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中原一歩はキュレーションも知らないのか


「孤立無援のブログ」はまとめサイトではない


中原一歩というノンフィクション作家が、私および当ブログを誹謗中傷しているので抗議する。

Twitterでつぶやくだけならまだしも、「週刊文春 電子版」「ビジネス・インサイダー・ジャパン Business Insider Japan」という大手メディアサイトの、しかも有料配信記事によって、中原一歩は私に対して事実に反する報道を行っている。

大手メディアによる一般人への攻撃である。

あきらかな報道被害である。

中原一歩は、「週刊文春 電子版」の記事で以下のように書いている。(太字強調は筆者)

「コーネリアス」にも「渋谷系」にも縁のない人生を送っていた私が、この騒動を取材しようと思った理由は2つある。
ひとつはこの事件が広まるきっかけとなった「孤立無援のブログ」というまとめサイト。このサイトを初めて目にした時から、私はこのブログの書きぶりに違和感しか抱かなかった。
早速、私は「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」の当該誌を入手し、ブログの記述と照らし合わせてみた。すると、一見、小山田氏の当該インタビューを「引用」した風に読めるこのブログには、実は巧妙な編集が施されていることがわかった。この騒動が拡散されてゆく過程で、このサイトが世に与えた影響力は大きかった。だが、そもそもこのブログは匿名で記されており、文責が誰にあるのか分からない。この文責不明のサイトがソースになって、小山田氏の印象が決定づけられてゆく現象そのものに私は違和感を覚えたのである。

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私が運営している「孤立無援のブログ」は、「まとめサイト」ではない。ブログである。

 ブログとは何かというと、「自分の考えや社会的な出来事に対する意見、物事に対する論評、他のWebサイトに対する情報などを公開するためのWebサイトのこと」である(総務省)。


まとめサイトというのは、一般にキュレーションサイトのことを指すので、ブログとは別のものである。そのことはスティーブン・ローゼンバウム著『キュレーション』(プレジデント社 2011年)に書かれている。

そもそも私がこのブログを開設した2004年には「まとめサイト」などなかった。日本でキュレーションサイトのサービスが始まったのは、2009年の「NAVERまとめ」からである。

したがって、2006年に書いた「小山田圭吾における人間の研究」が、「まとめサイト」の記事であるはずがない。

こんな当然のことを書いてきて気づいたのだが、中原一歩はマジでものを知らないようだ。おそらくキュレーションの意味すら知らない。

知らないことは誰にでもあるので、そのことは責めない。なぜ調べないのか。ましてノンフィクション作家である。事実を書くのが仕事だろう。調べれば、「孤立無援のブログ」がまとめサイトではないことくらい、すぐにわかるはずだ。

親切にTwitterで、中原一歩に教えてあげている人だっているのに、なぜ無視するのか。

編集者もなぜ教えてやらないのか。

わかったうえでわざとそう書いたのなら、完全な誹謗中傷である。私を貶めようとしているのである。

中原一歩は「引用」の意味も知らないのか


「孤立無援のブログ」は、ブログである。ブログとは、自分の考えを公開するためのWebサイトのことである。そして、自分の考えを文章にしたものを著作物という。

著作権法第2条の定義によれば、著作物とは、「思想又は感情を創作的に表現したもの」である。詩や日記はどれほど拙くても著作物である。一方、理工系の論文や裁判の判決文はどれほど知的で難解でもこの定義から外れる。

批評は当然、著作物である。

町山智浩の映画批評は、町山氏が映画を通じて自分の思想を創作的に表現しているので著作物である。だから、映画のストーリーを結末まで明かしても許される。

一方、たんに映画のストーリーを紹介するだけの「ファスト映画」には思想の創作的な表現がない。だから、著作権侵害で摘発されることになるのだ。

また、著作権法第2条の定義を満たせば、パロディも著作物である。

EUでは、2019年にDSM著作権指令が成立し、「引用や批判、評価、風刺、パロディー、パスティーシュ(ある作品の主題などを模倣・借用した作品)といった目的の」インターネット・ミームも、著作権侵害の対象から除外されることが決まった。

著作権法第2条の定義に照らせば、「孤立無援のブログ」の記事は著作物だが、まとめサイトの記事には思想の創作的な表現がない。したがって、「孤立無援のブログ」をまとめサイトだとするのは、事実誤認であり、誹謗中傷である。

「小山田圭吾における人間の研究」は私の著作物である。私の思想を創作的に表現したものである。

同様に、「ロッキング・オン・ジャパン」の記事は山崎洋一郎の著作物であり、「クイック・ジャパン」の記事は村上清の著作物である。

それぞれ思想が違うのだから、表現された内容に違いがあるのは当然である。

「小山田圭吾における人間の研究」を書くにあたって、私は両誌の記事を、著作権法に則ってそのまま引用した。一字一句、書き換えていない。それなのに中原一歩は、次のように虚偽の報道をして、私を侮辱した。

一見、小山田氏の当該インタビューを「引用」した風に読めるこのブログには、実は巧妙な編集が施されていることがわかった。
(太字強調は筆者)

繰り返すが、私は両誌の記事を、著作権法に則ってそのまま引用した。それを中原一歩は、「『引用』した風に読める」などと虚偽の報道をして、侮辱している。これだけ明言したのであるから、「『引用』した風に読める」ことの具体的な証拠を出す責任がある。

中原一歩もペンネームである


中原一歩は、「そもそもこのブログは匿名で記されており、文責が誰にあるのか分からない」と書いている。

バカも休み休み言え。

私は2004年から「電八郎」という筆名でブログを運営し、1087本以上の記事を書いている。17年間である。文責も私にあるのは当然である。

これだけの実績があれば、スーパークレイジー君だって通称認定されるのだから、私だって「電八郎」で選挙に出るくらいのことはできる。出ないけど。

そもそも「中原一歩」がペンネームである。ペンネームで書いている人間に、匿名呼ばわりされる筋合いはない。何をもって匿名とするのか、なぜ「文責が誰にあるのか分からない」と書いたのか、その根拠を教えてもらいたい。


「週刊文春 電子版」と「ビジネス・インサイダー・ジャパン Business Insider Japan」の文責は誰にあるのか


中原一歩は当該記事を「週刊文春 電子版」で連載するだけでなく、「【音声番組】小山田圭吾「独占告白」の“舞台裏”」でも同様の内容を語っている。さらに、「Business Insider Japan」の、「なぜ小山田圭吾は『週刊文春』での独占インタビューに応じたのか?“音楽ロッキン村”問題を今考える」という有料配信記事でも、同様のことを語っている。

いずれも、中原一歩がインタビュー取材を受ける形で、事実に反する内容を語り、私を誹謗中傷している。

中身のない同じネタを何度も使いまわして、しかも事実誤認のヨタ話で金儲けしているのが気に食わない。

この配信記事の文責は誰にあるのか。

「週刊文春」の編集部か。西山里緒(編集部)と、浜田敬子(ジャーナリスト/前Business Insider Japan統括編集長)か。

中原一歩の記事は、私への誹謗中傷である。貴サイトが配信した虚偽の記事によって、私は報道被害を受けた。どう責任を取るつもりか。

両編集部にはこの記事をもって正式に抗議するので、回答をいただきたい。


小山田圭吾について話す中原一歩(17:45頃から) 


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