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歩き続ける人

大動脈解離で生死の境を彷徨い、長い寝たきりの入院生活で一度歩けなくなってからというもの「歩く」事だけは欠かしていない。我ながら偉いと思う。歩行器につかまり体を前へ進めることもできなかった時の絶望感が忘れられないのだ。ただし、ノルマは低く、雨にも風にも夏の暑さにも負けながら。

町内にいつも歩いている人がいる。一日に何回も見かけることもある。まれに町内を離れ「こんなところまで」という事もある。内またで、すり足のように、しかしかなりの距離を歩いているのではないだろうか。わき目も振らずに、穏やかそうではあるが前を見る目はどこか焦点が定まっていない。明らかに健康のためのウォーキングといったテイではない。「前頭側頭型認知症」という認知症があるらしい。脳の前頭葉や側頭葉が萎縮して起こるもので、毎日同じ時刻に同じ行動をとったり同じ食べ物にこだわるなどの症状があるという。俗にピッグ病といわれるものもこの範疇に入るようだ。ただ、その人がこの認知症に該当しているのかはわからない。寒さ暑さにはしっかりと対応した衣類を身に着けていていて、定期的にケアをしてくれる人がいるとは思うのだが、このご時世その質的低下などで生活に支障はきたしていないだろうか。見かけるとしばらくはその姿が頭から離れない。話しかけたい衝動に駆られることもあるが、もし前述の認知症であるなら、人が声をかけるなどというのは「想定外」の出来事で徒な混乱を招きかねない。第一本人は何も困ったふうではないのだ。

長い散歩の間、視覚というフィジカルな機能の他、彼の眼は何を見ているのだろう。あるいは見ていないのか。その表情はどこか風が流れているようでもあって。それに比べこちらの頭は緑の中でも、退屈を嫌ってあれこれと愚にもつかない事を考え出す。さて大事なものが損なわれているのはどちらなのか。


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