小豆色の石
小豆色をした、いびつなひょうたん型の鉱石が、白くて安っぽい石の台座に置かれている。その周囲は豆電球で薄黄色にライトアップされている。そこから二メートルくらいしか離れていないこちら側はもう暗い。暗闇から鉱石を見つめる。
パイプ椅子がたまに軋む以外には何も音がしない。あまり静かだと、衣擦れの音や、靴と地面が擦れる音すら、耳が明確に拾うようになる。聴覚が鋭敏になるにつれて音を立てないよう気づかうようになり、より精度の高い無音になっていく。
なにもしていないわけじゃない。まばたきくらいはしている。たまに体のどこかがかゆくなるので、そこをかいたりもする。靴底を地面と擦りあわせて細かい砂を削り出したりすることもある。このとき、無音の精度はどうでもいい。どうしようもなくなったときは、脈をずっと計り続ける。しかし、それに集中しすぎないように注意しないといけない。
時計を持ってきていないので、どれくらいこうしているかわからない。時間になったら次の人が来て教えてくれるので問題はない。
どれだけ眺めても、鉱石は変わりなくいびつで小豆色をしている。少なくとも視認できる範囲には変化がない。変化するものなのか知らない。
自分が起こしているのと違う、地面が擦れる音が聞こえてきた。だんだん近づいてきて、背後に迫ってくるのがわかる。
「交代」
低い男の声で、ぶっきらぼうに呼びかけられた。足音なのはわかっていた。
「お疲れさまです」
パイプ椅子から立ち上がって会釈をする。ランニングシャツをズボンに入れたラフな格好のおじさんだった。こちらに封筒を差し出してくる。
「お疲れさん。ハイこれ。あれだから」
「ありがとうございます。それじゃあ失礼します」
受け取って、男の人とすれ違う。彼は入れ替わりにパイプ椅子に座ったようだ。彼が来た方向に歩いてゆく。暗いので壁伝いに、足元に気をつけながら。
「何なんだろうな」
振り返る。男が言ったようだが、こちらを振り向かずに、石を見たままだった。質問の意味も答えもわからなかったが、とりあえずもう一度だけ会釈をしておいた。
○
「ただいま」
家に帰ってきた。受け取った金で買った半額弁当をレンジに入れる。自炊もしないといけないと思っているが、どうもやる気にならない。あのバイトの後だとなおさらだ。
石を見るだけなので、疲れないが体がだるくなる。ずっと座りっぱなしだからか。
ひたすら退屈なだけの仕事だが、なぜだか給料はいい。危ないやつなんじゃないかと最初は考えたが、やっているのは本当に石を見るだけだ。洞窟の中で石を見るだけ。これが危ない仕事だとしたら、いわゆるスピリチュアルな話になる。つまり心配はない。
ちょうどいいタイミングでレンジが止まった。
考えるのはやめて晩ごはんを食べよう。食べ終わったら、風呂に入って早く寝よう。明日も仕事があるのだから。
○
入口で渡された給与袋を持って壁伝いに進んでいく。奥で石を見ている人に渡して、入れ替わりに業務に入るシステムだ。ずさんだが、前もって聞いていた金額より給料が少なくなっていたことはない。奥の人もそうかは知らない。
ぼんやりと薄黄色の明かりが見えてきた。それで影ができて、奥の人の姿がわかる。石を注意深く監視しているのか、前のめりになっているようだ。ある程度近づいて声をかける。
「お疲れさまです」
「ああはい」
返事はしたが、こちらを振り返らない。立ち上がりもしない。
「交代ですよ」
「すいません。ちょっと」
ようやくパイプ椅子から腰を上げた。しかしまだこちらを見ない。何か光源を持っていて、それを見つめているようだ。石ではなかった。
「いいんですか。石を見ていなくて」
「あ、あれ。なくなってるんですよ」
ようやくこちらを振り向いた。手元には携帯電話があった。台座のほうを見ると、台座も電球もあるが、あの鉱石がなくなっていた。
「え。どうして」
「わからないんですけど」
「あの、入口の人は知ってるんですか」
こちらの顔を見つつ、ときどき携帯に目を落とし、操作をする。そのまま会話をしてくる。
「言っちゃって、このバイトなくなったら困るじゃないですか」
「んん、いやでも」
「言わないでくださいよ。おれの先にいた人も言ってたんで」
それください、持っていた給与袋を指さされる。差し出すと、先の人は携帯を持ったほうの手で受け取った。
「じゃあお先に」
携帯の画面を見ながら去っていく。その背中を見送る。
見えなくなってから少しして、向き直ってパイプ椅子に座る。椅子がきしんだ。もう一度、台座を確認する。石造りなのに安っぽい台座、その四十センチ上くらいに傘のついた豆電球。間にはなにもない。
することがない。衣擦れの音も地面をこする音もしない。僕はもう脈を計り始めた。
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