ファンレター、君に届け。
順風満帆な人生だと思っていた。
まるで悲しみとはほど遠い場所にいるかのような、そんな雰囲気を纏っていた。
でもそれは、彼が生きる力を削って、削って見せていたものだと知ったのは、7月18日のこと。
あれから二夜を過ごしたが、その揺らいだ心が、いまだに落ち着かない。
こういう事を書くと、「あなたはファンだったのか」と問われるかもしれない。
私は彼の出演作をチェックして、追いかけていたわけではない。
でも、私の1つ年上の彼が出演した作品は、私の人生の一部だった。
1番最初に見たのは「14歳の母」
中学生で妊娠・出産を経験する主人公の彼氏、つまり子供の父として、思春期であどけない様子の彼が、クラスメイトの男の子たちより大人びて見えた。
次に見たのは「恋空」
流行っていた携帯小説の実写化で、荒ぶる不良少年が闘病する様子は、脆さと儚さが入り混じって、想像していた姿と一致したことを覚えている。
そして何といっても「君に届け」
まるで漫画からそのまま出てきたような、"風早くん" そのままだった。爽やかとは彼のためにあるような言葉だと思った。
思い出すとキリがない。
「クローズ」も「ごくせん」も「永遠の0」も「わたしを離さないで」も、数々の作品のなかで彼が大人になるにつれて、私も大人になってきたのだ。
そうやって思い出して、初めて私は"彼のファン"だったと気付く。
彼の出演作をずっと追いかけていたファンの方から見たら、「それはファンじゃない」なんて思われそうだけど、彼がこの世からいなくなってしまった事が、こんなにも悲しいのなら、私は彼のファンだ。
「推しは推せるときに推せ」
という言葉がある。
これほどまでに、この言葉を何度も何度も噛みしめた時はない。
でも、彼が俳優という仕事についていることで苦しい思いをしていたのなら、”ファン"として「辞めてもいいよ」と声をかけてあげるべきだったのかもしれない。
もし、これを読んでいる方が、表舞台に立つ方だとしたら、その方に言いたい。
私は彼のファンだけど、出演を続けることよりも、笑って生きていてくれることを望みたい。
私の推しが、悲しさに包まれることなく、好きなことをしながらどこかで暮らしていてくれることのほうが、ずっとずっと嬉しい。
でもこれは、私の気持ちの押しつけ。
私は自分の人生が「まだまだこれからだ」と思っているけど、彼には「まだまだある」ことが苦痛だったのかもしれない。
そんな彼の気持ちを知ることなく、急にいなくなってしまった彼に、何も伝えれないままなのが、とても寂しい。
そして何も知らずに、私たちと同じように訃報を伝えられた、彼の周囲の人たちのことを思うと、その悲しい思いがどんどんどんどん重たく、私の身体の底に沈んでいく。
この悲しくて、切なくて、行き場のない思いを、どうすればいいのか、わたしには分からなかった。
私は今夜、彼にファンレターを書く。
今となっては、なぜもっと早くに書かなかったのだろう、と思うけど、彼が真摯に向き合ってきた作品たちが、私の成長に寄り添ってくれていたと書く。
生きている彼に、読まれることはない、ファンレター。
それでも私が、彼のいる穏やかな場所に行くまでの間、何度も何度も読み返して待っていてくれているといいな、と思う。
彼はきっと、あの春の陽だまりみたいな笑顔で読んでくれるだろう。
それで彼が少しでも、生きている間にしてきたことが、誰かの力になっていたと知ってほしい。
ファンレター、君に届け。
ちょっといいもの食べて、もっといいヒトになりたい。