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【鎌倉探訪】お散歩準備体操第②

「鎌倉探訪(お散歩準備体操第①)」から続く。

(2)仏教観抜きの鎌倉散策はもったいない


①鎌倉の文化遺産
 鎌倉には国宝15件、重要文化財168件の文化財が蓄積され、その多くが仏教文化に由来する。やはり、仏教抜きにして、鎌倉文化、いや日本文化は語れない。

②仏教はまるで科学か、哲学か
 仏教は面白い。約2600年前に釈迦の説いた原始仏教とそれに纏わる伝承は、とても人間的で、でも論理的、科学的である。「一切唯心造」とも表現される認識論を瞑想を通じ極めた結果、悟り(苦から解放された精神的平和)を得る。その体験を合理的に言語化し、ルール化したものが、仏教の中核なのであろう。でも、これだけでは個人的な悟りを得る為の修行プログラムに留まり、社会性や普遍性が感じられない。

曹洞宗大本山永平寺の回廊。道元の只管打坐。
釈迦は座禅と瞑想によって悟りを得た。


③普遍的精神への拡張
 釈迦はご自身が悟った後、これを他人に広めるか、迷ったと伝えられている。その迷いの中で「因果律」、「諸行無常」、「諸法無我」に象徴される世界観も明確になったのではなかろうか。世界は原因と結果の連鎖によって常に変化している。我々を含むあらゆる存在は、常に変化するプロセスの「今此処の断面」として、今ここにある形(物質や事象、そして私)として存在する。
  
 この様なエコシステムな世界観に基づき、自他の区別を無くし、生きとし生けるもの全てを救済しようとする精神を持つことで、個人を超えて利他性と普遍性を確得した。誰一人取り残さないという、SDGsの考え方にも繋がる。最新の社会の方向性にも通じる思想への昇華は、ご自身が悟った後の人間釈迦の成長の歴史のように思える。

 最近では、科学的に仏教を捉え直す、或いは、仏教的分析を科学的仮説に活かすという動きも広まっている。例えば、心脳問題における脳科学との連携、「ゾーン」と瞑想の集中力についてのスポーツ科学との研究が盛んとなっている。

 仏教の世界は広く深く、 ど素人の自分にはその末端しか理解できない。ただ、幸いにも興味を持てたのも、仏教のそんな科学的な一面に引かれたからだ。我流の拙い解釈であるが、妄想を続けたいと思う。

④仏教の国産化、鎌倉仏教、鎌倉五山
 インドで生まれた仏教はその後、中国、半島を経て6世紀に日本に伝来、以降平安時代まで遣唐使などを通じて中国の最新の仏教を輸入してアップデートしていった。日本固有の仏教として発展するのは、鎌倉時代の鎌倉仏教からである。
 その内、浄土宗、浄土真宗、時宗は、浄土教系と言えるが、念仏を唱えれば阿弥陀仏に救済されて極楽に往生ができるという点で共通している。この点で救済型の教えであり、貴族社会から庶民に広まった。
 禅宗は比較的に釈迦の教えに近く、座禅による瞑想で悟りを開くというもの。自助型の教えと言え、鎌倉武士に好まれる傾向にあった。道元で有名な曹洞宗と幕府と結びついた臨済宗がある。臨済宗では、幕府により鎌倉五山が制定され、それらの大寺は同時に軍事的に鎌倉の守りを固める役割も担った。
 日蓮宗は法華宗とも言われ、法華経を根本思想に据え、念仏往生系の宗派と対立、幕府からも危険視され、しばしば法難に会うことになる。
 これらの思想の違いは、寺社の庭園の姿にも反映されていった。浄土のお庭はやはり華やかだ。
 これだけ思想的に異なるにも関わらず、宗派の創始者は、みな若い時に比叡山延暦寺に学んだ。日本中の知恵と知識が延暦寺に集中していたのだろうが、延暦寺が、共通の出発点、鎌倉仏教の母、という点は興味深い。

(3)鎌倉の建築、仏像、庭園を楽しむ

①仏の4階層
 仏には、何と階層がある。おそらく仏像作りのルールに反映されたものだろう。最上位は如来。悟り得た者で、煩悩から解脱しているので、服衣は簡素。単衣のみである。
 次の位は菩薩である。菩薩は悟りを開く前の仏であり、王族で出家前の若い釈迦がモデルの一つとされ、服装は王族らしくやや豪華に思える。
 次は明王。明王は、悟りを開けぬ衆生を叱る、或いは修行者を煩悩から守る仏であり、恐ろしい形相をしているのはその為である。大日如来の化身またはその使者。但し、孔雀明王だけは武器を持たず、慈愛の表情の由。
 次に天部。天部は仏教世界を守る武神、または、招福の神(大黒天等)である。上杉謙信が軍神として信仰したのは毘沙門天であった。これらの階層は、大乗仏教系のお寺の仏像の配置に影響する。
 位が高いほど服装が簡素になるのも、今更だが、なるほど、新鮮にして爽やかな道理!

②運慶・快慶の仏像、量産には寄木造り、イケメンは?
 鎌倉時代の仏師といえば、運慶、快慶だろう。彼らは職人集団を組み、急増する仏像の需要に対応する為、仏像を部品に分け分業制による量産体制を構築した。木製の仏像となるが、いわゆる寄木造りである。写実的でもあるが、それだけでなく見る人の位置を計算に入れてデフォルメしている点も凄い。

 また仏像は時代によって顔立ちや体つきの特徴が異なるらしい。仏像も初期は輸入ものまたは模倣したものだったが、この時期に国産化が進む。少しでも見る目を持って丁寧に鑑賞をすれば、楽しそうだ。
 例えば、イケメン系仏像としては、
  ・「興福寺」の阿修羅像(八部衆(天部))
  ・「広隆寺」の弥勒菩薩半跏思惟像
  ・「宝菩提院願徳寺」の如意輪観世音半跏像
  ・「東寺」の帝釈天騎象像
  ・「萬福寺」の韋駄天像
の人気が高く、確かに美しい。が、結構、仏としての位は低い(ひがみだが、ウッシー!)。
https://vipliner.biz/column/kyoto-nara-osibotoke2004/
 
 以上は京都、奈良の仏像。鎌倉も仏像の宝庫なので、仏像鑑賞に再挑戦をしてみようと思う。近くて幸せ。
https://www.kamakura-enosima.com/html/supoto/ato.html

③江戸時代とのコラボレーション
 浄土宗高徳院の鎌倉大仏は、阿弥陀如来仏である。荒廃の200年をしのぎ、江戸時代に修復された。
 鶴岡八幡宮も戦国時代に里見氏の焼き討ちにあったが、北条氏綱が再建。徳川時代には秀忠、家斉が大規模化を進め、多宝大塔、東照宮も建立されていたらしい。鎌倉長谷寺の十一面観音像も江戸時代に作成された。

鎌倉大仏の背中。ここから積層鋳造工程の土を取り除いた !?


浄土の庭は華やかに美しい
 鎌倉の庭園と言えば、花のお寺の印象が強い。浄土教がこの世に極楽の世界を庭として表現すると、やはり華やかな花々が不可欠なのだろう。長谷寺は紫陽花で有名だが、その庭は四季に多くの花に彩られている。

長谷寺の庭。浄土を思わせる。


 枯山水の形式が室町時代以降に定着した為か、鎌倉には禅寺が多いが、枯山水の庭は多くはないようだ。枯山水式庭園は目立たないが、鎌倉には旧西洋邸宅も多く、近代的な美術館もあり、それらの庭園も素晴らしい。2020年に新たに、「旧神奈川県立近代美術館 」が国の重要文化財に指定された。鶴岡八幡宮の境内にあり、池に浮かぶ様に立つ姿が美しい。建築とともに庭園も、多層的に多様な世界を繰り広げている。 

(4)鎌倉を歩く切り口を考える(まとめ)

 僕の本来の目的は、楽しく歩いて健康になることであった、都市研究ではなかった。原点に戻ろう。
 文化遺産と鉄道が作り上げたSnobな街、鎌倉だが、さて、どう攻略してみよう。各々のエリアで5km程度の攻略ルートを考えてみたい。

①北鎌倉駅周辺には、鎌倉五山の一位から四位の禅寺が集積する。重要文化財の建築物、梵鐘も多い。禅文化に浸りながら、鎌倉駅に抜ける。まず鉄板だろう。

②鶴岡八幡宮から由比ヶ浜に通じる若宮大路は、鎌倉の背骨であり、今もオフィス商業街。小町通りも近いし、楽しい。が、それだけでなく、重要文化財、近代建築、邸宅等、文化財の集積地であることがわかった。期待の再発見エリア。昭和ぽっい通称レンバイ(鎌倉農協連即売所)も魅力的。

③市街東部は日蓮宗の寺院が集積する街。妙本寺は苔寺としても有名。重要文化財の本堂を擁する浄土宗の光明寺も庭園が浄土らしくて良い。

④市街西部は、浄土宗の長谷寺、高徳院鎌倉大仏。旧西洋邸宅も多い。江ノ電海岸ルートとの組合せがGOOD。長谷寺の観音ミュージアムはもう一回見てみたい。ぼーっと鑑賞してしまった、勿体ないことをした。

⑤鎌倉山。高級住宅街の街路景観を楽しみながらの散歩は、アップアンドダウンが多少辛そう。憧れのローストビーフの鎌倉山。洒落たレストランやカフェが隠れ家的に点在する。

 以上のオプションの一つを歩いた上で、ご褒美に
⑥夕方に大船駅へ。東口駅前の魅力的な飲食街を探索。

 そんな作戦で鎌倉を攻めてみるか!
とは言え、準備に少し凝りすぎた。すでに疲れが。。。


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