともいえる境遇に「ムカついて」いた、そんな状況でした。
 そのため、プロデューサーと出逢った頃の加蓮は、夢や憧れを諦め、それに対する努力などに対しても否定的な台詞を言うような少女になっていました。
 前置きが長くなってしまいましたが、以上のことを踏まえると、北条加蓮の憧れたアイドル像というのは「夢や希望、元気を与える存在」と考えられます。アイドルになる前に抱いていたこれらの憧れが、プロデューサーからスカウトされて、アイドルとして成長していく過程で加蓮にどのような影響を与えていたのか、次の章で検討していきたいと思います。

2.「メモリアルコミュ4」を考える
 北条加蓮のメモリアルコミュ4の内容を大まかにまとめますと、アイドルとしての初めてのLIVEステージを翌日に控えた加蓮は、自身のパフォーマンス(特にダンス)にまだ満足しておらず、プロデューサーから十分だと伝えられてなお、特訓すると譲らず、口論に発展します。加蓮は表面的には食い下がり帰宅。しかし、意地っ張りかつ負けず嫌いな加蓮はプロデューサーの言葉を飲み込むはずもなく、夜の公園でダンスの特訓を行います。
 翌日、寝不足気味な加蓮は初LIVEを行いますが、前日の無理がたたってか、歌い終わるとともに倒れてしまいました。
 コミュ4についてはまだ様々な要素がありますが、今回の考察に必要な要素は概ね出揃っているので割愛させていただきます。
加蓮はなぜ、ここまでして、プロデューサーの言葉を無視してまで特訓をして、初LIVEに望もうとしたのか。あくまで自論、私の考察になりますがここには大きく三つの要因が存在するのでないかと考えています。

 まず一点目が、「自己評価の低さ」です。これはメモリアルコミュ1を見ていただくとよりわかりやすいと思いますが、加蓮はおそらく複数回にわたってスカウトを断っています。その理由は「アイドルになる価値も、素質も、実力も、何もない」からでした。これもコミュ1からの引用になりますが、加蓮にとって、スカウトを受けた時期はおそらく彼女の人生の中で1番のどん底だったものと推察されます。冒頭でも触れたように、周りから置いていかれて、自分には何も無かった。アイドルになってからも、そんな劣等感は付き纏ったものだと思います。体力のなさからレッスンについていけなかったこと、周りのアイドルがこなせてることが出来なかったことなど、周りと比較して、自分が劣っている点がはっきりと目に見えることもあったでしょう。アイドルになる前も、なってからも「周りに比べて自分はダメだ」「まだ自分には足りないものがある」そんな考えが加蓮の中にはずっとあったのでは無いかと思います。だからこそ、LIVE前日になってもなお、「他の人はまだ踊れてるからもっとやらなくては」といった、劣等感から来る焦り、「自分のパフォーマンスはまだまだだから特訓しなくては」と言う自分の中での評価、そん考えが頭をよぎったのだと思います。
 しかし、加蓮は自分が思っている以上に成長していたはずなのです。メモリアルコミュ2の頃は、ウォーミングアップ程度のレッスンでヘトヘトになってたのに、コミュ4では、LIVE前日ということを踏まえると、数回程度通し練習をしても大丈夫なくらい、なんならその後夜自分で自主練ができるくらいには体力がついていたはずなのです。
 それでも、自己評価が低いから、もっと言うならば、自分を信頼できていなかったから、無理をしてでも特訓をしてしまったのだと考えられます。

 続いて二点目は、「アイドルに対する憧れ」にあると思います。前述の通り、加蓮は「アイドル」に憧れていました。しかし自分がアイドルになると同時に、その「憧れ」はきっと「目標」になったのだと思います。加蓮の台詞の中に「私ちゃんとアイドルできてるかな?昔私が元気をもらったみたいに…」というのがあります。北条加蓮にとって「ちゃんとアイドルをする」ということは、昔憧れた「元気」や「希望」をくれるような存在になることだと考えることができると思います。つまり、加蓮は「昔テレビで見たアイドル」に少しでも近づくことが目標の一つとして存在したものだと思います。それはきっと、パフォーマンスの目標という点でも共通していたと思います。
 ここからは特に自論になりますが、このコミュ4の際、加蓮がパフォーマンスの目標としていたのは「思い出の中にある、憧れのアイドルのステージ」だったのだと思います。なぜこんな書き方をするかというと、「思い出の中の」という点が重要だと考えているからです。わかりやすく数値として、加蓮の中の「思い出のステージ」が10000だとします。では実際に、その時のアイドル自身がしたパフォーマンスは一体幾つになるのか。それはきっと10000ではない、と私は考えています。どういうことか、少し例を上げてみます。我々PがLIVEに参加したとします。その時、キャストさんのダンスや歌のパフォーマンスが100だとしましょう。しかし実際我々が体感して、思い出に残るLIVEはきっと100以上のものだと思います。何故なら、LIVE等の思い出は基本的に「加算式」だと考えているからです。キャストさんの素晴らしいパフォーマンスが100だとすると、それにLIVEの音響、リアルタイムの興奮、出演者に対する思い入れや、キャスト以外のスタッフに対する気持ちなどなど…実際のパフォーマンスに、さらに多くの要素が積み重なっていき、一つの「ステージ」が完成する。完成したステージは当初の100よりも膨大な数値になっていると思います。それがさらに「思い出」という、思い返せば思い返すほど感情が揺さぶられたり、励まされたりするものだと、さらに加算されていく。「思い出」とはそういうものだと思います。
 話を戻しますと、詰まるところ加蓮はきっとこの「個のパフォーマンス」ではなく「完成された思い出の中のステージ」をパフォーマンスの目標にしていたのだと思います。先に言った通り、加蓮が見ていたステージが10000だとして、実際のアイドルのパフォーマンスはわかりやすく100だとしましょう。「目標のステージの数値」と「実際のパフォーマンス数値」に大きな隔たりがあることがわかると思います。
 何故このように考えたか、それは個人的な思い出の解釈もありますが、あの場面でプロデューサーが加蓮を止めていたことも一つの根拠として存在します。アイドルのプロデューサーということは、今までも多くのステージを見てきたと思います。そのステージがアイドルだけでは成り立っていないことも当然知っているはずです。だからこそ、「アイドル個人としてのパフォーマンス」としては十分な出来栄えになっている、と加蓮を止めたのだと思います。負けず嫌いな加蓮にとってはこれはお世辞に聞こえたのでしょう。自分が10000を目指しているのに、100で十分だと言われているようなものですから。だからこそ、その言葉に反発し、特訓を行なった。
 こういう背景があったと考えることができると思います。

 最後に三点目。それは「夢が叶う瞬間だったこと」にあると思います。冒頭でも触れた通り、アイドルに憧れていた子にとって、アイドルになることは夢が叶う事だと言えます。加蓮が憧れたアイドルは「ステージの上のアイドル」であり、初LIVEでステージに上がることは、幼少期から抱いていた夢が叶う事、だったのだと思います。実際にコミュ4にステージに立ってから心の中で「アタシ、夢見た場所にいるんだ…!」というシーンがある事からも、加蓮にとってアイドルになる瞬間とは、LIVEのステージに立つ事だったのではないかと思います。そんなまさに「夢が叶う瞬間」にかける想いは相当のものだったでしょう。だからこそ、高い目標を掲げ、それに届くべく頑張ったのだと思います。
 加えて、コミュ4のLIVEステージに立つ加蓮の立ち絵はR+のものになるのですが、このことにも意味を見出せるかと思います。R+の加蓮が、デレステでライブを開始する時にいうセリフは2つ存在しており、そのうちの一つが「アタシ、これが最後だと思ってる」というものです。R+の時期、つまり入所してデビューする、そんな時期の加蓮は、そのLIVEが「最後」になる。そのくらいの覚悟でLIVEに臨んでいたのではないか、と考えられないでしょうか。
 これが「最初」だけど「最後」のLIVEになるかもしれない、夢にまで見たステージに立てる、夢が叶う瞬間はもうこれが「最後」だ、そんな覚悟で初LIVEのステージに立っていたとするならば、そのステージを完璧に、憧れていたもの以上に、そんな風に加蓮が考えていたとしたならば、きっとどれだけ無理をしてでも、十分だと言われても、完璧になるまで特訓しようとしていたのではないか、と考えることができると思います。

以上の三点の要素から、加蓮は特訓を行なったのではないか、と考えています。

3.おわりに
 以上長々と稚拙文章、ありきたりな考察を述べさせていただきました。最後まで読んでいただいた方には心から感謝しかございません。
 考察をする中、私の中の北条加蓮像が、どんどん人間としての立体感が増してきた気がしたので、こうして文章にすることで、あわよくば皆様の北条加蓮像を深掘りできる一因になれば…と思い、文章で伝えてみようかなと、筆をとらせていただきました。
 今回、コミュの考察をしようと思ったきっかけは、北条加蓮Discord鯖であるMINTCORDの定例会にて、アイドルコミュを見る機会があったからでした。様々な方と感想を言い合う中で、よりコミュに対しての考えが深まりました。本当にありがとうございます。
 最後に、ここで一番伝えたい点は、北条加蓮の夢は、考察で述べた夢から変化している、ということです。前述の通り、北条加蓮の夢はアイドルとしてステージ立つことだったのだと思います。しかし今の彼女は、「トップにね、立ちたいの。証明したい。私が一番だって。私でも、一番になれるんだって。」とまで言えるようになりました。アイドルになる瞬間を、これが最後かもしれないと思っていた彼女が、自分のことが信じられずもがいていた彼女が、トップになりたい、自分が一番だと証明したい、と言えるまでに成長したのです。
 だからこそ私は、彼女の夢を叶えてあげたい。そして、トップに立った先で彼女が次にどんな夢を目指すのかを見てみたいのです。その夢を叶えるためには、たくさんの方の応援が必要です。#北条加蓮はあなたが育てるシンデレラ まさにこの言葉通りだと思います。もしこの考察を読んで、少しでも加蓮に興味を持っていただけたなら、彼女の夢を叶えるべく、少しでもご助力頂ければ、と思っております。北条加蓮のことを何卒宜しくお願いいたします。

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