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【耄碌録】20210318『龍と苺』、『響 〜小説家になる方法〜』と純文学の定義

マンガを読書に含むのか?
もちろん、含んで構わない。なんの不都合があるものか。

『響 〜小説家になる方法〜』の柳本光晴の新作『龍と苺』の最新刊が出ていたので電子書籍で読む。

『響』はデビュー作で芥川賞・直木賞を同時受賞する天才女子高生作家の話。確か映画実写化された。その『響』と同じように『龍と苺』も天才女子中学生棋士の話。
ともに主人公は天才ゆえか、かなりエキセントリックな行動を取る。それが実にスカッとする。圧倒的な天才の話はおもしろい。

『響』の中で印象に残っているのが、「純文学とはなにか?」という答えのない問いに対してひとつの解答を与えてくれるところだ。

高校デビューに失敗して文芸部に入部した「かよちゃん」(彼女はライトノベルしか読んだことがない)の「純文ってなんですか?」の問いに、主人公の「響」がこう返す。

「太宰、三島、坂口安吾、遠藤周作、大江健三郎、村上春樹が、純文よ」

ギャル風の文芸部部長の「リカ」は次のように問いかける。

「村上龍は? 川上弘美、平野啓一郎、金原ひとみは違うの?」

「じゃあそれも」というのが響の返し。

純文を作家で定義づけるのは確かにありだなと思った。文学をやっている人には常識なのかもしれないが、素人の儂には新鮮だったのだ。

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