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荘厳なエリザベス2世の国葬から見えるしたたかな君主制のサバイバル術

英王室のメディア戦略はヴィクトリア女王の時代に始まった

 2022年9月8日に96歳で死去したエリザベス2世の国葬が19日に行われた。イギリス史上最長の70年間在位した君主の国葬は世界各国に生中継、40億人以上が視聴したとされる。ウェストミンスター寺院での葬儀の後、ハイド・パーク・コーナーにあるウェリントン・アーチへ向かう葬列は王立カナダ騎馬警察に先導されてイギリスや英連邦の各軍や警察の楽隊と共に進み、ビッグ・ベンの鐘が市中に響き渡る……各所に配置されたカメラは絶妙なアングルで荘厳な臨場感を捉え、王室の公式Twitterは短い解説と共にその動きを逐一伝えた。

ウェリントン・アーチに向かうカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの代表者たち_James Boyes)
砲車に乗せられた女王の棺
(Department for Digital, Culture, Media and Sport)

 イギリス王室の冠婚葬祭に関わるビッグ・イベントは国内外の関心も高く、多くのメディアが取り上げた。Netflixのドラマシリーズ「ザ・クラウン」の最新シーズン(シーズン5)は世界60カ国で視聴率トップ10入り(11/28-12/8時点)し、ドキュメンタリー・シリーズ「ハリー&メーガン」にも注目が集まっている。なぜ、世界はよその王室のイベントや動向に注目してしまうのだろうか。

エリザベス2世の崩御後、バッキンガム宮殿に集まった人々
(photo:Nan Palmero)

 その鍵は、19世紀に君臨したヴィクトリア女王(1819~1901年、在位1837~1901年)が作り上げた「君主のあり方」にあると、イギリス近代史が専門の甲南大学教授・井野瀬久美恵氏は指摘する。どういうことなのだろうか。
(2022年10月15日にインタビュー)

国民に「見せる」ことが必要になった19世紀の君主、ヴィクトリア女王

――イギリス王室の国葬は約70年ぶりということで、多くの人にとってほぼ初めての経験ですが、これほど世界的なビッグ・イベントだったことに驚きました。

井野瀬久美恵氏(以下、井野瀬) イギリス王室は1953年のエリザベス2世戴冠式に当時最新のメディアであったテレビ中継を行うなど、冠婚葬祭というビッグ・イベントを国内外へ「見せる」ことに注力してきました。その源流はエリザベス2世の高祖母であるヴィクトリア女王にあります。

1882年に撮影されたヴィクトリア女王

 1901年、ヴィクトリア女王はワイト島の離宮オズボーン・ハウスで崩御し、その棺は船や列車でロンドンへ運ばれました。人びとがその先々の沿道で女王の棺を見送り、涙する光景は、映像にも記録されています。しかし、王室のさまざまな儀礼はヴィクトリア女王治世の前半までは王室や上流階級、聖職者といった限られた人たちしか参加できないものでしたから、君主の葬儀を国民が目にし、共に悲しむ形になったのはイギリス史上初めてのことでした。その背景には、王室の生き残りをかけて「君臨のしかた」を大転換したこと、そのためにさまざまなイメージ戦略を行ったことにあります。

 ヴィクトリア女王が治めた19世紀は、フランス革命の影響のもと、ヨーロッパじゅうに共和制が拡大し、君主の権力は制限される傾向にありました。フランスでは、立憲君主制のもと国王となったルイ・フィリップが1848年、2月革命で退位しロンドンに亡命しています。このとき、第二共和制のもとで大統領となったルイ・ナポレオンは、その3年後、クーデターで皇帝となり、ナポレオン三世を称するなど、君主制は不安定なシステムになりつつありました。1837年に即位したヴィクトリア女王は、権力を振るい支配する、いわば従来型の君主から国民に敬愛され信頼される君主へと「君臨のしかた」を変えることで、生き残りを模索していきました。

戴冠式のヴィクトリア女王
(ジョージ・ハイター作)

 まず行ったのがイメージ戦略です。肖像画や雑誌といったメディアで君主の姿を「見える化」し、動物愛護を含むさまざまな慈善・福祉活動や教育、芸術、科学振興に力を入れました。地方都市への巡幸などで女王が国民の前に登場する機会を増やし、1851年の第1回ロンドン万国博覧会では女王が公開で開会宣言を行いました。そして、在位50周年(1887)、60周年(1897)の式典という祝賀行事を大規模で華やかなものにし、国民が広く参加できるビッグ・イベントにしたのです。

ヴィクトリア女王の在位50周年Golden Jubileeでトラファルガー広場を通過する王室の行列
(John Charlton作)

 エリザベス2世の国葬がスコットランドのバルモラル城からロンドンのウェストミンスター寺院まで、国内の各所で国民の目に触れ参加できる形になっており、さらに生中継で広く「見せた」のもヴィクトリア時代のイメージ戦略の継承にほかなりません。在位○年記念といったジュビリーや結婚式を広く「見せて」いるのも、同じです。

エディンバラ城に到着したエリザベス2世の棺(Scottish Parliament)

 しかし、ただ「見える化」しただけでは、国民に敬愛や信頼の情は生まれません。「何を見せるか」が重要で、そこで打ち出したのが理想の家族像としてのロイヤル・ファミリーでした。

棺の後ろを歩く王族たち
(Department for Digital, Culture, Media and Sport)

妻であり母である君主が可能にした「理想の家族像」

――「理想の家族像」がなぜ国民の敬愛や信頼につながったのでしょうか。

井野瀬 「理想の家族像」を示したのは、ドイツから来た夫アルバート公です。彼は豊かな教養と高い道徳心の持ち主で、既得権益が横行し無統制無秩序であったイギリス宮廷の改革に着手します。目指したのは「責任感、慎み、道徳的な公正さ、独立の精神」。国民との距離を縮めるために、選挙法改正や社会改革を求める運動が激化していた産業都市、リヴァプール、マンチェスター、バーミンガム、リーズなどへの巡幸を助言したのも、アルバートでした。

 メディア戦略として興味深いのは、王室一家を描いた家族の肖像です。それぞれの絵画には、君主であることと、妻であり母であることとの両立が図られる工夫がさまざまになされています。女王は、君主という単体ではなく、文字通り、「ロイヤル・ファミリー」として見られたわけです。女王もまた家庭人であるという親近感こそが、イギリス的な象徴君主制のベースになったと思われます。その意味でまさしく、ヴィクトリア女王はエリザベス2世のロールモデルであったといえるでしょう。

フランツ・ヴィンターハルター の描いたヴィクトリア女王一家、1846年
(イギリス王室コレクション)

 ヴィクトリア女王ののち、エリザベス2世までは3人の男性君主が続きますが、国民の模範となる家族像を見せるイメージ戦略は、しっかりと引き継がれていきます。民主主義が根付いた世界では、権力を振るい支配を強めるようなマッチョな君主は、国民の反感を買いやすいことを彼らはよく理解していたと思われます。理想の家族として良き夫、父としての姿を見せ、国民の敬愛と信頼を集め、「国民に寄り添う」君主であろうと努めたのです。エリザベス2世の父、ジョージ6世夫妻は第二次世界大戦中にドイツ軍による空爆が続くロンドンに留まり、国民と同じ配給物資で生活するなど苦難を分かち合い、絶大な信頼を得ます。民主化、大衆化が進む20世紀世界において、「国民に寄り添う」君主像は広く世界中の王室の学ぶところとなりました。

英空軍兵士を激励するジョージ6世国王夫妻とエリザベス王女
(Air Ministry Second World War Official Collection)

 日本の皇室においても、昭和、平成、令和の天皇は皇太子時代に渡英経験があり、イギリス王室から君主のあり方について影響を受けています。昭和天皇、平成天皇はエリザベス2世の祖父(ヴィクトリア女王の孫)ジョージ5世から大きな影響を受けました。1985年にオックスフォード大学留学から帰国した現在の天皇は、今後の皇室についてインタビューを受けた際に「一番必要なことは国民と共にある皇室、国民の中に入っていく皇室」と答えており、イギリス的な象徴君主像を思い描いていたと思われます。ヴィクトリア女王の時代に作り上げられた「君臨のしかた」が、日本の皇室にも大きな影響を及ぼしているのです。

――ヴィクトリア女王は、メアリ1世、エリザベス1世、メアリ2世、アン女王の歴代女王の中で、初めて王位継承者を産んで母となった女王ですね。

井野瀬 時代によってジェンダーロールは変化するものですが、圧倒的男性優位の時代に、ヴィクトリア女王が妻と母という私的な役割を前面に押し出して国民の共感を誘ったことは面白いですね。実像はかなり違っているのですが(笑)。

 エリザベス2世については、同じ名前ということでエリザベス1世が引き合いに出されることが多いですが、公的には君主でありプライベートでは妻であり母であることを両立する2人目の女王として、ロールモデルになり得るのはヴィクトリア女王でした。

③Queen Victoria with four of her grandchildren, November 1871
(イギリス王室コレクション)

 ただ、現代では国民の「見たい」という欲望が増大し、王室が見せたい親近感とのバランスが難しくなってきたようですね。親近感はゴシップに換算できないのです。見せたかった「理想の家庭像」は、1992年の長男チャールズ3世(当時は皇太子)とダイアナ元妃問題、長女アン王女の離婚と再婚、次男アンドリュー王子夫妻の別居などで国民の反発しか得られない出来事が続いて崩壊し、在位40周年の王室人気は地に落ちてしまいました。

1997年6月18日にホワイトハウスで大統領夫人ヒラリー・クリントンと会見するダイアナ

 1997年にダイアナ元妃が死去した際には、エリザベス女王は「王室を離れた人」として扱うことを求めましたが、国民からの猛反発を受けて慌てて対応を変えます。おそらく20世紀末にエリザベス2世はこれまでのやり方が通用しないことと共に、「国民からの敬愛や信頼なくして君主制が成立しない」ということを、改めて痛感したのではないでしょうか。

ダイアナ妃を追悼してケンジントン宮殿の外に置かれた花
(photo:Maxwell Hamilton)

かわいいおばあちゃま像で「愛され君主」に

――2002年の在位50周年ゴールデン・ジュビリーは豪華で大規模な祝賀行事で、ジュビリー祭には100万人が集まりましたし、同年のロンドン五輪では開会式に女王がジェームズ・ボンドと共演するという驚きの演出もありました。

井野瀬 20世紀の終わりから21世紀にかけて国民が寄せる感情の変化を体験して、イギリス王室はインターネットやSNSといった新しいメディアを使うなど、新たなイメージ戦略にも着手します。ゴールデン・ジュビリーでは在位期間中に受けた支援と忠誠に対し公的、個人的に感謝を表明する機会として国内70都市、世界中の英連邦を訪問、バッキンガム宮殿では大規模なコンサートやパーティが開催され、多くの人々が招待されたりビッグ・イベントを無料で楽しんだりするものとなりました。まさにヴィクトリア女王が始めた大規模で華やか、国民が広く参加し熱狂できるビッグ・イベントに連なるものです。

在位50周年Golden Jucileeでバッキンガム宮殿に向かって旗を振る人たち
(photo:Michael Pead)

 ロンドン五輪開会式の演出に女王本人が出演したことは、オリンピックという世界的ビッグ・イベントで女王への親近感を強く印象づけるものとなりましたね。これが21世紀の「見える化」であり、君主が敬愛と信頼を得る新しい戦略だったのでしょう。

在位60周年記念式典で国民の歓呼に応える王族たち
(photo:Carfax2)

――70周年のプラチナ・ジュビリーでは“くまのパディントン”と共演する映像が流され、エリザベス2世がとてもかわいらしくて、好感度はいや増すばかりという印象でした。

井野瀬 「KAWAII」は、21世紀でもっとも広まった日本語ではないでしょうか。目上の人に「かわいい」と言うのは失礼に当たるものでしたが、KAWAIIが世界に行き渡り、cuteだけではない、いろんな意味を含んだプラス評価として捉えられるようになった時に、エリザベス2世は「かわいいおばあちゃま」という「新しい敬愛」を手に入れたと言えます。

――エリザベス2世は8人の孫と12人の曾孫がいる正真正銘のおばあちゃまですが、国葬で手向けられた国民からの花束やカードに「Grandma」「Granny」と書かれたものを多く見かけました。

井野瀬 長寿の君主には「理想の家庭像」の延長で、祖父母として愛される存在になる必要があるのでしょう。ヴィクトリア女王には9人の子どもがおり、当時としては奇跡的に全員が成人して41人の孫、37人の曾孫に恵まれました。娘たちがヨーロッパ各国の王族・貴族に嫁いで君主の妻や母となり、晩年のヴィクトリア女王は「大英帝国の母、ヨーロッパの祖母」と呼ばれるようになります。実質的に「ヨーロッパの祖母」であったわけですが、二人とも長寿で治世も長かったことが祖母という立場、おばあちゃまという存在で国民の愛情をとらえることになったと思われます。

1887年のヴィクトリア女王一家
(LAURITS REGNER TUXEN作)

 ヴィクトリア女王にもエリザベス2世にも王位継承者と収まった4世代の家族ポートレートがあります。これを見ると、ロイヤル・ファミリーが脈々と受け継がれていく時に、「王位継承者の母であり祖母」という存在が揺るぎない安定感を示しているように感じました。

1898年のイギリス王室四代。女王ヴィクトリア、皇太子バーティ(エドワード7世)、孫ヨーク公ジョージ(ジョージ5世)、曾孫エドワード王子(エドワード8世)
(photo:John Chancellor)
2022年6月、プラチナ・ジュビリーでバッキンガム宮殿のバルコニーに立つ王室一家
(photo:Number 10)

新国王チャールズ3世は敬愛と信頼を得られるのか

――チャールズ3世が即位し、70年ぶりに国王(男性)が君臨する時代となりました。「理想の家族像」を打ち出すのは難しい君主ではありますが、どのような「君臨のしかた」になりそうでしょうか。

井野瀬 ヴィクトリア女王以降、君主を支えるのは国民からの敬愛や信頼といった感情でした。君主のあり方を「見せる」ことで国民の感情を味方に付けるという戦略の基本は、変わらないでしょう。チャールズ3世は皇太子時代から貧困問題や若者、移民に対する慈善活動に取り組み、環境問題にも敏感で、有機食品ブランドのオーナーになるなど新しい「寄り添い」を実践しています。「理想の家族像」も時代によって変わりますから、チャールズ3世なりの新しい敬愛や信頼を得ていくかもしれません。

戴冠式を終えたチャールズ3世とカミラ王妃
(photo:Katie Chan)

 私は、イギリス国王が国際社会にどう関わっていくかに興味を持っています。第二次世界大戦の記憶が濃厚な時代から君主であったエリザベス2世は、大英帝国の元植民地であった英連邦(コモンウェルス)にたいへん気を配り、国際社会の橋渡し的な役割も担ってきました。現在のところ56ヶ国が加盟している英連邦ですが、エリザベス2世崩御もきっかけとなって、イギリス君主を元首としない共和制への動きが活発化しつつあります。

 また、ロシアによるウクライナ侵攻は、歴史的にはイギリス王室とも深く関わる国際問題です。チャールズ3世はエドワード7世と同じく、長期在位であった前女王の残光の中で出発しますが、政治とは別の文脈で国際問題に関わることのできる象徴君主として何をするのか、世界の分断に橋を架けられる存在になれるかどうかに、国民と世界中の人々からの敬愛と信頼を得るヒントがあるかもしれません。

2003年6月24日、訪英したプーチン露大統領と
(photo:Kremlin.ru)

【井野瀬 久美惠氏プロフィール】
甲南大学教授、専門はイギリス近代史。大英帝国史。京都大学文学部卒業後、京都大学大学院文学研究科(西洋史学専攻)単位修得退学。追手門学院大学文学部専任講師、甲南大学文学部助教授を経て現職。2005年『植民地経験のゆくえ: アリス・グリーンのサロンと世紀転換期の大英帝国』で第19回青山なを賞を受賞し、京都大学より博士(文学)授与。2014年10月から17年9月まで日本学術会議副会長を務めた。著書に『「近代」とは何か (講座「わたしたちの歴史総合」』(かもがわ出版)、『大英帝国という経験 興亡の世界史』(講談社)、『黒人王、白人王に謁見す』(山川出版社)、『女たちの大英帝国』(講談社)などがある。


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