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新型コロナと新型フットボール

指導者として、今、思う事。

新型コロナウィルスによって世界や日本が脅かされています。
世界から届く悲惨な速報が連日流れ、日本にも数週間後に訪れる可能性があると学識経験者が報じています。
もちろんそうならない為に様々な対処や準備を費やし政府が4月7日に緊急事態宣言を発令しました。それだけでもいけません。この国難を乗り越えられるように日本人がひとつとなって立ち向かわなければなりません。

今、思う事は、サッカーというスポーツが新型コロナの前では無力であるということです。
医療従事者の皆さんは寝る間もなく新型コロナと戦い続けています。
学校の先生やスーパーの店員さんも新型コロナの感染リスクに怯えながらも現場に立ち続けています。総理も都知事も連日会見を行い不眠不休の毎日と察します。
他にも沢山の方々が新型コロナと戦っています。

悔しいですが、サッカーは新型コロナの前では休止することしかできません。
それはスポーツ全てです。
社会が健全に動いていて、世の中が平和であること。
そんな日常があって初めて成り立つのがスポーツでありサッカーです。
そんな当たり前の事を考えた事もありませんでした。
いつでもサッカーができると思っていました。
この歳になって初めて知ることになりました。
そんな自分が本当に恥ずかしいと思っています。

だからこそ、今まで以上にスポーツ,サッカーは社会と繋がらなくてはならないと強く感じています。
そうならなければスポーツもサッカーも消滅してしまう危機感をスポーツに携わる大人達は自覚しなければならないと思っています。

私は子ども達のサッカー指導に長年携わってきました。
サッカー技術を習得させる事は当然ですが、新型コロナウィルスに直面し、改めて、サッカーを通じて、創造する力、仲間と力を合わせる事の大切さ、相手の事や少し先の未来を想像する力、社会性等の人間性を育むことが今まで以上にスポーツやサッカーに求められる時代だと確信しました。

ITが進化すればするほど、人間同士が感じ合える時間や場所を作り出さなければならなくなったからです。
子ども達が数年後には大人になります。
そんな彼らが新型コロナのような出来事が起きても逞しく社会貢献している。
もしくは新型コロナのような出来事が起きない社会を作り出せるように社会貢献している。
プロサッカー選手になった子も、様々な職業に就いた子も社会に貢献できる人間に成長できるように子ども達と関わることをサッカー指導者が自覚し誇りを持つ。
それがスポーツ,サッカーと社会への繋がり方であり、私達サッカー関係者の社会貢献ではないかと思います。
それを実現するためにも子ども達の「こころ」を育むことが大切であることを言いたいのです。
押しつけた躾をすることではありません。スポーツ,サッカーは遊びの延長です。
子ども達がこころに余裕を持って楽しいと思える環境を作って行くことで人間性が育っていくと思います。
もちろん楽しいとは楽(ラク)をすることではありません。
子ども達が真剣に取り組める環境を作る事も大切です。
きっとそれはJリーグでも大人のサッカーでも今まで以上の社会への繋がり方があると思います。
そんなことは今までも取り組んでいると一蹴しないでください。
サッカーと教育を一緒にするなと言わないでください。
携わっている皆さんに素直に受け止めて欲しいと願います。

誰もが想像していなかった東京オリンピック開催すら延期させた未曾有の新型コロナウィルスは人類のそしてスポーツへの警鐘です。
スポーツ,サッカーも今一度、原点を見つめ直せる大きなチャンスだと思います。
ビジネス化が進み、情報化が進み、子ども達の遊びの部分にも大人達が介入してきたサッカー。
激流から、隠やかな流れの社会に、もっともっとゆっくりと時間が流れるように子ども達の「こころ」が育まれる時間を作ってあげなければならないと感じています。
紀元前からいつの時代も芸術が人類にとってかけがえのない人々の心の支えであり続けたように。
スポーツもそうあり続けられるように。
フットボールが社会と空気の存在のような関係になっていくことを望みます。

この記事は
「高校サッカードットコム」さんに「指導者として、今、思う事。」という題目で寄稿しております。
https://koko-soccer.com/column/62-tabata/1027-tabata5?page=2

【追記】これこそが社会に繋がっているトップアスリートだ。
新型フットボールに既にシフトしているのかもしれない希望が見えた。
そしてそれは子ども達だけではなくて大人が変化して行けばよいことを気づかせてくれた。
カズさん素晴らしい!


日本の力をみせるとき
“サッカー人として” カズ 2020年04月10日日本経済新聞

 クラブハウスが閉鎖され、グラウンドは使えず、利用していたジムも1カ月近く休止している。自分で所有している器具で最低限の運動をする日々が続く。

 自分が新型コロナウイルスにかかることも、他へうつすこともあってはならない――。プロスポーツ選手は誰でも、そんな大きな責任とプレッシャーと隣り合わせの生活を送っていると思う。クラブに、対戦相手に、試合開催に。自らが及ぼす影響が大きすぎる。

 屋外を走りたくなっても、感染するかもと控えてしまう。ほんの3分ほどでもいったん家の外に出たら、何に触れていなくても手をゴシゴシと洗う癖がついてしまった。うちの息子たちは街で遊びたい年ごろだけど、家族にも同レベルの緊張をしいてもらっている。

 「え、行くの?」。ある同僚は奥さんにとがめられつつ練習へ出ていた。4月初旬、1カ月先にリーグが再開する予定の一方で、感染への危機感が増していた時期のことだ。一部屋に40人近くが集まるミーティングのさなか、僕も声を上げた。「緊急事態宣言も出そうなときに、こうして集まって、練習していていいの?」。選手の大半が同じ思いだったという。自らをリスクにさらしてでも、命や社会機能を守るべく奮闘する方々がいる。休みたくても、休めない人がいる。でも選手は、そうじゃない。

 いつ電話しても満席だったなじみの繁盛店は、店の維持さえ難しい状況に追い込まれた。我慢は、先が見えてこそ我慢できるもの。娯楽や明るい話題も楽しめず、それどころでない人々がたくさんいる。そんな状況で、僕らが「何か希望を」などとはいえない。

 すべての行動が制限されるわけでない緊急事態宣言は「緩い」という声がある。でもそれは、日本人の力を信じているからだと僕は信じたい。きつく強制しなくても、一人ひとりのモラルで動いてくれると信頼されたのだと受け止めたい。

 戦争や災害で苦しいとき、隣の人へ手を差し伸べ助け合ってきた。暴動ではなく協調があった。日本にはそんな例がたくさんある。世界でも有数の生真面目さ、規律の高さ。それをサッカーの代表でも日常のピッチでもみてきた。僕らは自分たちの力をもう少し信じていい。日本人はこういうとき、「やれるんだ」と。

 「都市封鎖をしなくたって、被害を小さく食い止められた。やはり日本人は素晴らしい」。そう記憶されるように。力を発揮するなら今、そうとらえて僕はできることをする。ロックダウンでなく「セルフ・ロックダウン」でいくよ。

 自分たちを信じる。僕たちのモラル、秩序と連帯、日本のアイデンティティーで乗り切ってみせる。そんな見本を示せたらいいね。
                               三浦知良


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