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№773 こだわる?

たまに「座右の銘は何ですか?」と尋ねられることがある。

「そうか、座右の銘を決めておかないといけないのだな」と思った。

たしかに、世渡り的に便利なアイテムかもしれないな、と考えたのである。

そもそも人はどうして、そのように物事をあれこれ決めておくのだろう?

たとえば、好きなものを尋ねられたら、
すぐに返答できるように用意しておく、ということだろうか。

まるで品揃えの良い商店のような心構えである。

そういえば、むかし、雑誌を眺めていたら、
複数のアイドルの自己紹介のところに、
「好きな色」や「好きな言葉」が挙げられていた。

馬鹿な質問を並べたアンケートでも取った結果だろうか。

そのときも、ボクは不思議に感じた。

世の中の人というのは、好きな色を決めているのか、
好きな言葉が一つに絞れるのか、
という素直な疑問である。

自身を振り返ってみても、
そういった「決めているもの」がボクにはない。

色はけっこう派手な方が好きで、
たとえば自分が乗る車を買うときには、赤か黄色か青、つまり三原色で選んできた。

でも、そのときどきで熟考した結果、
たまたまそうなっただけのことで、
三原色が好きだと決めているわけでは全然ない。

それは車にもよるだろう。

その車種によって、似合う色があるように感じる。

自分の靴や帽子を選ぶ場合でも、
決めている色で選ぶのではない。

その靴やその帽子なら、何色が良いか、とそのつど考えるだろう。

ボクの場合、たまたま黒色が多かったりするけれど、
特に黒が好きだという理由もないし、
好きな色と認識しているわけでもない。

黒色だって、千差万別で、さまざまな黒色があって、「黒色」という名称で好きな色にされたくない気持ちもある。

そういった経緯があったから、ボクは色に対して「拘りがない」といえるだろうか。

それとも、そのつど何色が良いかと考えるのだから、「拘りがある」と見るべきなのか。

こうなると、「拘る」という言葉の定義の問題になってしまう。

なにものにもこだわらないとしたが、
これはボクの、座右の銘である。

この場合の「拘る」とは、
「自分はこれだと決め込む」
「一度決めたものに固執する」という意味であって、
「拘らない」ことを実行するためには、
毎回考える必要がある。

だが一方で、「そのつど考える」ということに「拘っている」となると、
言葉の意味として矛盾してしまう。

「なにものにも拘らない」を貫き通せば、
このルールに拘っていることになるから、
それを避けるために、
正確には「なにものにも拘らないようにしたい」くらいの緩さを含む必要があるだろう。

言い換えると「ときどきは拘ることがある」という余地を残しておかないと、
自己矛盾になって、方針を貫けない。

実は、この点が大変重要なことだと感じている。

「ルールを決めない」という方針は、
それ自体がルールになりかねない。

「なんでも」とか「絶対に」というものを排除する方針なのだから、
すべてに例外なく当てはめる姿勢が間違っている、と考える。

したがって、「だいたい、こうありたい」という方向性を維持していく。

そんな姿勢というか生き方が、
今もっともボクが望んでいることだ。

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