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『乱』と『変』と『役』

日本史を習っていると、「○○のらん」や「△△のへん」や「◇◇のえき」といういくさの名称が何度も出てきます。詳しい内容は知らなくても、『応仁の乱』や『本能寺の変』くらいは聞いたことがあるでしょう。では、乱と変と役は何が違うのでしょうか?。

らんは、「権力を持つ側(朝廷・幕府)に対する反乱やクーデター”を意味する歴史用語です。乱は、”失敗に終わった反乱”や”反乱を起こしたが鎮圧されたクーデター”という意味のニュアンスを持っています。例えば、平将門の乱、平治の乱、承久の乱、応仁の乱、島原の乱などがあり、これらの反乱は権力者側によって鎮圧されています。

ちなみに応仁の乱は、室町時代中期の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年に及んだ内乱です。この乱の主役は、足利幕政の中心であった細川勝元と山名宗全の2大有力守護大名です。このとき、幕府を東西2つに分ける大乱となって、各々の領国にも争いが拡大するという内乱になりました。この乱で京都は壊滅的な被害に遭っています。現在にも残る西陣という地名は、応仁の乱の西軍が陣を構えていた場所です。

それに対して、へんは、「時の権力者や権威者に対する反乱・クーデターで成功したもの」を意味する歴史用語です。例えば、最も有名なのは『本能寺の変』です。本能寺の変では、天下人間近の織田信長が、家臣の明智光秀に殺されてしまいました。明智光秀は一時的に政権を掌握しますが、豊臣秀吉によってすぐに倒されます。そのため明智の天下は『三日天下みっかてんか』などと呼ばれています。

乱や変は国内限定の内戦ですが、大規模な対外戦争にはえきが使われます。元が日本に攻めて来た元寇は、文永ぶんえいの役(1274年)と弘安こうあんの役(1281年)です。また、豊臣秀吉の朝鮮出兵は、文禄ぶんろくの役(1592-1593)、慶長けいちょうの役(1597-1598)です。

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