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氏神めぐり。

成田市に本宮のある麻賀多神社は、佐倉市を中心とした近隣市町18の神社から形成されている。今年はこの18社をコンプリートしようと妻が言い出し、気が向いた時にクルマを走らせることにした。彼女の近頃の楽しみのひとつに御朱印集めがあり、その流れで興味を持ったようだ。といっても城あり寺あり系統だったものはまったくない。外出の動機付けになればそれで十分。ハンドルを握る夫などは輪をかけて興味本位で信仰心などとはほど遠い。神様はそんなことに頓着しないというのが「ちりとてちん」の糸子お母ちゃんの教えなのでそれでいいのだ。

18社の立地を空から見るとほとんどがこんもりと繁った森の中にあるのがわかる。鎮守の森というやつで、対向車が来たらどこに逃げようかというような細い道の先に小さな社がひっそりと建っている。みな地域の人々が数百年から千年近くも心の拠り所にしてきた場所だ。生活の苦楽はすべてその「氏神さま」とともにあった。こういうところに国家なんてものはあまり出張ってこなくていい。

春先のように暖かなこの日、途中老舗の蕎麦屋で鴨せいろをいただきながら3つの麻賀多神社をめぐった。写真の社はその一つで佐倉市の太田という地区にある。隣接した大きな分譲地を抜けた先で、そこだけ時間が止まったようにひっそり閑としている。誰もいない境内でわずかばかりの賽銭をして境内を巡らせてもらう。敷地の奥にいくつもの石碑が立っていて、いずれも月山・羽黒山・湯殿山といった出羽三山の名が刻まれている。出羽三山の石碑は他の麻賀多神社でも見られ、江戸時代「奥州講」という出羽三山詣でが下総あたりでは盛んだったらしい。数ある講の中でなぜ出羽だったのだろう。新しいものは平成の年号が刻まれていて、今でもその講は残っているのかと「街場の人間」はちょっと驚く。

神社に隣接して(敷地内ともいえる)地区の公民館がある。そこは昔小学校の分校があったらしく、残された門柱に埋め込まれたタイルに刻まれた文字がわずかに往時の面影を残す。というかここに分校があったことなど全く知らなかった。あとで調べると昭和四十五年に廃校とある。万博の年だ。佐倉市が東京のベッドタウンとして人口急増を始めた頃、お前はまさに小学生真っ只中じゃないか。この太田という地区は我が家からの距離わずか数キロしか離れていない。60年もこの佐倉という土地に住んではいても、気楽な外様の「街場育ち」は、こんなところで無関心を露呈する。この婦唱夫随の氏神めぐり、遅ればせながら地元の社会科学習をさせていただけそうなであります。

鳥居には「麻賀多神社」ではなく「摩加多神社」とある。
鎮守の森の多くの樹は「保存樹」として守られている。
出羽三山の大神が刻まれた「奥州講」の石碑。古い石碑の前にどんどん新しい碑が建てられ新しいものは平成十二年とある。



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