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3行日記 2023 1013 昔の記憶

最近、子供が亡くなる話を聴いたり観たりすると、近所の子が亡くなったときの状況を思い出す。 当時は自分が子供過ぎてあまりわかっていなかったのだけど、周りはどう受け止めてたのだろうというのを考え始めると止まらなくなる。

#3行日記

とりとめもないけど、思い出すことを、自分の備忘録として書いておく。

今の実家の隣に親戚の家族が住んでいて、当時(多分私が幼稚園くらいの頃)私たち家族はその家から何百メートルか離れたアパートの二階に住んでいた。アパートの窓からその家が見えるくらいの距離。二階におじさんおばさん夫婦とそこの家の子供(長女、長男、二女)の二女と私は同級生。一階にそのご両親夫婦が住んでいた。父同志は従弟。私の父は従弟のお父さん(私からは大叔父さん?おじいちゃんと呼んでたけど)のところに中卒で修行に入り、手に職をつけつつ、高校、大学は夜学に行かせてもらい卒業した。叔父さんの奥さんが私の祖父の姉で、私はおばあちゃんと呼んでいた。そういう関係。

うる覚えだけど、夜中に目が覚めるとサイレンの音が鳴り響き親が起きて窓から外を眺め、父は外にでてその親戚の家の方に近づいていったようだった。窓から赤くなった空と大きなサイレンの音とわさわさした雰囲気はなんとなく覚えているけど、ただそれだけ。
翌日、火が消えた後に側に行き、二階部分が真っ黒になった建物の記憶もちょっとあるような。そのとき、その家族に会った記憶はない。多分みんな入院していたのだろう。
後から理解したのはガス爆発があり、その時間にたまたまトイレに行っていた長男(多分1年生くらい、仮にトシ君と呼ぶ)がその事故で亡くなった。トイレがキッチンに近かったからではないかと思うが、このあたりの詳細について私は両親にちゃんと聴いたことがないので、確かではない。他の家族も火傷を負ったりしたはずだけど、(はたからみると)その後に支障がでるほどの怪我ではなかったように思う。一階に住んでいたそのご両親夫婦も無事だった。

私はそのトシ君のことを殆ど覚えてない。男の子だったので私は他の姉妹と遊んだ記憶のみ、彼の記憶はその家の仏壇の写真のみ。その顔立ちも今では覚えてない。
おばさん(トシ君のお母さん)はとても明るくて社交性のある人だった。保険のセールスレディとか化粧品販売の仕事とか、当時一旦仕事をやめた主婦の人が子育てが落ち着いた後に誘われたりする職種だと思うけれど、実際に成功できるのは相当社交的でバイタリティのある人でないとできないと思う。彼女は声が大きくて、元気でいつも笑ってお喋りしていた。おばさんとトシ君のことを話したことないし、子供なりに聴くべきではない話題というのはわかっていた。

次の記憶はその明るいおばさんが急にある新興宗教を信じるようになっていたこと。他の親戚のおばさんや近所の人たちをそこに勧誘したり、なにか読み物を渡したりしていたけど、そんなに興味がない人が断るのに閉口するようなしつこさはなく、ただ聴き手が相槌をうっていればそれ以上押し付けられることはない程度だったので、私が一度か二度その話を聞いたときも、そうなんですねーだけで終わった。私の知る限りでは、周辺で実際に一緒にその宗教に参加した人はいなかったと思う。でも彼女自身は本当に真面目に入り込んでいたような気がする。このあたりの記憶は私がティーンエージャーのときだけど、その時の私はおばさんのその行動について深く考えることはなかったし、元気なおばさんだなーくらいにしか思っていなかった。

10数年くらい前におばさんが何かの発作を起こし、ほぼ寝たきりになったので、どこか遠くの施設におばさんを入れ、おじさんもそちらに引っ越した。このころ、私の実家は彼らの家の隣の家だったが、私は一人暮らしをしていたため、そのあたりの状況変化に疎かったし、またその何年か後におばさんが亡くなった話も聴いたが、ちょうどそのころの私は職場で24時間闘っていたので、実家にも行っておらず、お葬式にも行かなかった。

子供が亡くなるニュースや、ドラマや演劇を観たりすると、最近はおばさんとトシ君のことを思い出すようになった。おばさんとは特に親しくもなかったし、トシ君との思い出もなにもなかった。あのとき私は全然気づけなかったし、おばさんはいつも明るくて元気で行動的な人だったけど、ずっとずっとどうしようもない気持ちを抱えながら、いろんなことをしてたんだろうなと。

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