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どうする本棚。

来年65歳を迎えるので、何かひとつくらい生活の柄を変えてみようかと思う。そこで真っ先に思い浮かんだのが今こうしてパシャパシャしているわきの本棚の姿。何年かおきに気分転換を兼ねてプチ整理はしているのだが、今度はどうしたものか。中古で買ったこの家に作り付けの書棚があったのをいいことに、増えるにまかせて硬軟あわせて何千冊あるのかもはやよくわからない。公に高齢者のレッテルを貼られるのを機に軍門に下る(何の?)のもいいかも知れない。

隙間なく並べあるいは積まれた棚のところどころに空間をあけよう。空いたスペースにはさもない置物を置けばインテリアとして見栄えもよくなる。そうすればまた少しずつ本が増えても気にしないですむ(どこが軍門に下っているんだか)。見渡すと彼(彼女)とはもう別れて未練はないだろうという作家も幾ばくかいる。小説の好みはこの10年ほどでだいぶ変わったような気がする。シーナや村上春樹、伊坂幸太郎、村上龍らは指定席。中上健次は怖そうなのでそばにいてもらう(魔除けじゃない)。ノンフィクションやルポルタージュ、紀行エッセイは手離したくないジャンル。そう考えていくとどのくらい減らせるのかかなり怪しい。「こうしたい」「でも」と頭の中をめぐらせてなかば満足していく気がしないでもない。

本棚の一角には新聞のスクラップなんかもあってこれが20代の頃からだがら我ながらよく続いている。気になった記事をジャンルごとにまとめているのだが、切り抜くという行為で頭の片隅にクリップ止めをしてもらっている。こちらは情報価値がなくなれば未練なくおさらばする。スマホの情報も無視はしない。どちらも確かめるためのもので信じ込まないのは鉄則だ。

ものを整理したいというと決まって「断捨離ですね」という人がいる。あまりに言葉が市民権を持ちすぎて本来の意味なんてみんなどこ吹く風になっている。ただのお片付けなんだけど。世俗を絵に描いたような人が使っているのを聞くとなんだか滑稽であります。

「本を読むと心が豊かになる」とか真顔でいわれるとどう対応していいかわからない。近頃は「読書をすると自己肯定感が高まる」とか、ここでも出ました自己肯定感。断捨離しかり、ありがたそうな惹句はいつの世でも手ぐすねひいて迷える人々を待っている。消費のために安売りされるコトバたち。

本を読むと、自分の「欠損」や「足りなさ」がよく見える。その穴埋めをするためにまた本を読む。そのいたちごっこをしているようだ。そして気づいたときには「もだえ苦しむ活字中毒者」に。はまった先は「世界の終わり」か「ハードボイルドワンダーランド」か、そこにいるのは「砂の女」かそれとも。

そんなことより、どうする本棚。





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