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卒業したら楽器に一生触らなくなる可能性について

今でも思い出すことがある。

吹奏楽で実施される夏のコンクールの帰り道、母親の運転する車の中でどうしようもなく泣き出してしまったのだ。

「もう私、楽器に毎日触ることができないんだ…….」

それは上の大会へ進むことのできなかったことへの悔しさではなく、楽器と離れることのへ寂しさだった。

とにかく楽器が好きだった

金賞なんて口約束みたいな部活動、当然上の大会に進めるなんてこともなく、期待もしていなかった。

だって一番練習していたのは私だったから。学校のバンドの実力があらゆる側面で足りてないことなんて、もう本当に十二分に分かっていた。だからといって別にそれを変えようなんて微塵も思わなかった。

私は吹奏楽、というよりは楽器が好きだった。

私の担当はバスクラリネット。初めて音を鳴らした瞬間に「この楽器だ」と運命を感じた。そこからバスクラ一筋で吹奏楽部の六年間を過ごした。なので並クラは吹けない。

とにかく音を出すのが楽しくて、部活の時間とか関係なく練習していた。夜遅くまでいるものだから顧問の先生に車で送ってもらうこともあった(今思うと迷惑すぎ)。

延々と練習する姿が癪に触ったのか、「バスクラがうまくて意味あんの?笑」みたいな嫌味を言われたこともある。私は自分がうまく吹ければそれでよかったので、それでも関係なかった。

部活引退が意味するもの

当時、私は自分の楽器を持っていなかった。家庭の事情もあり、音大に行くという選択肢も自分の中にはなかった。

つまり、部活を引退すれば楽器を日常的に触ることはできなくなってしまう。私はそれに気づかなかったのか、意識的に考えないようにしていたのかわからないが、楽器に触れなくなる日が来るなんて思ったこともなかった。

自分の選択によっては、今後一生楽器を触らないなんてこともあり得るのだ。

それに気づいたのが夏のコンクールの帰り道、母親の運転する車の中だった。

その瞬間、猛烈な恐怖と寂しさに襲われた。

「君は音楽を続けられるでしょ」

同じような気持ちになった人は大勢いると思うが、とはいえ大半の人間がそのまま楽器を辞めてしまうんだろうなと思う。

時間がないとか、場所がないとか、他にやりたいことがあるとか、理由は色々だ。仕方のないことだと思う。

でも私は楽器を演奏するよりも楽しいことがある人生を、結局この先も見つけることはできない気がしている。

コンクール後に顧問の先生にぽそっと漏らしたことがある。

「先生、私楽器をやめてもいいと思える日が来るのが怖いんですよ」と。

先生は間髪入れず「いや、君は音楽を続けられるでしょ」と少し笑いながらなんでもないことのように言ってくれた。

その瞬間に「ああ、この人は私が楽器を楽しんでるのを本当に見てくれていたんだな」と思って、

そこから結局12年経った今でも楽器に触れる生活を送っている。

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