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自閉症の共感能力について考える(感情の伝播という言葉)

今日は私のダブル試練(自閉症子育てというもう一つの試練は今も続いているが)の時に感じた自閉症(アスペルガー)の息子の共感能力について、当時を振り返りつつ考察を深めてみたいと思う。

人生の試練って結構重なったりする。

私は自閉症の息子が不登校である過渡期に乳癌の診断を受けたのだった。

今だからサラッと試練なんて言えてるけど、当時はホントになんで私なの?の言葉しか出てこなかった。でも、今こうやってちゃんと乗り越え生かされ、共存し受容出来ているってことは、やっぱり私を成長させて下さるために、そしてその経験を他にも生かしていくように、との天から与えられた試練であったのだと感謝にも似た気持ちになれる。

前述したように、息子がようやく最初の特別学校に週何日か行き始めた2021年の初め、私はこちらでの看護師ライセンス書き換えのために看護学校の実習に通いはじめていた。そして思いもかけない進行性乳癌が発覚。

沢山泣いた。ようやくようやく、少しづつ息子が学校に通えるようになったと思った矢先に今度は私が病院通いをするはめになってしまったのである。

これから長い治療が始まる。2か所に拡がってしまった癌細胞増殖の勢いは早く、最初の抗がん剤は副作用ばかりで効果がみられなかった。私がまさか癌なんて。息子はこれからどうなってしまうんだろう。これから苦しい治療を乗り越えなければいけない自分が、ただでさえ大変な自閉症の彼といったいどうやって向き合っていけばいいのだろう。考えれば考えるほど、不安で不安で眠れない日々が続いた。

でも幸いなことに、私はとても沢山の温かい支援や応援に恵まれた。回りの支えのおかげで、少しづつ前を向けるようにもなってきた。なってしまったものは仕方ない、いつまでも泣いてはいられない、癌と闘い息子に辛い顔を出来るだけ見せないようにしよう、と前に進む決意が出来たのだった。

そして誰よりも当時10歳になったばかりの息子自身が、私たち家族が置かれている状況を良く把握していた。いや、「把握していた」という言葉は少し違うのかもしれない。「感じ取っていた」という方が正しいのだろうか。その結果、良いか悪いか、又一生懸命キャパを超えて頑張る息子に戻ってしまったのだ。そして夏休み前には週に4回学校に通えるようになっていた。

今思えば、初回の不登校から立ち上がったばかりの彼のどこに、そんなエネルギーが残っていたのだろうか。息子は頑張って頑張って学校にも行きながら私の闘病に彼なりに寄り添ってくれた(時には病院で抗がん剤を点滴中の私に、泣きながら今から帰りたいと電話がかかってきたりもしたが)

私が抗がん剤の副作用で辛くてベッドから出られなかった時期は、時々寝室まで自分のお菓子や飲み物を運びに来て「大丈夫?」と優しく声をかけてくれた。抗がん剤で全部抜けてしまった髪の毛に初めてウィッグを付けた時は「母ちゃん可愛いよ」と言って頭を撫でてくれたり、おちょけて自分の頭にウィッグを乗せて笑わせてくれた(母に似て関西人気質の自虐好きなのだ)。手術の直後は息子に傷跡を見せて、ここがとても痛いので、ギャーっと抱き着かないようにと何度も説明すると、「母ちゃんこっちは痛くないの?」と関係ないところを叩いて来て(叩くな!)自分なりに気を付けようとしてくれたり。。

それでももちろん、彼は自閉症だから、自分の中で折り合いのつけられない、説明の出来ない感情が溢れでてしまったときには、大きな声を出したり、頭を自分で殴るなどの自傷行為をしたりも多々あった。。。

私は自称超前向きで、嫌なことはすぐに忘れようとするタイプなので、あまり辛かった記憶が残っていないのが不思議だ。でも、今思い返せば、1年にも及ぶ辛い治療の間に息子の学校の送り迎えをしながら、自分の抗がん剤のため病院にも通い(デンマークでは基本癌治療は全て通院。全身麻酔の手術も翌日には退院)、2か月の放射線治療の間は毎日車で20キロの病院まで自分で運転して通っていたので、何もかもがギリギリで必死だった。主人やお義母さんや周りの友達も日本の家族も、そして医療従事者の方々も息子のコンサルタントも、私に心から寄り添って支えてくれたから、なんとか乗り切れたのだと思う。この時ほど、人に支えてもらうことの有難さと大切さを身に染みて感じたことはなかった。

そして、夏に手術が終わり、秋には放射線療法も終わりに近づき、私の治療が3週間に一度の分子標的剤(ハーセプチン)だけになってきたその年の10月。頑張ってきた息子の心の糸は、クラス担任に対する不信と重なって、ぷつりと切れてしまったのだ。その事については違う記事に書いている。

ここで今回、私が声を大にして言いたいのは、良く自閉症(アスペルガー)の人は共感能力が低く、空気が読めないと言われがちだけれど、確かに、今ここの空気が読めず自分発信の会話が続くことは良くある。

でも、それは人の痛みに気づかないとか、人の痛みに共感出来ないということとは少し違う気がする。彼らは私たちが思っている以上に状況を良くわかっていて、自分の置かれている立場も良く把握している。

先程も書いたように、「把握している」「理解している」という言葉よりは、肌で「感じ取っている」と言う表現を使った方が適切かもしれない。そして何よりも彼らはピュアで優しい気持ちを持ち合わせているということを、私たち大人は忘れないようにしなければいけないと思う。

そして、だからこそ、自分の感情をもて余して叫び続けた後や、こだわりがなかなか払拭できずに暴れて要求を通そうとした後、時に自傷行為が始まってしまうのだ。優しい、とってもピュアな心を持っているからこそ、折り合いをつけられない自分が、回りに迷惑をかけていることを感じて、情けなく申し訳なく思っているのではないだろうか(もちろん、激高して物凄く怒っている時はそんなこと微塵も考えてはいないだろうが)。

感覚過敏が強い彼らの空気の感じ方は独特だ。確かに、相手が嫌がっていることを察すること、回りに合わせたりすること、会話の中から空気を読み取ること、そんなことは苦手だと感じる。もしかしたら、自分のベクトルが向いていることには良く共感を示すことが出来るのかもしれない。

デンマーク語に「affektsmitte」という言葉がある。Bo Hejlskov Elvenというデンマーク人の自閉症専門心理学者が使っているその言葉がそれを良く表現している。「affektsmitte」は直訳すれば、「感情の伝播」とでも言えるだろうか。そうなのだ。私たちの感情は彼らに放射線のように伝播しているのである。そして、その伝播した感情を感じ取る力そのものこそが、彼らの持つ共感能力と言えるのかもしれない。

私の闘病中の例のように、母親または回りの人が苦しい時辛い時、彼らも苦しいし辛いと感じている。そして、彼らなりの戦略でその感情を表現しようとしている。それは、時には違った方向(例えば普段以上に落ち着かずにイライラしたり)での感情表出かもしれない。でも、その根底にあるものは、彼らにも私たちの感情が伝播しているということだ。

そのことを知ってからは、自分の親としての感情のコントロールを今まで以上に気を付けなければならないと強く思ったものである。そして、もしこの記事を読んで下さっている1人でも多くの方に、そのことが少しでも響いてくれたらとても嬉しく思う。





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