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自分の死を金で買う時代。
夢を見た。
僕は薄暗い教室でひとり、国語の試験を受けていた。
ある文章の中に出てくる「欲求」に関する語に傍線を引き、それぞれの欲求がマズローの欲求段階のどの段階に当たるか分類をしていくのだ。
「もっと寝たい」というのは「生理的欲求」であり、「友達が欲しい」というのは、「所属と愛の欲求」だろう。
「何となく死にたい」という文章が出てきた。
タナトスか・・・これはどれに該当するのだろう?
死が祝福されているからこそ、生にも価値がある。
前回のエントリー「自分の死を金で買う時代。」で、「大切な同僚の死を受け入れることなんて出来ない」という意見をくれた人が居た。
大切な人の死を受け入れられないというのも、身近な人が自殺をしようとしていたら止めるのも、当たり前のことだ。
僕も大事な人を亡くしたことがあるし、その気持ちはとてもよく分かる。
それを咎めようとしている訳ではない。それはそれでいい。
ただ、自殺を止めるという
無限の広さを持った白の牢獄。
人間が不自由なのは、「生命を与えられた存在」だからだ。
生命には、「自己保存」と、「繁殖」という目的がある。それは本能として、深く僕らに刻印されている。その本能に抗って生きることは出来るかもしれないが、無視して生きていくことは出来ない。その点において人間は不自由であり、だから本当の自由を獲得するには、ただ死の瞬間を得る他ない。
「目的」を持って生まれてきたということは、僕らが「呪い」を