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デンマークにおける老人介護の実情と私の職場環境

この度、日本の看護研究をされている方から、デンマークの老人施設での介護の実情についてインタビューを受けるご依頼を頂いた。その方の研究内容は詳しく書けないが、その時に話せるように頭を整理する意味もこめて、今日は私が勤務している老人入所施設について触れてみようと思う。

私は2010年デンマークに移住する前までは、看護師として日本で公立病院の病棟勤務を10年経験し、その後は小児科クリニック、予防医学の分野、そして製薬会社での安全性情報分野…と歳を追うごとに臨床から離れていった経歴がある。

そして紆余屈折を経て、今またこの国で、老人介護/看護という分野の臨床に戻ってきたのだ。残念ながら、看護師としての資格は使えない。デンマークの省庁にアプライした結果、私の日本での資格取得年月が古すぎて、また臨床から離れて6年以上たっているため、最初から学校に行き直す必要があると評価されたからだ。

移住後10年めデンマーク語に少し自信がついてきた頃に、一度学業開始に挑戦したものの、自分の病気、そして息子の現状が重なり断念せざるを得なかった。それでも、現在こうして、今まで得た知識と経験を使って、少しずつ社会に参加出来るようになったことをとても有り難く思っている。

現在は自分の意思に反して、自閉症@不登校の息子がいるので思うように働く時間をとれていない。それでもやはり、臨床に携わることが自分が一番自分らしくいられることに、人生の折り返し地点を過ぎてようやく気付きはじめたところでもある。

50過ぎでしかも乳癌サバイバーの私にとって、老人施設で働くことは、体力的には決して楽なことではない。でも、たとえ早朝出勤でも、帰って来てクタクタに疲れても、今のところ朝起きて「あぁ、仕事行きたくないなぁ」とは一度も思ったことがないのが自分でも不思議である。

一つにはもちろん、仕事そのものが、私にとっては不登校の息子とずっと一緒に住んでいる箱の中から解放される場所である、というのも大きな理由であるとは思う。

もともと外交的な性格の私にとっては、息子と2人で家の中で過ごす時間は想像以上にストレスがたまっているものだ。そんな中、翌日が仕事だと思うと(主人が家にいれる日に勤務を入れている)外に出れるというだけで、ウキウキ楽しみにさえなるほどである。

そして何よりも純粋に、日本人である自分が、この国の人たちにようやく受け入れられるようになって、少しでも喜んでもらえる仕事が出来るようになれたことがとても嬉しく、その喜びが私にポジティブなエネルギーをくれている。

さらに言えば、デンマークの老人施設は、私にとっては居心地がいい場所なのだ。もちろん、どこの職場にもマイナスの面はあるし、改善した方が良いと思うことも多々あるが、今日はポジティブなことにのみフォーカスしてみようと思う。

私は、日本の老人施設で仕事をしたことがないので、想像することは出来ても比べることは出来ない。また、私が働いている施設は、比較的裕福な地域にあるプライベート施設であるために、私の経験がすべて、デンマークの他の公立施設の実情に当てはまるとも言えないので、それらを踏まえた上で読んでいただければと思う。

まず私が自分の働いている老人施設でいいなぁと思っていることを3つ書いてみようと思う。

1、寝たきり/寝かせきりゼロ

私の勤めている施設は、10~12人の部署が6つある。どこの部署にも、完全にベッドの上で寝たきり状態になっている住居者は、終末期の数日を除いてほぼゼロである。

これにはもちろん、リフトを使っての移乗など、物理的な補助器具が充実していることが大きい。だがそれにもまして、職員が、朝は住居者全員を起こして回り、みんなで朝食を食べる食卓に連れてこようとする意識が大きく作用しているように思う(もちろん、部屋で食べたい人はそれも尊重される)。

そのため、私はここで働いていて、酷い褥瘡が出来ているご老人を見たことがない。少しでも褥瘡が出来かけると、まずは起こして、寝ている時間を少なくするのだ。もちろんここにも、エアーマットレスなどの褥瘡予防器具が取り入れられていることも大きな効果をあげている。

そして、口から食事を取り、栄養状態が良くなってくると、褥瘡もキレイに治癒していくのである。これもひとつには、しっかり起こして朝のリズムをつけて、食事を自分で食べる意欲を支援することにより得られている効果とも言える。

2、延命治療なし

今の施設で勤務しはじめて3年目になるが、私の知っている限りは、延命治療を希望されている住居者は誰一人いない。老衰していき、食事がとれなくなってしまった高齢者は、もちろん最期の数日はベッドで寝たままの状態を過ごすことが多いが、点滴や無駄な経管栄養は一切施されない。そうした方たちの最期は、眠るようにとても穏やかだ。

これは余談になるが、ある忘れられない思い出がある。ある男性高齢者の最期が近い時、家族がキッチンにやってきた。乾杯をする小さなショットグラスをいくつか貸してほしいというのだ。私はそれらを部屋へ持ち込んだ。集まった家族たちは、持ってきたシュナップス(蒸留酒)をそれぞれ杯に入れて手に持ち、もうすぐ生き絶えるそのご老人の周りをみんなで囲み、「スコール(乾杯)!!」と人生の終わりのお祝いをしたのだ。それはまた、私には新しい旅路への出発のお祝いにさえ見えた。

そして、その方はその後間もなく最期の息を吐き、私も含めてみんなの涙に見守られ、静かに息を引き取られた。彼はきっといい人生だったに違いない。そう思えるほどその死に際、死に顔は清らかで美しかった。私の臨床経験の中で、今まで何度も最期を看取らせて頂いたことがあるが、これが一番心に残っている美しい人生の幕閉めである。

3、個人の自由を尊重

もうひとつ、デンマークらしい特徴の1つとして、個人の自由が尊重されていることである。住居者一人一人の部屋は、それぞれ内装を変えたり絵を飾ったり、家具や好きなものを持ち込むことができる。家で犬を飼っていたご老人は、もちろん施設に連れてきて一緒に住むことが許されている。

そして、活動への参加や、食事の好き嫌いも個人の意志が一番に尊重される。よって、部署で行うアクティビティだからといって、参加を強要されることは決してないし、自分の好きな食べ物を持ち込むことも出来る。――――――――――――――――――――――――――――

それでは次に、なぜ私がデンマークの老人施設を居心地の良い職場と感じているかについて、その職場環境に目を向けて3つあげてみたいと思う。

1、お互いの持っている能力を尊重し合う

職員の中には様々なバックグラウンドを持つ方がいる。看護師、介護士(これにも医療的なケアが出来る人と、生活援助だけの資格の2種類がある)、理学療法士、作業療法士、調理師に清掃職員、そして事務職員。また学生アルバイトやボランティアも出入りしている。

それらの職種を超えて、意見を自由に言い合える環境がそこにはある。それは、それぞれの持つ能力が違い、どちらが偉いとか劣っているとかではなく、お互いの能力の違いを尊重しあっているからに他ならない。

また、働いている人種も国籍も、デンマーク人は半数くらいで、あとは様々である。

タイやフィリピンからの清掃職員、アフリカや中近東から難民としてやってきた介護士。日本人は残念ながら私1人であるが、その他にも沢山のナショナリティ、カルチャーがそこには存在している。

このことの、ネガティブな側面を考えると、介護の現場はそれだけどの国でも、自国の職員では賄えず、人材が不足しているということだとも言える。実際ながら、私の職場でも常に人員不足である。

しかしながら、介護のダイバシティがそこでは繰り広げられ、住居者のことを考えての行為であれば「こうでなければいけない」という枠組みは皆無に等しい。もちろん、「こうした方が良いのでは」ということについては、お互いが職種、人種を超えて意見をだし合うことも恐れない空気がそこにはあり、そのことが私にとっては居心地が良い。

2、仕事の責任の範疇が明確である

上記で述べたことにも通ずるが、様々な職種が出入りしているため、それぞれの仕事の責任の範疇は常に明確である。

例えば看護師は、住居者の健康管理や、急変時における病院、医師とのやり取り、薬の管理などに目を向けるし、介護士は日常生活や家族との調整などに目を向ける。

理学療法士や作業療法士は運動可動域や日常生活動作、活動内容に目を向けるし、調理師は栄養や食品衛生環境に目を向ける。

清掃職員は、常に住居者や職員が気持ちよく過ごせるように働いてくれているし、事務職員は職員の給与をはじめ、入所者の事務的な管理を請け負っている。

また、若い学生やボランティアは、仕事の責任はおわせられない分、住居者たちに分け入り、話し相手や散歩の相手として活躍している。

ちなみに、私の位置付けは看護師の視点を持つ介護職員といった感じである。介護職をしながら、気が付いたことを看護師に報告したり記録したりしていく。彼らも私を日本の看護師として尊重してくれていて、その立場もとても居心地が良い。

3、出来ないことは決して無理をしない

出来ないことは無理をしない。これは、仕事を続けるうえで本当に大切なことだと感じている。例えば、日勤の勤務時間は7時~15時。15時までに終わらないことは、出来なかったこととして、夜勤帯または翌日に持ち越す。私などは、日本人癖で、ついつい仕事をやり終わろうとしてしまうことが良くあるが、そんな時はいつも誰かが「もう時間過ぎてるんだから帰らなきゃ」と促してくれるのだ。

そして、その「時間内に出来なかったこと」が悪い事ではなくて、それは「仕方がないこと」という空気で統一されている。そのことはもちろん、介護の質に直結し、住居者や家族の満足度の低下につながることだって多々ある。でも、それは「仕方がない」のだ。なぜならば、やれることはやったけれど、出来ないことは出来ないからだ。

とっても、シンプルなようでいて、日本人の私にとっては最初慣れるまでは抵抗があって無理をしたこともあった。でも、お互いがその考えを持っている職場では、出来ていなかったからと言ってそのことで責められることは、よっぽどのことでない限りは起こらない。みんな、自分だって出来ない時はあるのだから相手が出来なくても「仕方がない」のだ。出来るときにお互いをカバーし合えばいいという空気がある。

私はこの「出来ないことは仕方がない」という言葉が、デンマークに限らず、仕事が苦痛にならないためのキーワードであるような気さえしている。

もちろん、世の中には「出来なかったから仕方がない」では済まされない仕事だって沢山ある。でも、それはもしかしたら、「出来ない」労働環境や職場の人員配置に問題があるのかもしれず、そこに問題があるのならば、その職場は改善されるべきものが沢山あるということだ。それは個人が無理をして解決出来る問題ではないのではないかと思う。

長々と書いてきてしまった。日本の看護研究者からインタビューを受ける時に、うまく説明出来るかどうかはわからないが、私がここで見たり聞いたり感じたりしていることが、何か日本の介護/看護業界の改善につながればこの上なく嬉しく思う。

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