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トウデン国の傷痍軍人


或る処にトウデンという国がありました。

トウデン国の誇り高い軍人たちは、自分たちの国を守る為に強くなり、勝ち続けました。


民衆は歓喜しました。


やがて偉い人たちがたくさん現れて、軍人たちの命を自分たちの地位と名誉と金に替えてしまいました。

そしてある夏の日、目で見る事も出来ない小さな粒の力により、その国は滅ぼされてしまいました。

後日、軍人たちが母国に戻るとそこは違う国になっていました。

応援してくれた人達は何故か白々としています。

大声で命令していた偉い人たちの姿が見えません。

驚いたことに仕事も食べ物も教育も、芸術すらも変わり始めました。


もうそこに居場所はありませんでした。

軍人たちは傷を撫でながら、ひっそりと血の涙を流しました。


・・・


小生85歳、69年前の8月15日、疎開先の岩手県で玉音放送を聞いていました。

まだ、中学生だったので天皇陛下のお言葉は難しくて良くわかりませんでしたけれど…(涙)

近い将来、戦争に行くと思っていた私は、恥ずかしくもホッとしました。


ところで、戦後、元軍人たちの多くが職業難で苦しんでいたことはご存知ですか?

特に傷痍軍人はまともな仕事に就けず、駅などで物乞いをしている姿は昭和50年頃までよく見られました。

戦争に行くときは盛大に送り出され、帰ってきたら居場所がない。
戦争に行っていたから学もなければお金もない。
仕事もない、家族もいない。

その辛さ、ちょっと考えられないですよね?

私だったら、オリンピック選手並みに銀座で凱旋パレードをしてもらい、がっぽりお金を請求して、残りの人生を悠々自適に過ごしたいところです。


でも、世の中は想像よりもずっと冷たかった。


そして、もう一つ軍人たちを苦しめたのが、戦後の急激な世論の変化です。

軍人たちが必死に守った〝それまでの日本〟は、高い知識を持った人たちにより教育と芸術の強大な刃で切り刻まれ、〝新しい日本〟に変わりました。

他国をして、その転身の浅ましさは驚愕せしめた程で、「ペンは剣よりも強し」の言葉も皮肉に響きました。

時代の潮流に翻弄され、ただの捨て駒のように扱われた軍人たち・・・

帰る〝所〟と〝心〟を失った者たちの虚無感は言語を絶し、多くの軍人は口を閉ざし、やがて心も閉ざしてしまいました。


さて、表題です。


敢えてセンセーショナルに導入しました。

何故なら、原発事故後の世論の変化が戦後にとてもよく似ているからです。

罪を犯した人たちは、ちゃんと裁かなくてはならない。

急激に世論が転じるのもわからなくもない。

しかし、現場で苦労している人たちはちゃんと評価するべきだし、サポートすべきだと思う。


終戦記念日。

父と大勢の軍人たちに黙祷を捧げ、今も高い放射線を浴びながら国のために戦う原発作業員たちの無事を祈りました。

もう二度と、傷ついた兵士たちの苦悩を繰り返してはならない。

現場の人間に感謝という光を照らしたい。

そう願いを込めて。