大学1~2年:創作活動を始める話

<文字数:約22700字 読了目安時間:約43分>

入学式
 主人公であるエス、つまり「僕」は大学生になった。
 大学の外にある、総合グラウンド体育館という公共施設のような所で入学式が行われた。大学の入学式が大学の敷地内で行われない事が不思議というか、突き放した感じというか、変な感じだ。

オリエンテーション
 学部1号館・第5講義室にて、オリエンテーションが行われた。広くて綺麗な講義室に入った時、傾斜があるのを認識した。高校までの平らな床と机と椅子ではない。後方の生徒の方が高い位置にある。机は完全に固定されている。椅子は可動式で、座っていない位置と座っている位置とで稼働する。そのうち、先生…いや、「教授」が現れ、壇上に立ち、大学の概要や今後の流れについてプレゼンテーションした。シラバスと呼ばれる本が配布され、数多くのプリント類が配られた。
 オリエンテーションが終わると、「もっと人脈を作らなきゃなー」と言いながらいろんな学生と会話している意識の高そうな学生もいれば、後の方でずっと携帯をいじっている意識の低そうな学生もいる。

大学のルール

 大学という環境は、いろいろな事が今までと違いすぎて面食らう。小学校から高校までの雰囲気と全然違う。まず、クラスや自分専用の席というものが無い。何をどうすればいいのかヒントが殆ど無い。なにもわからない。学部の建物の入り口近くにある掲示板をチェックする必要があるらしい。わけがわからなくても、誰かに聞こうにも、小中高の頃からのクラスメイトはもうほとんどいない。

シラバスという本
 自分の受ける授業を決める必要があると言う。授業ではなく「講義」というらしいが。春の間に、自分の今後の講義の構成、つまりカリキュラムを自分で構築しないといけないらしい。「シラバス」という謎の約1cmもの分厚さの本を紐解くと、大学でどんな講義があるかが説明されている。講義を受けて一定の成績をおさめれば「単位」というポイントが加算され、単位が一定以上であれば進学できるという。大学生になって初めてのシステムだ。だが、シラバスを読んでも、全くといえるほど理解できない。複数の表があって、複雑な文章が長くて専門用語が沢山飛び交っていて、さっぱり頭に入ってこない。
 こうなると兄しか頼れる存在がいない。兄は同じ大学の3回生(3年生)なのだった。しかし兄に頼るのは、何故か敗北したような気がする。

兄との距離
 2歳上の兄は同じ大学に通っており、最も自分と近い立場の人間のはずだ。だが、僕がシラバスに苦戦している様子を知った兄が、僕になにか助言をするのではなく、母に報告しに行った。
 最近、兄と距離を感じる。兄に対しても普通に接する事ができなくなっている。兄の態度にもなにか違和感がある。兄は性格の暗い弟の僕を問題視するように母に伝言する。メッセンジャーのように兄が母と内通しているような感じがある。小中学校の頃はあれほど一緒にゲームで遊んだし、似た者同士のような人間だと思っていたのに、いつの間にか兄とは正面から話す事は減ってきた。昔の間柄とは変わってきている。それも、自分が陰気な人間になってしまったという事が原因なのか。

家族との距離
 自分は家族に心を閉ざしているのだろうか。今の自分にとっては兄も母も駆け引きの相手のように感じてしまう。家族と波長が合わない。5人家族で、母・父・兄・妹がいる。昔はあんなに仲良くできてた筈なのに、考え方が違う感じがある。うまく説明できないが。例えば食卓の場で、僕が何かを言おうとするとその瞬間、上から言葉を被せられて別の話が始まる。母も父も兄も妹も、僕の上から言葉を被せる。僕の言おうとしたことは無かったことになる。悪気があるわけではないだろうが。単に僕の声が小さすぎて、誰にも聞こえていないのだろうか?それとも、僕の言う事はどうせくだらないと見なされて、発言が封殺されているのだろうか?距離を感じる事が多い。どうしてこうなった?いつからこうだった?

コミュニケーション
 人との会話が怖いのは、上手くいかなくて気分を害する事があまりにも多すぎるからだ。どうしてなのか、四六時中考えている。人は何故わかりあえないのだろう。その理由を毎日毎日考える。昔は上手くいったのに、年齢を重ねるごとに難しくなっていく。徐々に思考も複雑化・多様化しているからなのだろうか。考えている内容を他人に喋ると、大抵誤解され、言わなきゃよかったと思うことになる。例外として、妹だけは話していて嫌な事が無い。せいぜい、「わがまま過ぎてちょっとイラつく」くらいの微笑ましい話でしかない。まだ子供だからだろうか。子供と接している方がよっぽどコミュニケーションが成立するのだろうか。

大学生活

大学の講義
 今日から本格的に、大学の講義を受講する。大学での勉強内容は、一般教育科目と専門科目に別れており、特に専門科目にはあまり関心が持てなかった。多分、専門的すぎると思ったからだ。これが本当に将来役に立つのか疑問視してしまう。なんかイメージと違う。ロボットを作るとか、もっと楽しそうな実習をしないものか。進路の事をよく調べなかった自分が悪いのだが。クルマやパチスロの話題が同期の間で飛び交うが、クルマもギャンブルも、どうも興味が持てない。もっと知識を付ければ、関心が持てるようになるだろうか?

陽気な人々の好きなアニメ
 英会話の講義の一環で、みんなとコミュニケーションをとろうという事になった。自己紹介をかねて、好きなものを一人ずつ英語で答える事になった。好きな食べ物、好きなスポーツ、好きな教科。好きなアニメを答える場面だ。ある生徒が、発表でこう言った。
「アイライク・ケロロ軍曹!」
その学生に対して遠くの席から大声でヤジが飛んだ。
「うわー、オタクじゃーん!」
からかっている学生がいた。いつも騒がしそうな奴だ。その周辺でも笑いが起きていた。
 僕は驚いた。(ケロロ軍曹ってオタク扱いされるんだ…)という問題もあるが、それよりも、これほどまでにストレートにオタクを馬鹿にする人間達がいる事実に対して、驚いたのだった。大学生にもなって子供みたいだと感じた。彼等は馴れ馴れしく人をイジるように接する事で人との距離を縮めてきたタイプなのだろうか?わからないが、彼らのような人間達は苦手だ。
 オタクを馬鹿にした彼の答えた好きなアニメは、「サザエさん」だった。内心で(嘘こけ!)と思った。彼等は、オタクの事を「イケてない奴等」みたいに言って笑っている。相変らずバイク・ギャンブル・好きな女優やアイドルといった話題を繰り広げ、大声で手を叩きながら笑う。こんなコミュニケーション形態の人達が近くにいると思うと、途端に自分を表現する事が嫌になる。関わりたくない。交流は難しい。ここにいるのは全員、曲がりなりにも受験を勝ち抜いた大学生のはずだ。それなのに、まだこんな風にグループが別れるのか。陽キャラと陰キャラの問題が再び浮上する。人はどうして、あっち側とこっち側に別れるのか。

大学飯・便所飯
 僕は大学生にもなって、コンビニで買い物をする勇気が無いし、駅で電車に乗る勇気も無い。どうしてこうなったのか?それはいろいろと思う所はあるが、ともかくそういう人間だ。そんななか、大学で過ごしていると、昼休みが訪れる。みんなが食事をする時間だ。一体、どうすればいいのかわからない。
 大学には食堂があり、学食が提供される。だけど、実際に利用するとなると、人が多すぎて居心地が悪い。基本的に満席なのだ。そんななか、迂闊にもこの食堂で学食を食べてみようと思った。
 大学の食堂はこうだ。お盆(プレート)を持ったまま、食べたいものを乗せていく。バイキング形式だ。それを持ったまま、改札のようなゲートで学生証をかざして、ピンポーンと独特な音が鳴る。そのゲートの向こう側に机が沢山並んでいるのだが、残念ながら、全ての席に人が座っているのである。僕はお盆を持ったまま、うろうろ、うろうろ…。席が空くのを待たなければならない。ようやく空いた席で、僕は食事をするのだが、大きな机は明らかに6人ほどが座れる机なのだ。そこで僕が一人で食べている。周囲のみんなが僕をチラチラ見ているような気がする。空いた机で一人で食べている僕は異質な存在に思われているに違いない。次の日。僕はやっとコンビニに行けるようになった。コンビニのおにぎりを、大学の便所で食べるのが、僕にとっては丁度いいという結論を得たのだ。誰の視線も受けず食事する、最も良い方法だった。

息苦しさからの解放
 大学は自由だ。中学高校の頃に感じていた薄暗い感覚が無い。中学2年の頃から続いていた憂鬱は大学に入った途端にスッと晴れた。教室にいなくてもいいから、常に視線に晒されるわけではないからだ。ただ、購買もコンビニも学食も、知らない場所で買いものをするのが怖い。そして、食堂で食事をするのは怖い。一人が落ち着くから便所で飯を食っている。これでも中学2年の頃から5年間続いていた憂鬱な感じと比べれば遥かに気分が楽だ。狭い空間で皆と無理に合わせなくていい自由を感じた。

政治のいざこざ
 ネットには様々な言説が存在する。なにかを猛烈に批判することで、国のあり方を変えようとする人々がいる。大学の前の交差点でも、政治的主張を大々的に旗に掲げている人達を見た事がある。彼等の信念を僕はまだわからない。政治は難しくてわからない。大事な事なのかもしれない。だがしかし、なにかうっすら違和感もある。インターネットでも最近はそういうものが流行っているようだ。「人権○○○○!○○○○の利権!○○の陰謀!日本の未来はどうなってしまうのか!」僕には詳しい事はわからないが、騒いでいる彼等は正しいのかもしれないが、その正しさの根拠を理解することができない。僕なんてなにも詳しくなくてわからないのだから、安易に決め込まず複数の目線を常に持っていなければ、知ったかぶりになってしまう。是非、自分にもこういう事情がわかるようになりたい。やがて選挙に投票しなきゃいけない歳になるのだから。意見を堂々と語る人々からは僕には到底獲得できないような覚悟があり、真に国の未来を憂いている。そういう雰囲気は確かに感じるのだ。もし父にこのネット記事を見せたら、どういう反応をするだろう?どうせ否定されるだろうし、見せないのだが。

囲碁部に入部
 部活動、サークル活動というものがあるらしい。囲碁部に入部てみた。しかし部室の緊張感に堪えられない。慣れない人達がいる個室にいる事自体にストレスを感じる。鉄の扉を自分から開ければ、必ず部員の視線は僕に集められる。アイツ誰?って思われてるんだろうな。そんな気持ちを味わう事が確定しているのに部室に入るのだ。しかし、これに耐える事が出来なければ、一生人間との交流に苦痛を感じる事を認める事になるかもしれない。頑張って僕は部室に通った。そして囲碁のルールを教えてもらった。囲碁自体のルールは覚えたが、部員には勝てない。囲碁。これは将棋よりも抽象的だ。5回で幽霊部員になって辞めてしまった。

立ち読み
 大学では沢山の情報を得る事が出来る。慣れてきて、購買で本を立ち読みするのが楽しくなってきた。
作曲の本やプログラミングの本、科学の本、ノウハウ本など、いろんなものをパラパラ読んでいた。
なにもわからないまま就職して生活が安定したとしても、それでいいとは思えない。生き方をひとつだけに決める事は、もしそれがなにかしらの理由で駄目になってしまったらと思うとリスクが大きい。
いろいろな高いスキルと揺るがない知性が欲しい。知は力なりというように、普遍的な知識は自分を支えてくれるはずだ。
大学の専門的な講義は最低限単位がとれるようにし、購買や図書館にある本を読む方が有意義だと思った。
購買の本は面白くて分かりやすく、よく立ち読みをした。

小遣いをくれる母の教育
 父が単身赴任という形で別居で働くようになった事、母がパートタイムで働くようになった事。お金に関する父と母の考え方がわからない。給料や家計のやりくりについては詳しく教えてくれない。僕が知ろうとするのはタブーのようだ。「TOEIC試験を受ける」というと、母はそのための費用をホイホイ出してくれる。普段はゲームソフトしか欲しがらない僕だからかもしれないが、母が言うには、子供には貧乏な生活をさせたくないらしい。それは母の一種の拘りだった。お金があっても、ゲームかPC関連くらいしか欲しいものが無い。それかTOEICの受験料か。母は相変わらずお金をホイホイ出してくれる。母のやり方はどうなんだろうと思う。このままではお金についてなにも実感が得られない。お金が無くなれば困るのが体感として分からない。バイトをやらなきゃ!なんて気にならない。金銭感覚のないまま生きている。なんなら貧乏を経験させて欲しいとすら思う。母に感謝することはできなかった。コミュニケーション能力の不足をどうにかするためにもアルバイトをした方がいい。「もっとお金が欲しい」と、エスは思わなければならない。母はそのあたりに思いが至っていない。

教習所
 これからは車の免許を持っていた方がいいそうだ。自動車教習所で学ぶことになった。教官と一緒に車に乗って、まずはシートベルトを締めて…。気さくな感じのおばさんだった。雑談ばかりしている。もっとも、僕は相槌を打ちつつ、指示の通りに運転をするだけだ。マリオカートやグランツーリスモをやったことがある僕にとって、車の操作は難しくなかった。もちろん事故を起こさないように。ゲームと現実は違うので、その心理的な違い…そういう種の緊張感だけが僕の問題のはずだった。教官は「呑み込みが早い!すごいねー」と、僕を褒めた。初日はそれで終わった。
 翌日、同じ教官に当たったのだが、何故か不機嫌な様子だった。教習車の中には僕と教官しかいない。僕がコーナーをちょっとだけズレた軌道で曲がったとき、教官は声を張り上げた。
「なんでぇ!?馬鹿なのぉ!?」絶叫する教官に、僕は驚いた。どうしてそんな事を言うんだ。幼稚園児に戻されたような気持ちになった。狭い空間の中で繰り広げられる事だ。教育だと思って言っているのか?よっぽど感情的な人間なのか?僕がよっぽど悪い事をしたのだろうか?勇気を出して言ってみる。
「なにか僕が悪い事をしたんですか?」
「…………」
沈黙である。緊張が走る。教官は何も言わなくなった。何故なのか。ひょっとしてコイツ、ただ単にみっともない大人なのだろうか?と思った。教官は言った。
「右。ハンドル。ブレーキ。信号。」
急に態度が変わった教官。一体何なんだ。ふてくされているのか?わからないが、淡々と冷静なコミュニケーションがやっと始まったなら、その方がまだマシだ。僕のハンドル操作ミスで、タイヤが溝に落ちた。その時、教官が叫んだ。
「はあ!?馬鹿!なにやってんの!?ねえわかってんの!?教えたでしょ!?ふざけないでよ!馬鹿じゃないの!?同じこと言わせないで!」
今までの人生で受けた事のないほどの激しい罵倒に驚きと困惑を感じた。しかし僕はあくまで冷静でいたいと思った。感情的になれば、相手と同じレベルに成り下がるからだ。僕は冷静に、なるべく優しく相手に言った。
「はい。すみません。」
僕は気づいた。教官は熱くなって見過ごしている事がある。明らかにマニュアルに書いていたのに、教官はミスをしているかもしれない。僕は確認しようとして、左側の窓の外にある信号を指差して言った。
「あの信号…」
助手席に座っている教官は、僕が言い終わる前に突然、僕の腕を掴んで振り払った。教官は激昂した。指を刺されたと勘違いしたのだ。
「人に指を刺すんじゃねえ!」
驚くべき絶叫で僕は非難された。教官は奇声を発し続けた。僕は驚き、黙ってしまった。それでもなるべく冷静に考える。叫んでいれば問題が解決すると思い込んでいるのかこの人は。一体どんな人生を送って来たのだろうか。だけど、こんな人間が隣で騒いでいるとさすがに心が乱れてしまう。イライラしてくると様々な空想を繰り広げてしまう。例えば、仮に殴ってみたらどんな反応をするのだろう。いや、首を締めてみたらどんな反応をするのだろうか。あくまで想像の話だが。怒ってどうにかしようとしている人間を、殴ってどうにかしようとすれば、一体どうなるのだろうか。気になって仕方がない。でもそんなことはしない。免許をとるためには教官のご機嫌を取る事が必要だ。冷静になれ、自分よ…。どれだけ怒られても僕はあくまで無表情を貫く。怒る事は無益な行為である事を分かってもらいたいからだ。無反応を示していると、相手は何故か更に機嫌を悪くするようだ。もしかすると、僕に対して怒りが伝わっていないと感じて、どんどん激しく怒らなきゃいけないと思い込んでいるのかもしれない。それでも僕は無表情を貫かなくてはならない。やはり、相手と同じレベルに成り下がりたくないからだ。そうして相手はどこまでも怒る。僕はどこまでも嫌な気持ちを我慢し続ける。ストレスの反応なのか、なぜか体が震えてきた。
 あの教官だけが特別だったわけではなかったらしい。この教習所では6人の教官と接したのだが、そのうち4人はこんな風に感情的に叫んでばかりだった。本当にうんざりしてしまった。場所が変われば文化は違う。その文化に染まった人間は驚くほど違う事がある。僕にはわかり得ないような文化に染まっている人間が大量にいる現実を突き付けられた。どうして彼らはああなのだ。人は分かり合えない。こういう事があると、人間に絶望して、暗い気持ちで過ごすことになりそうだ。

免許の取得
 投げ出される実験用マネキンの映像を見たり、交通安全のクイズのような選択問題を解いたり、座学の必要があったが、なにも問題は無く合格できた。当然かもしれないが、大学のテストに比べれば難易度は易しいものだ。無事、運転免許を取得した。

車の運転・実践編
 実際に車を運転して街を走ってみると、常に後続車からプレッシャーを感じて追われているような気持ちになったり、わかりにくい道路標識や車線変更、ギリギリで横断する歩行者など、難しい事が続出する。隣には父が乗っていて、アドバイスをしてくれるのだが、父がいなかったら普通に歩行者を轢きそうになったこともある。
 ついに一人で運転するようになったのだが、交差点の白線の表示の意味がわからなくて、曲がる方向を間違えた。パニック気味になって無理なUターンをしようとすると、車が縁石に接触し、ミシッと音が鳴った。「やったか!?」と思った。家に帰って車体を確認しようとして、ちょっと触ってみると、全面のパーツが「ガコンッ」と音を立てて外れて落ちた。父の車を破壊した。僕は運転に向いていないような気がした。

大学の友達
 大学の講義の一環で、「動く機械」を作る事になった。アイウエオ順でグループが割り振られた。僕はグループのメンバーに対して、「ものが動く原理」「動く機械」のアイデアを示した。説明はものすごく下手だった。想定では天井まで飛ぶはずだ。グループのメンバーは半信半疑のようだった。実際に動かしてみた。僕が設計したゴムの機械が、バン!と音を立てて、飛び跳ねた。すると、3メートルしか飛ばなかった。僕は落胆した。しかし、グループのメンバーは感嘆した。「すっげえ!」このことがきっかけで、大学の同期で友達がぽつぽつ出来た。とにかく、「動く機械」のプレゼンテーションが無事終了し、教授からは最高評価を得た。

エンジニアの発想力
「エンジニアの発想力」という講義があった。いきなり紙が配られた。
「未来のクルマというテーマで自由にアイデアをできるだけ沢山書いてください。制限時間は5分間。よーいスタート!」
(なんでもいいから書けばいいんだろう?)
僕は60個のアイデアを紙に書いた。他の生徒の平均は5~7個ほどらしかった。僕だけが抜きんでた数字だったらしい。
 次の課題は「跳ねる機械」というテーマで、自由な発想で工作するというものだ。この課題なら能力を活かせるかもしれない。そう思って本腰を入れてアイデアを練る。グループワークだったのだが、他のメンバーは面倒くさがっているようで、ほとんど全て僕が考えて作った。スイッチを入れて数秒後に突然天井近くまで缶が飛び跳ねるのだ。実際には少しうまく行かなかったのだが、このアイデア自体は教授から絶賛された。
「皆さん、エス君の発想力は飛びぬけて素晴らしいです。ぜひエンジニアになるべき人材だと思う。少なくとも私を超えたセンスです。100点満点じゃ足りない。120点をあげます。プレゼン能力はまあ…はっきり言って改善しなければならないが、それを補って余りある創造性がある!エス君!君の発想力は世の中に活かされるべき!」

大学初飲み
 大学の飲み会に誘われた。「エンジニアの発想力」でチームを組んだ仲間だ。彼らは普通の大学生で、それなりに話のできる人達だ。僕は初めて居酒屋という建物に入って、飲食をすることになった。
 思えば今までお酒を飲んだことがない。高校の頃ちょっとだけ飲んでみろと父に言われたことはあるがその時は拒否した。身体に悪いし依存性もあると聞くし、毒なんだから飲みたくないと思った。しかし、今大学生の僕は、意を決してアルコールという毒(?)を口に含み、ゴクッと流し込んだ。初めてのビールが喉を通って食道から胃に流れていく。ビールは苦く、美味しいなどとは思えない。こんな飲み物をわざわざ飲もうとは思わない。チューハイも同じだ。ジュースを飲んでいた方がいい。ヤンキーどもが何故こんなものを飲むのか理解に苦しむ。やはり嫌悪感のある飲み物だ。存在理由がわからない。
 家に帰って母と話すと、「どんなお酒を飲んだ?」と、しきりに聞いてくる。酒の種類がそんなに気になるのだろうか?別になんてことの無い、ジュースを飲みにくくしたようなものとしか思わない。父や母の酒に対する雰囲気から察するに、大人というものは、酒を飲んでコミュニケーションするものなのだろう。こういう事を今後覚えていかないといけないのだろうか。

留学生
 大学には国外から来た留学生の人達がいて、主に中国人・韓国人・インド人だった。彼らは言葉の壁はあれど、優れた人格の人間だと感じた。日本人の同級生よりもよっぽど物事を分かっていると思う事もあった。彼らは少なくともむやみに群れない。ひとりでやっていけるから日本に留学してきたのだから。彼らは言葉や文化の違いに打ちひしがれらながら、孤独のなかで学んでいるに違いなく、そのへんの日本人よりも苦境に立たされているのに頑張っている。僕はそう思った。
 韓国人のイハジュン君は日本語を流暢に使えていて、ごく自然に日本人グループに溶け込んでいた。それこそ、僕なんかよりも遥かに。

大学生のコロコロコミック
 家族に本音を言えなくなったのはいつの頃だったか。今も毎月コロコロコミックを欠かさず母に買って貰っている。小4の頃は楽しく読んでいたが、中1の頃には既にもうほとんど飽きていた。「実は飽きた」とも言いづらくて、中学高校…ずっと惰性で買ってもらっていただけなのだった。大学にもなると一周して面白さを見出せるようになるのだが。

新しい趣味は気まずい
 家族に新たな一面を見せることになるのが気まずくて仕方がない。自発的に漫画やゲームを買ったら、母が「めずらしい~」と言う。その事に何故か堪えられない。

世の中はラブとか愛ばかり
 母の観るテレビで流れるものは恋愛コンテンツばかり。好きだの嫌いだの、自分にとってどうでもいい事で溢れている。恋愛ドラマの良さが全くわからない。多くの人間はこんな事ばかり考えて人生を生きているのだろうか?俗物の集まりみたいに感じる。一方で、そんな風に感じてしまっている自分自身が残念である。人生を損しているのは自分の方なのだろうか?相反する気持ちがあって、明確な意見を持てず、沈黙せざるを得ない。

母からの質問に沈黙する
 母が見ているテレビ番組を一緒に観ていて、面白い事も沢山あるし、良い音楽もあった。しかし、どうしても不満な事がある。「どんな番組が好き?」
と母が聴いてくるのだが、何故か自分の好きなものを母に伝える事には強い抵抗があった。例えばだが、僕が「LOVEマシーン」という曲を好きなんて言ったら、母は「へ~意外~」とか言うんだろう。それ以降、ずっと「LOVEマシーンが好きなんよなあ?」なんてことを今後の人生でずっと言われ続けるのかもしれない。そんな事を想像してしまうと、なにも言う気が起きなかった。

ネット活動

勉強をやめて、ネットをやろう!
 大学がつまらない。仮に大学がゲームだとすると、クソゲーだ。ネットの方がよっぽど面白い。高校の頃までは「まずは難関大学に合格するんだ」と思っていた。勉強して偉い人になろうと思っていた。だけど親から志望校を受けさせて貰えなかった事によって、学歴やキャリアへの興味を半分は失った。失った興味のもう半分が向かう先が今は別にある。それはインターネットだ。人生を愉快に生きる為の戦略は、学力向上ばかりではない。時間は沢山ある。レベルを下げて受験して入った今の大学で最低限の単位を取ってさえいればいいのだから、時間が余って仕方がない。余った時間でいろんな事をやろう。今の僕は、もっと大きな世界を知るために時間をかける事ができる。もちろん誰に言われたわけでも無く、自分自身の中で完結した判断だ。これからはインターネットをフル活用して、様々な事を知って、これからの生きる戦略を立てていこう。

オタク文化

 流行っているものを分析しなければならないと思う。近頃は「電車男」がブームだ。2ちゃんねるの書き込みがそのままノンフィクションの実録物語のような形でドラマにもなった。もっとも、2ちゃんねる内ではドラマ内の描写も賛否あるようだが。とにかくオタク達が一般人達に知れ渡るようになって来ている。もともと2ちゃんねらー達は最先端のオタク文化を知る者たちだ。良い漫画を描こうと思ったら、オタク達の文化を学ぶ事は避けられないだろう。オタクとしての最低限の教養は必要だ。まだ「新世紀ヱヴァンゲリヲン」も「涼宮ハルヒの憂鬱」も観ていない。自分なんて全然オタクじゃない。これらを観ないでオタクに受けるコンテンツなんて作れるだろうか?幸い、最近は「ニコニコ動画」というネットの動画サイトがある。ネット民のコメントも一緒に確認しながら動画を視聴できる画期的なサイトだ。オタク文化を学び、よりよい創作者になろう。常に何かを学び、良いものを作りたいのだ。

素人のコンテンツの方が面白い
 何本もアニメを観ていると、結構面倒に感じてくる。なかば義務感で観ているケースが多い。確かに、観終わる頃には良かったかもなと思えるのだが…。視聴そのものの楽しみというよりも、その後にまとめサイト等でオタク達が盛り上がっている話題を理解できるようになる期待の方が、アニメを観る動機になっているのでは?そんな疑惑が頭をよぎった。プロの人々によって丁寧に作られた作品…その多くは「大衆向け作品」のように感じる。型にはまったようなものが多くて僕はそこまで楽しめない事が多い。商売を考えると皆に受けるものにする必要があって、そのためにある程度パターンに沿う必要があるのだろう。
 しかしインターネットに公開された素人の粗削りなものはそうじゃない。既存のパターンをぶち壊すような、有り得ないような奇怪なものを時々見る事が出来る。興味深さと痛快さの混じった面白さを感じる。時々有り得ないような異物を目撃すると、笑えて仕方がなかった。

スルースキル
 経験上、匿名掲示板ではどれだけ嫌な事を言う人がいても一切無視するのがベターだと感じる。相手の間違いを正したいという気持ちが湧いてくる事は何度もあったが、相手とぶつかり合っても何も良い結果にはならなかった。唯一学べることは、何も学べる事が無いことだ。反応が反応を呼び、本来やりたかった話題ではなく、この掲示板はこうあるべきとか、本題と外れた議論ばかりなされる状態に陥ってしまう。スルースキルの無い人々が数人いるだけで、集団心理が作用して、どんどん悪い方向に脱線してしまう。
 まるで「静かにしてください」と皆が言い続ける小学校低学年の教室のような状態だ。感情的な人が集まるとそんな風になりがちだ。怒りっぽい教習所の教官みたいな人のペースに惑わされてはいけない。

ハンドルネーム
 インターネット上では、様々な場で他者と交流する、その場その場で自分のハンドルネームを名乗ってきた。時々、なにか自分のネット上での名前は、ただひとつのものに固定してしまった方がいいだろうか?と思う事があった。
 どんな名前にしようか?今まで、「シュパー」だとか、「うひょひょ」だとか、「臥薪嘗胆」だとか、「天使の十戒」だとか、本当に適当に思いついた言葉を次々に名乗っていた。ひとつに決めておく必要がある。脳内で無意味な言葉遊びを始めた。
(電子の海、火星狩り、電狩…)
結局、ネット上のハンドルネームとして、こう名乗るようになった。
「電解質」

電解質
 ハンドルネームは完全になんとなく決めた。「なんとなく」と言えば小学校の頃の先生に怒られた時のことを思い出す。「なんとなくでふざけた事をやるな。考えて行動しろ。」などといわれたものだが、自分の脳が勝手になにか超常的な能力を発揮した結果なんだから、その意味を説明できなくても仕方がないのではないだろうか。我はこれよりエスなどではない。電解質だ。

音楽を学んでいて気がついた事
 図書館で音楽理論の本を借りてみた。DTM…つまりパソコンで音楽を創りたいからだ。そのうち、ジャズやフュージョンといった音楽に関する本を探して借りた。何故なら2ちゃんねるでカッコいい音楽を作っている作者はみんなジャズに詳しいからだ。ジャズを聴いてみると確かに、時々「良いな~」と思う事がある。

楽しめるかどうかは自分次第
 ひとつ気がついたことがある。良いに違いないと予想した上で触れたコンテンツは良く感じるという事だ。逆に、つまらないだろうと思って触れたコンテンツはつまらないと感じる事だ。ではそういう先入観抜きにして、根源的に良いと感じるものは果たしてなんなのだろうか。

痴漢男
 電車男と同じ2ちゃんねる掲示板の書き込みから産まれた物語「痴漢男」のWEB漫画版が最近かなり流行っているようだ。漫画好きの兄や妹も読んでいるようだし、大学の数少ない知り合いさえも読んでいる。鉛筆で描かれたその作品は、どう見ても僕よりも絵が上手いし、オタクの大学生が恋愛に巻き込まれる様子をリアルに真っ向から描いていて、非常に生々しい内容となっている。漫画の作者は僕と年代が近そうだった。この漫画は危険な香りがする。いろいろな意味で嫉妬心が湧いてきそうで、平常心を保てなくなりそうで、怖くて読む気がしない。そういう意味で、怖くない範囲でしか読めない。恐怖ゲージが限界になると読むのを辞める。しばらくして回復すると、また読む。そうして、少しづつ読んだのだった。

上手い人への嫉妬
 創作活動に本気で取り組んでいると、若くて上手い人の事が羨ましく、妬ましく感じる。インターネットというものは流石なもので、本当にやばい奴がいる。中学生くらいでとんでもなく上手い絵を描いている人を見ると、「うぅ…」と打ちひしがれる事がある。なんなら、その中学生にはコミュニケーション能力があって、彼女がいて、お金持ちで…そんな情報を見ると、暗黒のような気持ちにさせられる。頭の中をグルグルと暗黒が回転し、様々な思考が巡る。
 しかし、僕は苦しい気持ちで生きたいとは思わない。どうして苦しい気持ちになるのだろうと考えた。「理想と現実のギャップ」が、こういう負の感情を作るのだろうか?と思った。理想と現実のギャップを埋めるには2つの方法があると思った。
1、現実を改善する。(しかし、それができれば苦労は無い。)
2、理想を下げる。(しかしそれは嫌だ。昔から抱いていた気持ちをないがしろにしたくない。)
 どちらにせよ問題は解決しない。嫉妬心なんてあっても辛いだけだ。悩みぬいて僕が打ち出した結論はこれだ。
3、「他人は他人、自分は自分。人それぞれとよくいうが、思った以上に人それぞれなのだ。これを繰り返し思い出せばいい。」
「自分は自分だ」の精神。これは小学二年生の頃から思っていた事だ。これを思い出せば、気持ちは楽になった。

WEB漫画を描こう
 小学校の頃からずっと様々な事を空想していた。図画工作ではよく周囲から褒められた。実はなんらかのクリエイターとしての才能があると思っている。実際に作って世の中に公開してみれば、人生の可能性を広げるかもしれない。物理学が得意な事を活かすのか、絵が得意な事を活かすのか、ゲームを作って生きるのか。漫画をそれなりに描いてきたことだし、漫画で皆を楽しませる人になりたいとはずっと思っていた。日常的に自由帳に漫画を描き、教科書やプリントに落書きをしていた。高校の頃も受験勉強しながら、並行で絵の練習もやっていた。しかし本格的に漫画家になりたいという気持ちを強く持っていたわけではない。Gペンや原稿用紙に触れたこともない。今の自分には、本当に適した職業が何なのかがわからない。だが、これからできることはいろいろある。可能性のあるものはなんでもやってみよう。僕の漫画はネットの皆に受けるだろうか?僕の漫画家としての適性はぜひ知っておきたい。漫画を描いてネットに公開してみたら、どんな反応が返ってくるだろう?

2chで絵の練習
 2chの絵スレに住み着いて、匿名でスレの住人と交流した。主に「ラウンジ板」や「大学生活板」という所で、絵を描き合って匿名の人々と交流した。「交換絵手紙」というサイトでランダムな人々と絵で交流した。
 特にいつも絵をアップするお絵かきスレがある。ここでは皆、基本的に匿名で書き込む。上手な絵を何度もアップする人は「あの絵の人だ」と絵柄で認知される。そうやって認知される絵師になる事は、皆の憧れだった。
 いままで風景や果物などの模写やリアル系の絵を中心に描いてきた僕は、丸顔に地図記号みたいな目や口を描く事はできるのだが、アニメや漫画のキャラクターとしての人物の顔を描く事ができなかった。このスレで漫画キャラの顔の絵を練習しようと思い、まだ下手だが、その練習の絵をアップしていった。

お絵かきスレの事件1/9
 ある日、平和なお絵かきスレに荒らしが出現した。人の絵を思いっきりこき下ろす書きこみや、無差別にスレ民を罵倒する書きこみ、意味の無いAAなどが不自然に連投されるようになった。スレを潰そうとする何者かによる意図的な犯行に見え、明らかに荒らしが出現したように見えた。スレ民は「スルーしましょう!」と呼びかけた。しかし荒らしは収まらず、匿名ユーザーによる攻撃は止まらなかった。絵のレビューをしてくれる「勝手レビュワー」さんという固定ハンドルネームの(コテハン)人がいた。いつも丁寧にきっかり四行にもわたる絵の感想を送ってくれるのだ。そうやってスレを盛り上げてくれることから、スレで唯一コテハンを名乗る事を許される人だった。そんな彼が、荒らしに対して激しい憤りを表明したのだった。
「荒らしは徹底的にボコボコに追い詰めましょう。どんな手段をもってしても。この平和なスレをなんとしても守りましょう!」
いつも優しかった彼の、めずらしく過激な発言には少し驚くものがあった。

お絵描きスレの事件2/9
 スレの中で最も上手く有名な神絵師とされた、「自転車の人」と呼ばれる人がいた。自転車に乗った女の子の絵をいつも描いていて、そう呼ばれていた。彼は決してなにも言わず、黙々と上手な絵を公開して、スレの中で圧倒的に尊敬されていた。
 そんな中、勝手レビュワーさんが荒らし問題についてこう書き込んだ。
「書き込み日時などから判断して、自転車の人が荒らしの犯人です。私の目はごまかせません。」
僕はそれを読んで驚いた。このスレの一番の功労者である絵師に、このスレの一番の功労者であるレビュワーが、「お前こそが荒らしの正体だ」と糾弾したのだ。

お絵描きスレの事件3/9
 自転車の人は、初めて文字レスをした。
「違います。私は荒らしていません。荒らす理由もありません。」
それと同時にいつものようにハイクオリティな自転車の絵を上げた。本当にこの人はこのスレが好きで、適切な行動を取ってくれる安心感がある。
 しかし、コピペ荒らしは延々と続いた。やがて、荒らしの頻度は何故か増していき、お絵描きスレとしての機能も脅かされていった。このスレはもう、ダメなのかもしれない。

お絵描きスレの事件4/9
 「本スレがこんな状態なので、こっそり避難所になるスレを建てました。しばらくここで絵をうpしましょう」
勝手レビュワーさんは、新たな場所に以降するように皆を誘導した。
 やがてその避難所スレも荒らしによって荒らされた。もはや、荒らしの魔の手はどこにでも行きわたり、逃げ場のないような状態だった。
 勝手レビュワーさんは次なる手として「秘密のチャット」という、パソコンからは入室不可能な仕組みの場所をレンタルした。携帯電話からしかアクセスできないようにすることにより、荒らしがもしパソコンから荒らしているのであれば、荒らしのいない場を実現できるのである。勝手レビュワーさんはまるで荒らしと戦うリーダーのようだ。だが、ちょっと暴走気味だ。住民もそう思う人がチラホラと出てきていた。正義感に燃えすぎている。どうしてそんなに荒らしを潰そうとしてあまりにも必死に戦うのか。

お絵描きスレの事件5/9
 自転車の人が、痛切な感じの文体で避難所スレに書きこんだ。
「秘密のチャットに入りまして、本人確認の絵をUPしました。すると、管理者である勝手レビュワーさんが、私を荒らしに認定し、携帯電話の情報を抜いて住所を晒すというのです。みなさん、秘密のチャットに入ってはいけません。私もよくわからないです。勝手レビュワーさんはもう、よくわからない人になってしまった。私の事を荒らしだと思い込んでいます。もう私が荒らしだとかそんなことはどうでもいいです。このスレが平和に続いていく事を願っています。ただ私の住所がバレるのは嫌です。どうすればいいんでしょうか。」

お絵描きスレの事件6/9
 自転車の人を助けたいと思った。この人が困っているのは個人情報が特定される事だ。IPアドレスに関する情報の領域だ。「携帯電話で秘密のチャットに入室した人の住所を特定できるのか?」携帯、住所、個人情報、IP、そういう事についてひたすらググって勉強した。だが、調べてもよくわからなかった。だが自転車の人を助けたかった。あんなに良い絵を描いて、スレに貢献した人が、こんなわけわからん事で荒らしの犯人になっていいものか。僕は受験の時に買ってもらった自分の携帯電話で、秘密のチャットに入室した。そして、「自転車の人」が荒らしではない根拠を列挙して、自分の考えている事を長文で投稿した。

お絵描きスレの事件7/9
 「案の定、荒らしの犯人があらわれました。私の仕掛けた罠にホイホイ嵌ってくれましたね。コイツを徹底的に追い詰めればスレは平和になります。コイツの住所も割れています。」
 なぜか僕の書き込みのスクリーンショットが証拠画像として避難所と本スレに貼られた。そして、僕の携帯電話の型番が避難所と本スレに貼られた。そんなことができるのは、秘密のチャットを立てた彼だけだ。やはり暴走していたのか。もはや本当の荒らしは「勝手レビュワーさん」だ。
 その後、僕のIPアドレスと携帯の型番が関係する全てのスレに連投され続けるようになった。

お絵描きスレの事件8/9
 秘密のチャットには、数人しかいないように見えた。少なくともいたのは、勝手レビュワーさんと、自転車の人と、僕の3人だった。勝手レビュワーさんは自転車の人と僕を同一人物と見ているようで、諸悪の根源だと思い込んでいるようだ。でも、自転車の人はどんな心境でいるんだろうか。僕は、避難所に、自転車の人に公の場でちゃんとしたメッセージを送ろうと思った。
「私は今まで、こういう絵をスレでUPしてきた者です。秘密のチャットでも避難所でも、自転車さんは荒らしではないと主張したのですが、全て勝手レビュワーさんが勘違いして、私を荒らしと認定してきました。あと、IPアドレスでは住所まではバレないと思います。」
 僕の見てきた状況を読んだ自転車の人は、こう返信した。
「あー、住所バレまでは無いんですね。安心しました。ありがとうございます。もう、あのスレには関わらないようにしようと思います。」

お絵描きスレの事件9/9
 荒らしはいなくなっていた。だが、勝手レビュワーさんが新しい荒らしになっていた。人間は恐ろしい。始めはあんなに親切そうだった彼が、妄想に憑りつかれて荒らしになってしまうとは。秘密のチャットは急に消滅した。だが僕は秘密のチャットの会話内容は全部スクショして全部の証拠を握っている。あれ以来、スレの中で、あの事件を蒸し返すような事を書きこむと、誰なのかわからないが、それとなく刺されるのだ。もうあの事件については触れないで置いた方がいい。
 こうして、お絵描きスレの事件は収束した。

ボーカロイド
 作曲系のスレで「メイコ」や「カイト」という音声ソフトが少し話題になっていた。歌詞と音符を入力すればその通りに歌い上げてくれる。そのソフトのパッケージに、アニメっぽいキャラクターが描かれていた。なるほど、音楽ソフトにキャラクター性を付与することで確かにちょっと欲しくなるような気がする。
 しばらくして、「初音ミク」というワードがネット上の様々な場で話題になっていた。「しょおんミクってなんだ?」とスルーしていたが、メイコとカイトのシリーズの新作らしい。このシリーズが急に世間に認知されたらしい。

初めて漫画を投稿する
 どんな漫画を描いたら、みんなに受け入れてもらえるのだろうか?起承転結、視線誘導、ネットで受けそうなネタを織り交ぜつつ…まず、ネットのみんなにウケそうで、自分の好きなもの。それを描くのだ。ある日、冬休みが潰れるくらいの時間をかけて、任天堂のカービィを題材にした二次創作漫画を描いた。自分の描いた漫画が、ネットのみんなにとって面白いと感じるのか、確認したいと思った。しかし、どこに投稿すれば変な事を言われなくて済むだろうか。少しでも好意的な事を言われる所に投稿したい。そこで常駐していた掲示板のひとつ、「大学生活板お絵かきスレ」を選んだ。ここは1件の絵を公開すれば1件の反応がある。そういうテンションのスレだった。当該スレの投稿フォームにURLを打ち込み、それなりの期待とそれなりの不安をもって、投稿ボタンを押した。

漫画の反応
 僕の初めてのネット漫画へのリアクションが返って来た。
「なにこのシュールな漫画w」
「おもしろい。才能ある。」
「爆笑したわww」
「お前sugeeeeeeeeeee!」
これを見て僕は声を出しそうになるほど驚き、脳を殴られたような高揚感を感じた。反応が10件くらいついた。マイナス意見はひとつも無い。僕には案外、漫画の才能があるのかもしれない。

自サイトの進化
 もっと多くの人に僕の漫画を知って欲しい。ウェブコミック関係のリンクサイトに登録。サーチサイトに登録。ウェブリングや同盟と呼ばれるリンク集サイトにも登録。アクセスカウンターを設置してみると、一気に百人からのアクセスがあった。ウェブ拍手というシステムを導入し、閲覧者からメッセージを送れるようにした。早速、誰かのメッセージが届いたようだ。
「プロ漫画家の俺の意見だけど、君のセンスはなかなかイイと思うよ。頑張って欲しい。」
「任天堂ではルイージが大好きです。」「次はゼルダの伝説を描いて欲しいです!」
初めて自分のサイトにコメントが寄せられて嬉しかった。期待に応えようと思った。次に描く漫画は決まった。
 冬休みが半分潰れるほどの時間を使って、「ゼルダの伝説」の二次創作漫画を描いた。投稿してみると、更に大きな反響が得られた。
「ゼルダ漫画、ありがとうございます!まじで意味わからねえ…シュールでおもしれえ!」
「君を見ていると元気を貰える。いつかきっと大物になる。漫画も音楽もどんどん進化してる。君のおかげで俺も創作できる。また元気を貰いに来ます。」
どこまで褒められてしまうのだろう。嬉しさとともに、恐ろしさを覚える。

ネット活動が楽しい
 作った音楽を音楽投稿サイトに登録してみると、コメントを貰った。
「凄い曲ですね…!過去の曲も全部聴かせていただきましたが、センスありますね…!ツボです。ファンになりました!これからも新作を期待しています。」

ゲーム投稿
 作ったゲームをゲーム投稿サイト「ベクター」に登録してみると、メールが来た。「ウィンドウズ100パーセント」という雑誌に掲載されることになった。
 可能性が広がりはじめると、もっと活動をしようという気になる。しかし時間は限られている。自分が複数いればいいのに。しかし、やはり漫画を投稿したときの反響が最も大きい。漫画一本に絞るべきだろうか?とも思うが、作りたいものはいろいろ出てきてしまう。創作活動のために使える貴重な時間をいかにして確保し、いかにして無駄にしないか。一分一秒も惜しい。そういう気持ちだ。



リアルオタク


兄のパソコン研究部
 兄は高いPCスキルを持っていた。パソコンのトラブルがあっても、適切に迅速に解決できる知識があるのだ。海外のよくわからないサイトに出入りして、僕には理解できないような情報を得ているようだ。兄は大学のパソコン研究部に所属していた。僕は大学に入ったからにはどこかしらのサークルに入らなければならないと思っていた。将棋部?囲碁部?吹奏楽部?天体観測部?しかし、どこにも馴染めないと思って、どこにも入らなかった。最後の手段として、兄のいるパソコン研究部のサークルに入るという選択肢が残されていた。少しだけ見学させてもらうと、兄のコネで「弟さん」として部員たちから認知され、仮入部したような状態になった。

ゲーム制作
 
実際にゲームを作る作業だ。楽しくて仕方がない。まずスクリプトを書けば、ボタンを押してモノが動く事を確認できる。で次で飽きたら、次のグラフィックを描いて…

パソ研
 
兄の知り合いから「弟君」と呼ばれた。そんな上級生達から、悪く思われたくない。僕のふるまいが酷いと兄の立場をも貶める事になるからだ。そういう恐れから、部室に入る事はとてもストレスだった。だが、
「死ぬわけではないから、なにやってもいい」
というような、ヤケクソ気味に自分の意思で何度も部室の鉄の扉を開いた。
 部屋に入ると「誰が入って来たんだ?」という目線が自分に集中する。最初のうちはそう思われるものだ。実際「誰だ?」と言われ、ああやっぱりそうなるよねと思った。しかし兄を知る部員は僕を認知してくれた。
「オウ、弟君じゃねーか!音ゲーでもやろうぜ」
そんな何気ない言葉がちょっとした救いだった。狭い空間に人が集まっている状況自体にとても居心地の悪さを感じるが、自分を知ってくれる人がいるのなら、途端に居てもいい空間になる。
 やがて慣れるものなのだろうか?慣れなきゃ人としてやっていけないだろう。そう思いつつ、僕は少し無理しながらも、兄の馴染みの「パソコン研究部」に通い続けた。

メッセンジャー
 
パソコン上で知り合いと交流できるソフト、「メッセンジャー」を導入した。これによって、「PC研」の人達と交流することができるのだ。一対一でチャットをしたり、画像を送ったりといろいろできる。

大学祭が始まる
 大学祭が始まる。パソコン研究部としては、2種の展示がある。体育館の中には自作ゲームを、体育館の外には占いプログラムを展示する。占いには人が沢山来るため接客が必要だ。ゲームの展示は時々人が来るだけなので、バグを監視する程度でいい。僕は自作ゲームをひとつだけ展示した。机の上にディスプレイ、机の下にパソコン本体を置き、コントローラを設置し、自作ゲームを起動して、「自由に遊んでください」というメッセージを掲げる。果たして誰かが遊んでくれるのだろうか?テストプレイをするとバグだらけである事がわかった。僕は自作ゲームの修正をずっとやっていた。

大学祭開始
 時間が来た。いよいよ一般の人達が大学の校内に入ってくる。僕がゲームをプレイしていると、先輩が
「弟君、さすがに遊びすぎ!人手が足りないから、接客して!」
初めて接客をするのだが、どうすればいいのかわからない。迷惑をかけたくない。どうすればいいのかわからないし、先輩に助けを求める方法すらわからない。一般のおばさんが
「これは何?」
というので、精一杯適当に説明した。
「ありがとねえ」
とおばさんは去っていった。この時はなんとかなったが、もういやだ、と思った。コミュニケーションが徹底的に苦手な僕は、
たった一回の接客にパニックになり、体育館へ僕の作ったゲームの修正に戻ろうとした。すると、人だかりができている。騒がしい子どもの列だ。なんだなんだと思って、見てみると、子供たちが並んでいるのは、自分の作ったゲームだ。他のゲームには列は無く、僕のゲームにだけ子供たちが並んでいる。
「うおー!一発でいけた!」
「はやく俺にやらせてよ!」
「なんでこんな綺麗な背景なのに難しいんだよ!」
「難しすぎるだろ!」
子供たちの後姿と、その奥には僕のゲームが遊ばれている様子を見る事が出来る。自分が夢中で作ったゲームが、見ず知らずの子供達を夢中にさせている。それが目の前で繰り広げられている。僕が作ったマップのギミックが、想定した通りに、子供達の体験と学習に繋がっている。何と言えばいいのだろう。凄い充実感がある。やはり小学生の頃から薄っすら思っていたのだが、ゲームを作って生きていくのが良いのかもしれない。

ばったりセノ君
 自転車で登校中、橋を渡ろうとすると中学一年生の頃にとても仲良くしていた「セノ君」とばったり遭った。当時、幼馴染との関係で気まずくなり彼を無視し続けた事を、申し訳なく感じ続けていた。
「ヘイ」
「お…」
セノ君と僕と、自転車で並走しながら話すような事がまたあるとは。僕は彼に聞いた。
「最近、どうしてる?」
セノ君はこう言った。
「え?そんな平凡な事を聞いてくる!?」
驚いた。平凡な事、だと…?普通のつもりだったが…そういえば中一の頃はどう接していたっけ?思い出せない。中一の頃の僕とセノ君との会話の雰囲気を全く思い出せないのだった。当時の僕とセノ君は、よっぽど特殊で面白げな会話をしていたらしい。中二の頃から、平凡と非凡のせめぎ合いがずっとある。中一の頃の友達からからすれば、僕の発言が丸くなったように感じたのだろうか。中二の頃、友達もおらず、毎日降りかかる陰口の弾丸で蜂の巣にされて精神が一度壊れてしまって、数年間かけて少しずつ回復する過程で、今の僕は別の人格に再構築されたのだろうか。
「まあ、最近は○○学部でやってる。」
「へえ。」
「実は、最近はネットで漫画を描いてる。」
「ふーん。ええやん」
「じゃあ」
「じゃあ」
(セノ君…)
彼とは、それ以降会う事は無かった。


WEB漫画

家族に内緒でWEB漫画
 家族には内緒で創作活動をやっている。バレたらモチベーションに影響してしまう気がして恐ろしい。精神的に自由でなければ、良いものは作れないだろう。特にWEB漫画については、リアルの人間関係と絶対に繋げたくない。音楽活動がバレるのも結構キツい。ゲームだけは平気だ。どうしてかは分からない。自分の心は何かによって常に縛られているような気がする。それが何なのかはよく分からないが、家族関係は影響している気がする。家族関係になんらかの呪いのようなものを感じていて、ガッチリ掴まれている感じがある。僕自身の心の奥の方が、本心を外に出すまいと掴んでいる。家族の見ているところで自由な漫画を生み出せるだろうか?もし仮にくだらない事を言われたら、どんな気持ちになるか全くわからない。こんなくだらない事に縛られていては駄目な事を本当はわかり切っている。もっと自分を解き放って、より良いものを作れるようになりたい。そんな日がいつか来るだろうか。

新都社
 WEB漫画投稿サイト「新都社」に投稿してみよう。以前から知っているサイトだ。働く意志のない若者を示す「ニート」という言葉から命名された、出自のふざけっぷりも良い感じのサイトだ。ちなみに新都と書いてニートと読む。確か、このサイトを初めて知ったのは、FLASH職人のサイトからリンクを辿ってここに流れ着いたのが最初だったか。新都社というコミュニティは、「VIP」という場の「VIPPER」と呼ばれるネット民で構成されている。近頃急速にVIP関係のまとめブログが流行っていて知ったのだが、彼等は本当に面白い人が集まっている。その中でも、自分で漫画を描いてネットに公開しているような戦士達が新都社には集結しているのだ。彼らに対して、今の僕のセンスがどれだけ通用するのだろうか?有名人の集団に入っていくような気持ちだ。ハードルが高い。緊張する。いつか、僕の漫画が認められて中堅作家くらいになる日が来れば嬉しいだろうなと思った。目標ができた。このサイトで漫画力を鍛えて中堅作家になる事だ。

つくってわくわく
 漫画「つくってわくわく」というものを描いた。NHKの工作番組を題材にした二次創作漫画だ。これを新都社に投稿するのだ。投稿する瞬間の緊張感は凄まじい。「ええいままよ!」という気持ちでクリックする。すぐに、読んでくれた人達からコメントが寄せられた。コメント一覧を表示してみると、「笑」の省略形である「w」の文字が並んでいる。
「クソワロタwwwwwwwwwwwww」
といったコメントだ。それが大量に寄せられている。知っている人には説明するまでもないが、「w」を多く打つことで激しく笑った事を伝える慣例があるのがVIPPERの文化だ。つまり、めちゃくちゃウケているということだ。その事を知っている僕は、まさか「w」をこんなに大量に見る事になるなんて…と、感動していた。僕の生きる意味は、WEB漫画なのかもしれない。こういう事のために産まれてきたのかもしれない。

帰宅部
 新都社に投稿する次回作はどうしようか。やはり楽しい漫画がいい。僕のいままでの経験で、学校での楽しかった体験を描いてみよう。世の中にある学校モノの漫画はどれもこれも、すぐに部活だの恋愛だのイジメだの言い出すのだ。非常にしゃらくさいと感じる。僕には部活も恋愛も無かった。過激なイジメも無かった。そんな単純化されたものは本当の学校体験に基づいたものではないだろう。理想化されたファンタジーの学校生活を描いている漫画家があまりにも多すぎる。学校ってそんなのばかりじゃないだろう。本物の学校生活には、実際の友達との会話で感じた本当の面白さがあっただろう。僕はそういう事を描きたい。本物のリアルな学生生活を描写するだけの漫画だ。警察24時になぞらえて決めたタイトルだ。まあこんなもんでいいだろう。とりあえず10話完結くらいで描きたい。
「密着!帰宅部24時」 作者:電解質



WEB漫画活動
 
こうして、エスは電解質と名乗り、本格的にWEB漫画活動に取り組むのだった。

参考URL
 電解質のWEBサイト https://kaic.2-d.jp/
 つくってわくわく http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=1723&story=1
 帰宅部24時 http://kitakubu24.jpn.org/

note
 
大学後半 https://note.com/denkaisitwo/n/n48fa59742dc8
 大学前半 https://note.com/denkaisitwo/n/n5cd55453f8d3
 高3年 https://note.com/denkaisitwo/n/n3d93164cdcca
 高2年 https://note.com/denkaisitwo/n/n30b078fe8d98
 高1年 https://note.com/denkaisitwo/n/n1a688d792aff
 中3年 https://note.com/denkaisitwo/n/nd75f8e842704
 中2年 https://note.com/denkaisitwo/n/n1c05f771d778
 中1年 https://note.com/denkaisitwo/n/n4a1e3629f1a4
 小6年 https://note.com/denkaisitwo/n/nc6a3781eb4c5
 小5年 https://note.com/denkaisitwo/n/n6fada4d15a00
 小4年 https://note.com/denkaisitwo/n/n7609898cdb00
 小3年 https://note.com/denkaisitwo/n/n6093c8d9d688
 小2年 https://note.com/denkaisitwo/n/ned1770c38107
 小1年 https://note.com/denkaisitwo/n/n1c255aa69be7
 幼稚園 https://note.com/denkaisitwo/n/n66266373aaf0
 幼年期 https://note.com/denkaisitwo/n/nfc4955821858


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