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白洲次郎こそ日本で最高のベストジーニスト!?

白洲次郎。
日本で初めてジーンズを履いた男性として
ファッションの世界では知られていますよね。

19歳でイギリスに留学。
ケンブリッジ大学に進み、学友と円滑な
コミュニケーションを図るため高級車ベントレーを
購入し乗り回していたのは有名な話。さらには
ブガッティまで購入しレース三昧だったとか。


そしてこの留学時にもう一つ彼が覚えたことは
オーダースーツ。
オーダースーツはサヴィルロウの「ヘンリープール」
で誂え、シャツは「タンブルアンドアッサー」。
ハットは「ジェームズロック」傘は「ブリッグ」
トランクは「ルイヴィトン」小物は「ダンヒル」と
決めていたそうです。
これこそが「日本のダンディズム」を体現した
白洲次郎なんですね!

そしてジーンズ。
これにはひとつ面白い話があります。
白洲次郎は1950年、池田勇人大蔵大臣とともに
羽田からサンフランシスコに飛び立ちます。
これは翌年に控えた
「サンフランシスコ講和会議」の下打ち合わせで
吉田茂首相の特使として派遣されます。
当然の如く彼はスリーピーススーツに黒のソフト帽
で空港に現れ、畿内に消えていきました。
ところが彼は畿内である服に着替えます。
これこそがジーンズにTシャツであったと
言われています。
なぜ着替えたか。
この時池田勇人は対アメリカとの交渉に備え
かなり緊張していたそう。
その緊張をほぐすため白洲次郎は
ジーンズとTシャツに着替え、「アメリカは
作業着のジーンズを普段履くくらいの国」だろ
と思わせて、相手をのんでかかる心意気を
示したんです。
こんなことも粋ですよね!


それにしても映画「乱暴者」よりも前に
ジーンズにTシャツだったなんて。
若者の象徴として語られるこの組み合わせ。
おそらく当時の労働者達は当たり前にこの
ジーンズにTシャツスタイルで映画以前から
街中を歩いていたことが想像されます。

それを白洲次郎は実際に何度もみていたのでは
ないでしょうか。

白洲次郎は
そうある意味で言えばジーンズを日本で初めて
履いた紳士と言えるのかもしれません。


そしてそのジーンズ僕はずっと
「リーバイス501XX」だと思ってました。

でもこの前写真を見ていたらどうも違う。
アップにしたらバックポケットにはどうやら
「レイジーS」があしらわれていて、クロスの
バータックが見える。そう!Leeの101みたい
なんです。

正面から撮られている写真はロールアップされ
耳は両耳にも片耳にも見えるのでこの角度では
わかりませんでしたが横からの写真で納得。

もちろん白洲次郎は何度もサンフランシスコに
渡ってるわけですから501も持っていて不思議では
ないですが、こと写真に関してはどうやら
Leeの101のようです^_^

生き方もファッションも白洲次郎のように
なりたいですね!

そうそう
白洲次郎はその後もとても車好きで
晩年はポルシェを愛し、長く乗っていました。

また2代目トヨタソアラにも関わっていたようです。
初代ソアラを所有していた白洲次郎は
トヨタの開発者に車の「苦情」を伝え、
その後2代目開発までずっと交流を続けながら
開発のアドバイスをしたそうです。
残念ながら白洲次郎は2代目発売前に他界したのですが
奥様の正子さんが、免許を持たないにも関わらず
購入したそうです。

歴史の人でありながら何か身近に感じて
しまうのは私だけでしょうか

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