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入試の季節なのだ。

入学試験を控えた能登地方の中高生のニュースを見る。本番を間近に控えてただでさえ不安な時にこの災厄だ。なんとか気を確かに持って臨んでほしい。

中学3年の夏休み、生まれて初めて個人授業なるものを受けた。といってもどこぞのお坊ちゃまかと勘違いされては困る。地元の公立高校を受けるつもりでいた(歩いて3分というとてもいい立地だ)のだが、理科・数学とその他の教科の学力の乖離が尋常ではない。合否もさることながら、このままでは入学しても相当苦労することは目に見えている。千葉市内の高校で親友が数学の教師をしているので、ちょっと個人指導をお願いしてみようかと思うがどうかと父親からの提案があった。大学の寮から続く「ポン友」なので格安で引き受けてくれるらしい。現実問題としてこの2教科はかなりのネックではあったのでその提案を受け入れ、週に2日だったか千葉駅からとことこバスに乗り、「先生」のいる高校の教室で教えを乞うた。おかげで無事合格し、青息吐息ではあったものの卒業して今にいたっている。

教師の家庭だからといって「勉強しろ」とうるさく言われたことは全くない。宿題は義務だからちゃんとやりなさい、とそれだけ。小学校の頃(1970年前後)、まだ塾などに通う子どもは決して多くなく、学習塾などに通う子がクラスに数人いたかどうか。他は流行りだしていた英語塾と衰退しつつあったそろばん塾だ。商店街にあった学校なので、そろばん塾の需要もまだあったのかも知れない(授業でも数時間ほそぼそと残っていた)。何か通いたいものがあるかと聞かれたが、どれも惹かれるものはなかった。喘息が軽くなり、ソフトボールのチームに入ってみんなと同じ事ができるようになった、それだけで十分なのだった。

時は流れて半世紀、今や中学生の過半数どころか6割7割が塾に通うとか。家庭教師に至ってはアルプスの少女にまでその食指をのばし、じいさんまで抱き込んで人をだしぬくような歪んだ人間形成に一役買っている(CM好感度調査では常に上位らしいのだ)。もし今、自分がその年頃だったら時流に逆らわず塾に通っているんだろうけど、はたしてこんな緩い思考のまんまで渡っていけるのか。ともあれ、受験生 keep  yourself alive! 


見出しの画像は「みれのスクラップ」さんの作品をお借りしました。ありがとうございます。



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