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おにはそと。

節分だというのをすっかり忘れてスーパーを歩いていると、大小さまざまな恵方巻が並んだコーナーに人が集まっている。時は午後3時、半額のシールが貼られているものを見つけてあっけなく軍門に下ってしまった。まあいいか。

節分といえば、少し前に佐倉市美術館で開催されていた地元アーチストによる新春恒例の展覧会に、節分の絵が展示されていた。豆のつぶてを投げられている鬼の顔が今も侵攻をやめない国のボスになっている。他愛もないというか、反戦の意を込めたのかもしれないが、その絵を見てあまりに稚気が過ぎないかと思った。かの国のボスを擁護する気は毛頭ないのだが「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい」では批評・風刺にならない。むしろこういう短絡には別な怖さも潜んでいる。

妻の郷里・岩手県北上市には「鬼剣舞」という重要無形文化財がある。つい先日、盛岡市、奥州市の同様の剣舞とともに「風流踊」としてユネスコの無形文化財に登録されたので聞いたことのある方も多いと思う。鬼のような憤怒の形相の面をつけて踊るさまは、なかなか勇壮で見応えがある。妻はこの剣舞の大ファンだ。

鬼剣舞の面には角がない。鬼ではなく彼らは仏の化身なのだ。踊りながら練り歩くそれは、陰陽道で用いられる呪術的歩行のひとつで「大地を踏み悪魔を踏み鎮め、場の気を整えて清浄にする目的で行われる舞い」の要素と、念仏によって御霊や怨霊を往生させて厄災を防ぐ浄土教由来の要素があるという(Wikipediaによる)。当たり前の話だが、ひとくちに鬼といってもその由来や伝承は無数にあり、それぞれ容貌、人との関わりもすべて違う。

子どもの頃、叫ぶ・投げる・拾う・食うの4拍子が揃った節分は単純に楽しいイベントだった。食べていいのは歳の数だけなんてもちろん守られるはずもない。お前は鳩か。今豆まきをする家庭はどれくらいあるのだろう。落ちたものを拾って食べるなんて、そんな不潔な、ねえ?

「福は内」と引き換えの「鬼は外」、鬼っていったい何(誰)?こんなことだって考えないよりは考えた方が少しは世の中が見えてくるとは思うのだ。
南南東を向いて恵方巻を頬張りながら、だからたかが知れてはいるのだけれど。


見出しのイラストは「やたあかね」さんの作品をお借りしました。山根青鬼・山根赤鬼さんという兄弟の漫画家がいらっしゃいます。赤鬼さんはお亡くなりになりましたが、青鬼さんはご存命で日本漫画家協会の理事をなさっているそうです。


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