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【Vtuber】好きってなんだろう?"idol"としての『御伽原江良』─ギバラ卒業に際して─

好きとはなんなのだろう?

私は今から配信をほとんど観たことのないVtuberの卒業について語る。こんなにVtuberの配信について触れないVtuberの記事ははじめてかもしれない。

わたしはにじさんじ所属のバーチャルライバー御伽原江良(通称:ギバラ)について何も知らないに等しい。普段から配信を追っている熱心なファンではないどころか、フルで観たことのある配信が、2019年のクリスマスイブ(2019/12/24)に行われた、渋谷のスクランブル交差点と道玄坂を俯瞰カメラで撮影した映像を見ながら、ギバラが街ゆく人々の挙動にツッコミを入れていくという配信だったと記憶している。白地の背景は「今日はただの平日」という黒文字で埋めつくされており、その中央に死んだ目をしたギバラが鎮座するというシンプルだが強いメッセージ性のあるサムネイルだった。街ゆくカップルを見て、ウヴゥッッ……と獣のような呻き声をあげながら、うぜえ、うぜえ、うぜえ……!と叫んでいたギバラがおもしろくて、ギバラと同じく、クリスマスイブが「ただの平日」だった私はつい見入ってしまった。以下、今回確認した配信でのギバラ名言(迷言?)集。Commentは、視聴者からのコメント。せっかくだから、資料としても残しておきたい(切り抜きの少なそうな配信なので)。配信タイトルは「今日は平日だけど渋谷観察しながら妬みを吐いていい日【御伽原江良/にじさんじ】」。超長いので、飛ばしながら読んでほしい笑。

「なんでただの平日なのにホテルが高いんですかね!?なんでただの平日なのにホテルがこんなに埋まってるんですかね!?」
「イルミネーションなんてただ電気がチカチカしてるだけなのに、なんでこんなに人があつまるんですかね!?」
(Comment:虫だから)
「アッハァッ!笑、そう!カップルは虫!」
「ニトリが家に来る予定があったから、掃除したのに、家に不在票入れられてた。」
(Comment:カップルじゃないから存在証明できない)
「今日はカップル以外存在しちゃダメな日なの!?えっ!…………」
「コンビニ行って、今日はせっかくただの平日だから……、単語は出したくないんですけどね、ガトーショコラみたいなのを食べようと思って買ったんですよ!スプーンがついてなかった……。うち、割り箸しかないから、スプーン、店員がくれなかったら、食べれないんだよ……、ないんだよ……」
「ケーキと一緒にハーゲンダッツ買ったんすよ!あれに付いてくるスプーンあるじゃないですか!あれも、入ってなかった……。なんで!?アッ、ヴッッ……なんで?(涙)、独りだからなの!?」
「仕方ないからコンビニでプラスプーン買って家帰ったら、スプーンじゃなくてフォークだった!アッハッ!!キィーッ(笑)クックックッ(笑)、とんだおっちょこちょいだよ!バカじゃねえか!?って。一応ガトーショコラはフォークで食えたけど……ハーゲンダッツはフォークで食えん!!カップルじゃないからか!独り身だから!独り身だからスプーンも買わせてくれない!!」
(Comment:Spoon<ラジオアプリ>をいじったからやぞ)
「ああっ!待って!?そういうこと!?ラジオアプリSpoonの呪い!?あの先日ね、ゲリラで配信したスプラトゥーンしてたときの配信のタイトルとかぁ、配信の中で~、Spoonっていうラジオアプリの広告のマネをずっとしてたんすよ~。あのぉ、なんだっけ『眠れるまで私とお話していきませんか?』のタイトルとかをけっこうイジったりしてぇ……、『眠れるまで私と一緒にお話ししていきませんか?ヴェッ!』みたいな(笑)、『ヴェッ!』みたいな(笑)感じので~、イジったりしてたんすよ!待って!?そういうこと!?」
「可愛い女が道玄坂にいる!ああ、可愛い女が画面外に。。あああ……可愛い……。格好でわかる、あれは絶対可愛い!」
「カップルの中にすげえ歳の差があるヤツいる!あれ絶対、パパ活か〇(ピー音)交なんだよな!」
「あ!あ!あ!!!カップル、カップル、カップル!!(ここで「あああ、ゴミカスぅ!死ねェッ!」の音声素材投入)」
「手ェ繋いでる奴ばっかいてキレそう……」
「ああちょっと待ってこれ!道玄坂!ああ絶対これラブホ探してる!!ああ、絶対こいつらラブホ探してる!!」
「点字ブロックの上乗っちゃいけませぇーん!ああダメでぇーす!いけませぇーん!」
(Comment:ギバラ、ラブホ行ったことないの?)
「えっと、普通に女の子とお泊りで1回?2回?2回か!なんてこと言わすんだよ!!クソッ!!」
(Comment:えっちなことしたんですか?)
「してません!(笑)お風呂入って寝ただけです!」
「ラブホってどういう導入の仕方したら自然なんだろう?『ちょっと休憩していきませんか?』とか言うのかな?」
(Comment:どうせ酒に酔わせて判断力鈍らせてるんだぞ)
「そうだ!そういうことだ!なんか酔った勢いでいつの間にか知らない男と寝てたみたいな……。横には裸の男が……みたいな。なんかそういうマシュマロ来てたな、そういえば『クリスマスに浮かれた脳カラ女とパ〇パ〇した後、ヤリ逃げしたいんですが、どうしたらいいですか?』ってマシュマロが来てた。。くたばればいいのに!!」
「一夜限りの関係って、男がよく求めているのはなんとなくわかるんだけど、女側が求めてることってあんのかなあ?まあでもあんのかなあ、ヤリ〇ン(ああ~、ピー音、ピー音)ヤリ〇ンって言葉もあるくらいだからね」
(Comment:全部手遅れなんだが……)
「誰が人生手遅れじゃ!!やがましいわ!!」
(Comment:ギバラって行き遅れ女子って感じがする)
「やかましいわ、だれが行き遅れじゃ!!あkんjdjskfdjsn(意味不明な文字列)」
「こんなに可愛いのになあ。。なんで彼氏できないんだろう?」
(Comment:性格。メンヘラだから。)
(Comment:渋谷に行けよ)
「ナンパ待ちってこと!?でもナンパしてくる人間はろくでもないから……。一応、人間として私は存在してるんだなって、ナンパの人には感謝しつつさよならする」
(Comment:服装がメンヘラならそう見られるぞ)「そうなんだよなあ。。パッと見でわかるメンヘラだからなあ。。」
「私はなんなんだろう?メンヘラの中でも存在価値のないメンヘラな気がしてきた。。無駄に理想が高いというか。。なんか、メンヘラって結構まあ、チョロいんすよ、結局のところ。チョロいから、正直押せばわりかしヤレ、、アッ、〇(ピー音)レるんですよ。(中略)無駄にチヤホヤされてしまっているから、なんかプライドが高いんですわ!たぶん!もうゴミじゃん!どうしよう!?メンヘラなのにチョロくないってもう、もうただのゴミじゃん!エへッ、ヴーン!(泣)(中略)バーチャルYoutuber、まあかわいいんで。かわいくてチヤホヤされるのに、外に出ないから、無駄にプライドだけが高く、どんどんね、タワーのように、東京タワーくらい、いやスカイツリーくらい高くなってしまって……メンヘラなのに」
「今日やってない(配信してない)ヤツ(配信者)って、”そういう”ことじゃんね……。いやまあ、彼氏じゃなかったとしてもだよ!私、私あのぉ、考えが童貞なんで、Vtuberには彼氏がいないって思ってるんですけどぉ、絶対いないと思って過ごしているんですけどぉ。。てか友達とかに彼氏がいると正直考えたくないんですけどぉ。。友達とかとね!夜、リア友とかとパーティとかしてるかもしれないし、飲み会とか行ってるかもしれないじゃん。許せなくね!?なんで?なんで私独りでこんなことしてるんだよ……。いや、許せねえよ……いや、許せねえよ……」
「今日という日の、絶対に単語は出したくない」
「わぁ、かっぷっぷっぷっぷぷ!クッソォ……フッてこっちの画面に顔向けるとカップルだらけ。ぎゃあああ!!」
「女がさあ男から若干離れてチョコチョコチョコって歩く、走る?小走りする感じ、めっちゃかわいいよね、超ムカつく!でも私はやる!(笑)。で、そのあと、手ェ繋ぐんだよな!F●●k!!」
(Comment:また酔ってるな……)
「酔ってねえよ!(中略)ああJKだ。生足だ!生足!あれ生足!?生足魅惑のマーメイドォォッ!!」
笹木さんがTwitterで「みんなコラボするのになんも予定ない~」とか言ってて、「えっ、わかるわかる~」って思ってたら、数時間後に「コラボするやよ~」とか言い出してさあ!笑。(中略)仲間だと思ってたのに……。「3人でコラボするやよ~」って言い出して。。あんとき、いいねしなくてヨカッタァ……。もう少しで恥かくところだったわ!
「地雷服はチョロそうに見えるから印象悪くないとおもうんだよねえ。。ワンチャンヤレそうと思われるから」
(Comment:「ナンパはワンナイト狙いだから嫌だ」というギバラに対して、「じゃあどこで出会うの?」)
「ないからこうなってるんだよ~。こんな仕事してたら出会いないに決まってるじゃん!!(´;ω;`)」
「彼氏がいるっていう肩書きがほしい」
「わああ!ペアルックだあ!滅べ!!!」
「スクランブル交差点は意外と1人の人多いなあ。。。いや、そんなことねえわ!全然2人連れだわ!ホテルで見てる?アアア!!あkんjdjskfdjsn(意味不明な文字列)F●●k!!!」

今確認したらこんなことを言っていた笑。やたらと取れ高の多い配信だった(だから、書き起こし部分が超長くなった笑)。「クリスマスイブにカップル/リア充に妬み嫉みをぶつける女の子」という意味では、数あるギバラの配信の中でも、"普通"の配信だったと記憶している。私も(私たちも)Twitterで仲の良かった人たちと一緒になって、Twitter上で「はい。ただいまから21時の点呼を始めます。みなさま、いらっしゃるでしょうか~?」とか言ってふざけて遊んでいた楽しい(悲しい)思い出がある笑。残り少ない時間でいちばん観たかった(私にとっての)思い出の配信だったので、3回くらいじっくりと観なおした。配信最後でのギバラと視聴者のやりとり。

*L:リスナー、G:ギバラ
L:「あれ?今終わるってことはお前……?」
G:「こんな時間から出るわけねえだろ!!」
L:「ここで終わらすってなんか予定あんの?」
G:「ねえよ!ゲームするよ!(一瞬の間)ゲームするよ!!!ハァ……」
L:「配信たすかる」
G:「配信しろってこと!?ずっとスプラトゥーンするしか能がないんですけど。朝までずっとスプラトゥーンですよ」
L:「無言で良いからゲーム配信して」
G:「お前ら寂しいやっちゃな~(笑)。ホントにいないんじゃん、お前ら(笑)」
L:「マジで用事ないんだなwww」

というリスナーとギバラの間でのメンヘラ彼女とそれをなだめる彼氏(の性別逆バージョン)みたいなやり取りがあって、すげえ笑ったのを覚えている。このあと彼女はTwitterにだけ配信リンクのアドレスを貼り付けて、限定公開(メン限ではない)で本当に「スプラトゥーン」の配信をやっていた。限定公開にした理由は、Youtubeの「御伽原江良チャンネル」のいちばん上に独りでゲームをやっているLive中の表示があるのを見られるのは、自分のプライドが許さないからということらしい笑。上記の名言集(迷言集)やリスナーとのやりとりにも現れているように、月ノ美兎委員長や郡道美玲先生のように「RPを守らないRPをするキャラ」として、非常に庶民的で親しみやすく、リスナーとの距離が近いライバーの1人だったとあまり配信を観られてこなかった私は思う。

と同時に、最終配信となった「2周年記念配信」を観て、「この子は良くも悪くも"欲"というか"野心"のようなモノをあまり感じない子だなあ」と思ってしまった。この子は「にじさんじで1番になりたい」とか「Vtuber界で1番知名度のある存在になりたい」とか「人気になってアイドルみたいにステージに立ってチヤホヤされたい(これはpetit fleursとしての活動やその他ライブへの出演である程度叶ったのかもしれない)」という"欲"というか"野心"が他のライバーよりも小さい、「どこにでもいる"普通の女の子"」なんだなと。

Vtuberとしてここまで数字が伸びているのは、全然"普通"ではないのだが、彼女のコアは「普通の女の子」という感じがする。「にじさんじ」という大手事務所に所属しているとはいえ、その中でも人気有数のトップライバーの1人となれたわけだし、一時期のチャンネル登録者数の伸び方を見ると、あのままの頻度で配信を続けていれば、今ごろ葛葉や委員長と同じ位置に居られたかもしれないのに、本人にそうなってやろうというギラギラした"野心"みたいなモノは私には見えなかったし、彼女の多くのファンも同じように感じていたと思う。ギバラからは「なんかここまで売れるつもりなかったのになあ……。エラいとこに来ちゃったもんやなあ……」とでも言いたそうな感じがした。

ギバラといえば、ゲームでのリアクションなどで見られる「大声暴言芸」(「大声暴言芸」とはいえ、それは他者を傷つけるようなモノではなかったし、鬱積した感情の爆発として見られた現象であることに視聴者がおもしろさを感じていて、芸として成立していたことは配信をあまり観られなかった私でもわかる)で有名になった人だと思うのだけれど(「ゴミカスぅ!死ねェッ!」の発言はあまりにも有名)、彼女はずっとそういう発言を期待されて、疲れてしまったんじゃないだろうか。これは彼女の配信をほとんど観られていない私の邪推であるから、ファンの皆さまは気にかけないでほしい。視聴者に求められるキャラと素(自然体)の自分のキャラの乖離。いや、あれが素のギバラではなかったとは言わない。ギバラのrealな一面であったことはたしかだろう。しかし、人間というのは多面的な生き物で、たとえそれがrealであっても、ある一面だけにフォーカスされて、それを求められると疲れてしまうのだと思う。そういうこともあって、一時期メン限に閉じこもって配信をしていたのかなあ……なんて邪推もしてしまう(私は彼女の熱心な視聴者ではなかったからそう思ってしまうのだろう)。Vtuberというのも人気商売だからキャラクターが立たないと売れないという側面もあるし、難しいところだ。御伽の国のシンデレラ的な大学生で家庭的な女性という当初の設定(RP)が窮屈だったのも事実だったのだろうし、その後の「大声暴言芸をする"ギバラ"」というキャラクター(RPを破るRP)にさえ窮屈さを感じはじめたのも事実だったのではないか。なんというか、適切な言葉が見つからないが「普通の女の子」に戻りたいと思ったというのが、今回の卒業の理由のうちのひとつなのではないかと私は感じた。
(もちろん、理由は複合的なモノであると思うし、最後の配信でも述べられていたように「Vtuberよりもやりたいことが見つかった」から、配信活動をやめるというのがいちばん大きな理由だろうとは思う)

最後の1~2ヶ月のゲーム配信は、「大声暴言芸の"ギバラ"」ではなく、「等身大の御伽原江良」としての配信だったのではないかなあと思っている。あれが本来の(というより自然体の)ギバラ(に近い)なんだろうなと。ギバラの卒業が決定してから、デトロイトの配信を少しだけ観たが、随所に"やさしさ"が滲み出ていた。ゲーム冒頭のダニエルとの交渉シーンでダニエルに感情移入するところとか、カーラとアリスに感情移入する場面はもちろん、エデンクラブでセクサロイドのカップルを撃てないシーン、テレビ局ジャックの際に負傷したサイモンを撃てないシーン、カールとマーカスの再会のシーン、エンディングでのコナーとハンクの再会シーンなんかでは特に登場人物に自身の感情を憑依させて一緒になって共感してしまう、彼女のやさしい部分が現れていた。

私は冒頭でも述べたとおり、ギバラのことが"すごく"好きなわけではない。好きではないといえば、語弊がある。正確にいえば、ギバラのファンの人たちに胸を張って「好きです!」といえるほど、彼女の配信を観ていない。でも、彼女のことは好きだ(好きではないのに好きだという矛盾笑)。2019年のクリスマスイブ配信で一発で心を掴まれた。ただのクリスマスをネタにした雑談配信だったが、彼女にはそれくらい観ている者の心をグリップする「握力」があった。この力があれば、これからの人生でも成功を掴むだろう。と私は楽観視している。

にわかだが、ギバラのことが好きだからこそ「大声暴言芸」だけでない「"普通(自然体)"の御伽原江良」でいいから、もっと長く見たかった(最後の1~2ヶ月のゲーム配信みたいなやつ)。やっぱり私たちはギバラに"普通"を期待しないか?笑。私はギバラのファンを名乗れないので、イチVtuberの視聴者として所感を述べると、視聴者として最もうれしいのは、活動者が活動を「細く」ても良いから「長く」継続してくれることだ。活動を完全にやめてしまって、今生の別れになってしまうのがいちばんつらい。人間というのは「不可逆」なモノが恐いのだ。「死」がその代表だ。一度、生死の境を跨いだら、二度と返ってこれない。ライバーにとっての「死」は活動を卒業/引退するときだと思う。一部の例外を除いて同じキャラクターとしてその場に戻ってくることはない(メタ的な表現で済まない)。転生だとかなんとか言われるけれども、魂が同じでも『御伽原江良』として戻ってくることはもうない。ということは、今回の卒業は『御伽原江良』の「死」を意味する。

いや、Vtuberを、御伽原江良をひとつのidol(偶像)として見なせば、どうなのだろう?我々が信じ続ける限り(信仰し続ける限り)我々の心の中に生き続けるのだろうか?これは、偶像崇拝なのか?私はこの(偶像崇拝の対象としての)意味で『御伽原江良』はidolではないと思う。厳密には、『御伽原江良』というファンからすれば神仏に"類する"モノをかたどったidol(偶"像")ではあるが、idol(偶"像")そのものを信仰(崇拝)対象にしないという意味で、いわゆる「偶像崇拝」とはちがう形で我々の心の中に生き続けるモノだと思う。

御伽原江良は、たしかにidol(偶像)ではあるが、偶像崇拝の対象としてのidol(偶像)ではないと言った。これは具体的にはどう説明できるのか?

別にここでキリスト教を持ち出す必要性はないのだが、『御伽原江良』の存在が我々ファンの心の中では決して消失せず、生き続けるということに少しでも根拠をもたせたくてキリスト教の考え方を持ち出してみる。
キリスト教では、偶像崇拝は禁じられているが、カトリックの教会にはキリスト像やマリア像がある。これはどういうことだろうか?

あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。
──新共同訳聖書 出エジプト記、20章4-5節『モーセの十戒』
引用:『偶像崇拝』Wikipedia

これはどういうことなのか?というと、次のように考えるのだそう。ある牧師のお言葉。

『像は象徴です。その本体を考えるために象徴としての像があるのです。新約聖書でイエス・キリストは「私を見たものは神を見たのだ」とおっしゃった。イエス・キリストという象徴を見ることで、その本体である神を見なさいということでした。象徴を見て、本体を考えるのです。もし本体を考えなければそれは偶像になってしまいます。』
(中略)
像自体を拝んだら偶像崇拝になってしまうけれども、その像を見ることでその本体であるイエス・キリストを考えるならば偶像崇拝にはならないということなのです。
十字架もそれを見てキリストが私たちのために背負われた苦痛を思い、その愛を考えないならば、ただの偶像になってしまうでしょう。
引用:http://bible-cafe.com/story/305

像自体を拝んだら偶像崇拝になってしまうけれども、その像を見ることでその本体であるイエス・キリストを考えるならば偶像崇拝にはならないということなのです。

一神教であるキリスト教の神にそのまま彼女をなぞらえるわけではないが(そんなことしたら多方面から怒られる)、キリスト教的な考え方を持ち込むと、『御伽原江良』という像自体を拝んだら、偶像崇拝になってしまうけれども、その像を見ることで『御伽原江良』本体に想いを馳せるのであれば、それは偶像崇拝にはあたらない。彼女は我々の心の中に生き続ける。

また、キリスト教では神の国に対して、以下のような考えがある。

神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
──ルカによる福音書、17章20節
引用:『ルカによる福音書(口語訳)』Wikipedia
また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
──ルカによる福音書、17章21節
引用:『ルカによる福音書(口語訳)』Wikipedia

神の国とは常に願い続け、求め続けている者の心の中に現れるものである。それは信仰によってもたらされる喜び・心の安穏に他ならない。

『御伽原江良』は、YouTubeのアーカイブが消えようとも、Twitterのアカウントが消えようとも、にじさんじのHPから消えようとも、彼女がバーチャルの世界で生きてきたいかなる痕跡が消えようとも、願い続け、求め続けている限り、私たちの心の中で生き続ける。仮に手元にあるグッズを並べて「江良ちゃ~ん!!💧💧」となったとしても、『御伽原江良』本体への想いは残り続ける。これを偶"像"への崇拝ではなく、本体への信仰と呼ばずして何と呼ぼうか?

御伽原江良は、実にあなたがたのただなかにあるのだ。

一方、idolには「誤った認識・謬見・イドラ」の意もあり、我々が観ていた「ギバラ」は文字どおりの「idol; 誤った認識」であったのかもしれない。

*イドラというのは、フランシス・ベーコンという哲学者が、著書『ノヴムオルガヌム』において述べた人間が陥りやすい4つの誤り(偏見)について述べたモノである。こちらのサイトがわかりやすい。

Wikipediaのリンクも参照されたい。話の主題から逸れるので、長い引用は避ける。

ギバラは現在一般的に認識されているidol(アイドル、崇拝対象)であり、我々の信仰によって、我々の心の中に生き続けるidol(本体への信仰の媒介とされる偶像)であり、同時に我々の誤った認識としてのidol(イドラ)でもあったのではないか。彼女は我々に魔法をかけて、我々に夢を見せて去っていく。だが、彼女は我々の中でずっと生き続ける。

2年間というのは、短いようで長い。「走り続け」るには長すぎる距離だったかもしれない。私としては、彼女とともに2年よりも長い年月を「歩み続け」たかった。これはもう、わがままでしかないが、idolとしての「御伽原江良」だけではなく、realな「御伽原江良」をもっと観てみたかった(私が観ていなかっただけの可能性もある笑)。いや、人間が演じることに窮屈さを感じるというのもひとつのrealだな。多くのVtuberファンに共通するところだと思うのだが、2次の中に3次の要素(先述したrealな要素)を感じさせるところがVtuberの魅力(の少なくとも1つ)だと私は思っている。それをいろんな形で見せられてきた。時には好ましい形で、時には嫌悪する形で。

今回のギバラの卒業も例外ではない。ただ、後者のように嫌悪を催すような形での3次元性の表出ではないと私は思っている。(もちろん、Vtuberをやっていて良いことばかりではなかったんだなというのは、最後のコメントからも伝わる。ときには自分のキャラと乖離したことを求められたりという話はもうした)

1人の"普通"の女の子が『御伽原江良』あるいは『ギバラ』として、2年間懸命に走り続けてゴールテープを切ったのが今回の卒業なのだろう。Vtuberとしてやりたいことは全部やりきっての卒業に見える。にじさんじのオーディションでは人生がうまくいかなくて、人生相談をしたと言っていたヤツが、前向きな目標を見つけて、新たなスタートを切ることは喜ばしいことでしかない。1人の人間の人生を良い方向に変えたのか、悪い方向に変えたのかは、これから先のギバラの生き方次第といったところだと思うが、私としては配信者としての活動が、人生をマイナスからプラスに転じるきっかけになったのだとしたら、Vtuberを応援していて、これほどうれしいことはない。

好きとはなんなのか?

その解のひとつは、対象をidolとして見て"しまう"ことだと思う。それは一般的な崇拝対象としてのidolであるし、本体への信仰の媒介としてのidolでもあるし、(我々が)誤った認識をしてしまうという意味でのidolでもある。私を含むVtuberファンからすれば『御伽原江良』は紛れもなく"idol"であった。

ギバラ最後の配信後のTwitterでのコメント。

先程の配信でもお伝えしました通り、本日をもちまして私 御伽原江良は、にじさんじを卒業させていただくことになりました。

2年間本当に色々ありましたが、とても多くのことを考えさせられる、とても有意義な時間だったと思います。

今まで一瞬でも私のことを応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。皆様の言葉で沢山救われてきました。

また皆様とご縁がありますように。

──御伽原 江良、Twitterアカウントより

一瞬でもギバラのことを応援できてよかった。ギバラが応援してきたファンの言葉に救われたように私もギバラの配信や切り抜きを(ほんの少しだが)観て、数々のおもろい言動に救われた。同じこの世界のどこかで生きるあなたの今後に幸多からんことを。いつかまた、どこかで。

最後の配信のラストで、「ライバー活動をやる前後で人生が180°通り越して360°変わった」と言っていたギバラ。「360°は厳密には1周して何も変わってないじゃないか!」とツッコまれていたけど、ギバラも配信で言っていたとおり、1周する間に色んな景色を見てきたうえで新たにスタート地点に立っているというのが今のギバラの状況だと思う。その意味で今後の人生で見える景色はまったくちがうモノになってくるのだろう。今後の人生はニューゲームだ!より強くなったギバラでこれからの人生を力強く歩んでいってほしい。

最後に言わせてくれ!ギバラ!卒業おめでとう!でも、キミがいなくて寂しいよ!新しい世界でも活躍してくれ!泣きそうだ!戻ってきたくなったら、いつ戻ってきてくれてもいいんだぞ!これから頑張れよ!おつえら!!
さようなら。


*本記事は付け焼き刃の知識で書いたので、宗教学等に精通した方々からすると、怪しい記述が散見されると思いますが、おかしなところがあれば(たぶんありますね笑)、ご教授いただければ幸いです。

**以下、おすすめ記事です。過去記事はマガジンにもまとめてありますので、一度でも目を通していただけるとうれしいです。



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