見出し画像

【社会探訪】ニッポンの人口を巡る空想大冒険

冒険の出発は、ふとした思いつきからだった。
日本は人口が減少するから、国内市場は縮小し、だから経済力も国力も衰退する。そう決めつける様に言われるが、本当にそうなのだろうか?


1.人口は国力の決定的な要因か?

国家戦略や企業戦略でも、それを前提として議論しているが、人口は、国の盛衰や経済とって、そんなに決定的に力を持つものなのか?

そんな疑問でモヤモヤとしていると、江戸時代の日本は人口30百万人と今の4分の1程度、しかも鎖国で国内市場で完結し、でもGDPは、中国の清、インドのムガル帝国、フランスに次いで世界4位の経済力を誇る国だった、という記事を見たところから始まる。西暦1700年頃の話だ。

2.2060年、ニッポン人口87百万人のインパクト

日本史上最大の人口は2013年の127百万人、それが2060年には3分の2の87百万人、2110年には3分の1の43百万人になると言う。予測は外れる為に予測するとも揶揄されるが、著名な経営学者のドラッカーは、唯一正確に予測できるものは、人口予測としている。

出所:平成16年 年次経済財政報告 内閣府

2110年は、いかにも先が遠すぎる。2060年に迎えると言われる人口87百万人とは、わが国の歴史においてどの様な水準なのだろうか。2060年と言うと、カーボン・ネット・ゼロを目標通り達成していれば、その10年後の世界だ。

出所:我が国における総人口の長期的推移 - 総務省
上段:西暦800年以降、下段:1950年以降

上の図表からすると、2060年の8700万人とは、戦後の1950年頃の人口規模に戻る水準だ。戦後の復員で第1次ベービーブームを迎え、高度成長期に突入する時期で、歴史的には決して低い人口水準ではない。

但し、規模が同じでも世代別人口構成が大きく異なる。65才以上の高齢人口比率が大幅に上昇し、1970年には7%であったものが、2050年には40%に達し、14才以下の若年人口は僅かに9%になる。

30~40年後の日本では、道行く人の半分が年金生活者となり、現役世代は半分以下、11人に1人しか子供には会えない。全く今と異なる風景となる。

日本の人口推移 縄文時代~2100年
出所:社会実情データ図録

上の図表も示唆に富む資料であるが、ここでは、縄文期における人口の後退に注目したい。この時期は寒冷期が度々繰り返される気候変動の期間でもあり、また狩猟から農耕への移行する第一次産業革命期でもあった。その時期に人口は3分の1になっている。

第二次産業革命である工業化の過程で起きた農村と都市の衝突にも見られたが、産業革命期の環境変化はいかにも厳しい。

次に世界の人口推移を見てみよう。下表は、有史以来から2050年までの世界人口推移の推計である。

世界人口の推移 紀元前~2050年
出所:国立社会保障・人口問題研究所

このデータを中心に、傾向の把握のため、多少乱暴だがアンガス・マディソン他の研究データを付け加え、世界と日本の人口推移をグラフにし、日本の世界人口におけるシェアを試算してみた。

世界と日本の人口推移(左軸:世界、右軸:日本)と
世界における日本の人口シェア推移

日本の「人口史」で興味深いのは、江戸時代前期の人口の伸びだ。江戸幕府成立は1603年、享保改革は1720年前後、この間に人口は1200万人から3000万人に大幅に増加し、冒頭の参照記事では日本は世界4位の経済大国であった。結構な成長期、相当な経済大国なのだ。

続く江戸時代後期に於いては、1868年の明治維新の3300万人までほぼ横ばいで推移する。

維新後はグイグイと増加し、工業化による経済発展で終戦を迎える1945年には7200万人、ベービーブームと高度経済成長で1970年には、何と1億人を超える。
3000年前の縄文後期の日本人は僅か8万人だった。

1980年以降は高原状態に入り、2013年の1億27百万人をピークに以降は減少していく。

「日本人口通史」はこんな感じだが、僕が引っ掛かりを覚えたのは、以下の点だ。

人口シェアの推移を見ると、日本は鎌倉幕府開闢以来、大方、世界の2~3%で推移してきたが、今現在、2%を切り、2060年には1%も切って漸減してゆく。日本は、今まで800年以上経験していない世界における人口ポジションの低下を迎える。

今後のわが国は、日本史上初、或いは世界初の継続的な人口減少社会となる。我々にとって、実質的に未体験の世界だ。2110年には、2013年の127百万人から43百万人になるという。100年で3分の1だ。

2060年に65才以上の高齢者が半数以上となる超高齢化については先に触れたが、この現象も未体験ゾーンだ。

最後に、人口縮小が止まらない点をどう捉えるか。日本人は少数民族となるのだろうか。それは悪いことなのか。日本人は漢民族を始め周辺地域の人種とは遺伝的に異質で、その要因は縄文人らしい。日本人のアイデンティティーが揺さぶられる。民族とは何だろうか。

(NHKフロンティア「日本人とは何者なのか」)
https://www.nhk.jp/p/frontiers/ts/PM34JL2L14/episode/te/XRL92XPWX2/

人口史は未知との遭遇だらけだ。

3.富の活用と創造力が、人口減少克服の魔法の杖

次に人口と経済力の歴史的な関係を見てみよう。

(1)GDPの世界史と国家の盛衰

①世界のGDP推移
まずは、世界の紀元後からのGDPの推移であるが、次のグラフの通り、人口推移と似たような推移を示す。

紀元後の世界GDP推移

紀元前7000年頃の農耕革命、18世紀に始まる産業革命、1990年台の情報革命と、人類は3度の産業社会の転換を経験してきた。

上のグラフを見ると、産業革命以降の成長は、正にけたたましい。1800年以降のグラフは、ほぼ垂直に立ち上がり、それまでとは異次元の経済成長を遂げている。工業化の経済的インパクトは絶大だ。国家間の経済格差も広がり、世界の勢力図も大きく変化することになる。

②国家の盛衰
ローマ帝国、中国王朝、インド王朝、イスラム王朝。
古代・中世の大帝国の遺跡は、現代人の心にロマンを掻き立てる。

次の図表では、世界の経済力の推移を見て欲しい。西暦元年から19世紀初頭までの古代から近世の間、やはり中国、インドの2強、少し遅れて大航海時代を経た西欧の3強が、世界で圧倒的な存在感を示す。その期間は1800年間に及ぶ。

縄文杉が見たら、
「そりゃ、そうでしょう。それが歴史のノーマル」
と呟くかもしれませんが。

詳細の歴史とクロスして俯瞰したい場合は、以下のリンクを参照して下さい。歴史浪漫が刺激されます。
https://drive.google.com/file/d/1YZFiUBKaUzvYx-ciOPIoh0-ijncxZh2l/view

(出所:ラバーの歴史系製作物倉庫Wiki*世界史2D年表)

この世界3強の構図が、18世紀に始まる産業革命による工業化で大きく変化する。上のグラフで確認すると、1820年以降、中国・インドが大きく後退、西欧が逆転する。

次には米国の登場だ。1913年は第一次世界大戦の前年だが、以降、英仏の兵站供給を担った米国経済が急速に台頭し、欧米で世界のGDPの過半を占めた。世界最大の経済大国になった米国は、第二次世界大戦を経て世界最強の軍事大国となり、パクス・アメリカーナを築き、現在に至る。

その上で、日本を見てみよう。
世界における日本の人口とGDPのシェア推移をアンガス・マディソンの研究に基づいて試算し、以下にグラフ化してみた。

アンガス・マディソン「世界経済史概観」推計をグラフ化


歴史的には、日本は世界の中で意外とがんばってきた、と言うのが、ちょっとした嬉しい驚きを伴った僕の印象だ。

江戸時代は後退期と思っていたら、享保改革時代の世界シェアは4%前後、明治以降の富国強兵時代の2~3%よりも世界シェアは高いくらいだ。これは冒頭の参照記事を裏付ける。江戸時代前期の社会・経済は気になる。鎖国という地産地消、一国内需完結経済、加えてエコな循環社会にして、世界4位の経済大国。参考になるところが多々ありそうだ。

次に、2000年間の全体的な傾向を見てみよう。

西暦元年から1950年頃までは、人口シェアとGDPシェアは一致した動きを示している。人口は経済力の決定的な要素であったのだろう。

但し、1870~1950年の期間の分析には注意を要する。
18世紀から欧米が爆発的にGDPを伸ばした第二次産業革命に、明治の国家改造で100年の遅れをキャッチアップできなかったら、今の日本はなかったであろう。1870~1950年かけての世界GDPシェアの維持には、産業革命に追い付く為の明治人の血と汗が染み込んでいる。この国家的変革がなかったら、日本の世界シェアは凋落していたに違いない。

つまり、人口が経済力に決定的要因だったのは、19世紀半ばまでと考えられる。逆に、第二次産業革命の工業化のインパクトが如何に絶大か、とも言える。

1950年以降、日本は、人口シェアを大幅に上回るGDPシェアを伸ばす。戦後復興、高度経済成長期だ。工業化効果を上回るGDPシェアの伸びだ。

第二次産業革命以降、どうやら日本の経済成長のドライバーは変化したようだ。

実は、この空想の旅の出発時点では、江戸時代前期の繁栄のように、一国完結型のエコ社会でも日本は豊かに美しく生きていけるかもしれないと、仮説を置いていた。しかし、第二次産業革命の急激な成長曲線と経済格差を見ると、空想だったかもしれない。日本の豊かさを維持するには、今直面しつつある第四次産業革命に食らいついていかねばならないようだ。

③資本投入と全要素生産性がより重要
さて、下の図表を見て欲しい。1986年以降の日米独の潜在成長率の要因構成の推移だ。成長率を労働、資本、全要素生産性(TFP)の3つの要因に分解している。労働力は生産年齢人口だから、大きく総人口に比例する。資本は、設備投資が代表格だ。TFPとは、労働要因、資本要因以外の要因。典型的には、技術革新やイノベーションによるものだ。

1986年以降の日米独の潜在成長率の要因分解
出所:地域の経済2011 (内閣府)

上表からすると、国際的にはここ半世紀は、労働要因よりも資本要因やTFPによる成長が大きい。経済の成長ドライバーが、人口から資本とTFPにシフトしている。

そして、近年の日米独を見ると、TFPの貢献が半分以上で、最も貢献度が高い。

Windows95の発売は情報革命の幕開けと言われるが、その翌年1996年以降の米国のTFPは1.1~1.7%、これに対し日本は0.4~0.6%だ。先進国の経済成長率目標が2~3%に対し、この1%近くの差は大きい。
人口よりもここが問題だ。

もう1つの鍵、資本投入には、富の蓄積が必要だ。
幸い日本には、先人の努力のお陰で、高度成長期からバブル期に蓄積した資本があり、家計部門の金融資産は2,000兆円を超える。但し、50歳以上の高齢者が8割以上を保有する偏りがあり、また半分を現預金で抱えると言う課題はある。経済上、消費や投資に回らねば、寝ているお金になってしまう。明治政府には資金も、徳川埋蔵金も無かった。課題はあるが、とにかく資金のある令和日本からすれば、自己解決できるかの問題である。

人口減に起因する1996年以降の労働要因はマイナス0.3%程度。痛いが、成長に致命的ではないだろう。先に触れた通り、資本の蓄積はあるのだから、資本は経済成長の制約条件とは言えない。活用できるかの問題だ。
となると、最大の課題は何と言ってもTFPの向上である。イノベーションだ。

(2)昭和黄金期のニッポンのTFPとは何か

①日本経済の成長要因の推移
奇跡の経済復興と言われた戦後復興と高度経済成長を成し遂げた日本。次の図表を見て欲しい。

1900年以降 国際問題No.708(小黒一正氏)
1960年以降の日本のGDP成長率の要因分解
出典:地域の経済2011(内閣府)

成長率の要因分解の推移を見てみると、1960年台からの高度成長期には資本要因が突出して貢献、TFPも0.7~3.8%と高い水準の貢献を示した。労働要因はほぼ貢献がなく、大きな影響を与えていない。

高度成長期は工業化効果を上回る伸びがあった。
具体的な事象を手繰ってみると、
ノーベル賞受賞の江崎玲於奈博士のトランジスタ発明、トランジスタラジオ、半導体、ウォークマン、ビデオ録画機、CD、DVD、オイルショックに対応する高燃費コンパクトカー、かんばん生産方式、「KAIZEN」活動。
革新的な技術や革新的な生産システムで、革新的な商品を世界に提案し、世界第2の経済大国となった。
驚異的なTFPを発揮したのも、分かるような気がする。

人口減少が続くこれからは、労働要因の貢献に期待できない。イノベーションでTFPを伸ばし、それを需要する市場を作り、その生産を拡大する資本投下を行うことで新市場を拡大し、経済成長を狙う。
TFPと資本の成長で人口減少は克服しえる。

資本は設備投資が中心なので、需要不足の先進国では資本要因は起爆剤とはならない。イノベーションが先であり、資本投入との好循環の起点となる。

従って、イノベーションとイノベーションを需要する新市場の同期循環的な発展が鍵だ。そうでないと、産業として定着せず、折角のイノベーションが潰れてしまう。

新市場の創造は、言わば産業経済の転換コストであり、社会共通の課題だ。社会課題の解決なら、国や国民が広く負担することも許容されるであろう。言わば、新市場創出への公的投資と捉えたい。

また、高齢人口と生産年齢人口がほぼ半々となり、子供が数パーセントとなる将来、現役世代がDXを活用し、産業を電子化、自動化、無人化していくことは社会にとっても不可避であり、必要な投資となる。

高齢者も、現役世代の負担軽減の為にも日常生活で必要となるITリテラシー、無人・省人社会の対応など、学び直しの努力が求められるだろう。

、、、とは言え、高齢者向UIの開発にも期待したい。
この分野も成長分野です。よろしくお願いします。

(僕もガンバらねば)

②日米の産業別生産性比較

別の角度で、生産性の問題を見てみよう。
米国との比較で日本の産業別の生産性を見てみる。

日本生産性本部 滝澤美帆  産業別労働生産性水準の国際比較

サービス業全般の生産性が低い。米国の半分以下だ。

横軸は付加価値のシェアを示すが、最大の付加価値産業である卸・小売が、米国の生産性の3分の1以下。これでは、日本経済も浮かばれない。要因としては、面着営業重視や接待・手土産を含む日本独特の商慣習や強固な規制が考えられる。

本来の産業使命である効率的なマッチング機能、資源の最適分配という観点から、慣習や業務のやり方を見直す必要があるだろう。例えば、対面業界を含めた一貫垂直サプライチェーンをデジタル化して生産性を上げる手法がある。ドイツでは、インダストリー4.0として既に取り組んでいる。

また、多くの産業で言えることだが、Chat GPTに代表される生成AIモデルで、ホワイトカラーの働き方は大きく変わる。更に、深層学習AIと組み合わせれば、相当な仕事の代替が可能になる。ブルシットジョブも減ることが期待される。

総就業者数6700万人の内、卸・小売業の就業者は1100万人に昇る。3割生産性を上げれば、330万人の労働力を創出できる。

長期的に労働力が大きく減少していく将来、生産性向上で人的資源を創出し、潜在成長率の高い分野に人的資源をシフトしていかざるをえない。

まとめると、
  「TFPの向上×高い潜在成長率産業へのシフト」
が勝利を目指す方程式となる。

(3)今後の新需要・新市場と資金循環

では、向かうべきイノベーション分野はどこか。

まずは、
①斬新なシニア産業。
家計部門の金融資産2,000兆円の半分以上を持つ高齢者層がお金を使いたくなる事業開発が上げられる。
この分野は高齢人口が増加する以上、まず確実な潜在成長市場である。高齢者は、例えば、
 >高齢者の居心地の良い外の居場所がない、
 >高齢者の好むコトのメニューが少ない、
 >自立生活支援の商品・サービス不足、
などの課題を抱える。また、長寿化に伴うヘルスケア環境(医療、介護、製薬、健康)の強化も期待される。

今までの慣性で多くの産業が現役世代をターゲットにしているからと思われるが、これらの課題を解決する商品・サービスの開発・提供は大きなビジネス機会だし、社会的要請でもある。若者が年を取ることは楽しみ、と希望を持てる観点も大切だ。

日本のGDPは年間600兆円弱。社会保障費は年間130兆円、この内、高齢者向けは、年金は60兆円、介護保険は15兆円、医療保険40兆円の半分として20兆円、この合計で95兆円、この他に企業年金の支給があり、金融資産は1,000兆円以上を保有する。今後高齢人口の増加が続くのだから、人生100年時代の巨大な潜在成長市場と言え、質量両面の革新が求められる。

同時に急速な生産人口の減少の対応として、
②社会・産業の自動化投資(ロボティクス、AI)
が必須となる。それには、
③電子社会基盤整備(電子データ共通基盤、DX基盤)
が、ほぼ全産業の前提条件になる。

また、国際社会に対する責任からも、SDGsの観点からも、また国際競争の参画要件の確保の為にも、省資源社会や脱炭素社会の整備は不可避だろう。次に上げる産業育成と投資は、不可欠となる。

④循環経済基盤整備:
(リサイクル、リユース、リデュース)
⑤グリーンエネルギー基盤整備:
(再生エネ・水素エネへの転換。原子力は?)
⑥電化社会整備:
 (上記⑤を前提とした社会の電化)

こうして見ると、新産業・新市場の領域は広大だ。と同時に、とんでもなく広くて重い課題だ。

年金だけでなく資産形成も必要な時代となる中、個人投資家として、どの産業や企業を応援するかを考え、少額投資してみるのも、立派な高齢者の社会参画だ。1人1人は小さくとも、集まれば大きな力になる。

また、イノベーションの育成には、新市場開発の同期化が必要となる。商業化しないと、当該企業は成長資金が得られず、従って新市場も拡大しない。好循環の形成には、特に立上げ期に注意が必要だ。商業化のためには、コスト競争力が課題となるが、これには一定以上の生産規模が必要であり、立上げ期には一定の支援が欠かせないだろう。一種の先行投資と考えるべきだ。

この様な産業育成のリスクと資金負担は、将来の受益者が負担するのが公平な原則であろう。とするならば、①の新しいシニア産業は、高齢者を中心に消費と投資を通じて行うことになるし、②~⑤の各種基盤整備については、一定の公的負担(公共投資、補助金)があっても良いのではないか。その上で、個々の事業については、企業が負うこととする。社会共通の基盤整備や不連続で大規模な新市場の立ち上げは、民間任せでは無理に思える。

供給サイドの観点からは、日本の革新的技術力はまだまだ捨てたものではないが、最終製品の提案力が衰えている様に思った。内閣府の「革新的技術一覧」を見てみると、部品技術(要素技術)が革新的技術とされるものに映る。

https://www8.cao.go.jp/cstp/project/bunyabetu2006/mono/5kai/siryo2.pdf

(出所:内閣府 革新的技術一覧)

昭和黄金期のウォークマンやコンパクトカーの様に、最終製品を提案しないと、社会に新需要を創造できない。この点は気掛かりだ。

資金循環の観点からは、高齢者は新産業育成からの投資利益を獲得し、それを消費や再投資に回し、国は国債を発行するだろうが、産業の生産性向上や新産業創造による税収増が返済原資となる。企業は成長分野への投資と事業拡大によって収益を拡大し、再投資と株主還元を行って、GDPを拡大し、投資家に資金を還流する。そうした好循環が生まれれば、理想的な資金循環だ。

今は、DXを中核とする第四次産業革命を迎えていると言われる。産業革命を迎えた明治以来の国家再構築、社会産業改革の局面に直面しているのだろう。明治維新から、150年以上経っている。人生や生活も大きく変わらざるを得ないのだろう。

令和の「ちょんまげ頭からざんぎり頭」へ。当然、高齢者ならではの役割、生き方も変わることになる。

4.人生100年の新しい物語

僕は子供の頃、大人になるのを楽しみにしていた。
人生100年、今の若者が年を取るのが楽しみな社会にしなけれならない。

その為にも、今の高齢者が楽しく生き甲斐を持って生きる未来をデザインしなければならない。  人生100年を楽しい物語に作り直す。人生第二世代には、社会人として、やらねばならないこともあるし、楽しそうだし、楽しくできる。

まずは日本経済再生への参画として、高齢者には、個人投資家とシルバーイノベーションの消費・育成と言った社会的役割がある。新NISAは、高齢者の資金循環を促す観点で有効だと思う。

が、それだけではない。

国の競争力は根源は文化である。文化が競争力を差別化し、世界の人材を引き付ける。それが多様性を生み、世界的競争力となる。それには、農業、林業を含む自然資本の育成、歴史文化の維持・発展が欠かせない。この様な世代を跨がる公共的な仕事は、市場経済で短期的利益を追求する現役世代よりも、第二人生世代がふさわしい。

日本全図の伊能忠敬、船橋蒔絵硯箱の本阿弥光悦、国文学者の本居宣長。江戸時代に既に、偉大な第二の人生の達人が存在し、第二の人生で偉大な仕事を成し遂げた。伊能忠敬は71歳まで全国の測量を行い、本居宣長が古事記伝を完成したのは69歳だった。

一方で、技術革新が急速だ。特に、高齢者は、ITリテラシーのキャッチアップや現役世代の負担の軽減に努める必要がある。デジタルデバイドを起こしてはならない。

話は少し逸れるが、外食チェーン店で、若い店員にサービスが悪いと、辛く当たる年配者がいて、悲しかった。若い店員は人手不足の中、フロントを1人で独楽鼠のように回していた。昭和とは時代が違う。サービスを求めるなら、その様な店にいくべきだ。

高齢者のかつての常識が、社会の変容でずれ始めているかもしれない。社会変容をキャッチアップする為の自己啓発も必要になりそうだ。例えば、ユビキタスが進むと、日常生活に必要なスキルも変わるだろう。大人の第二教育が必要かもしれない。教養を広げると思えば、いい刺激になる。

高齢者は現役世代に比べれば、時間的にも、社会的責任においても、自由に、目先の利害を超えて生きられる。そう考えると、第二の人生、結構、楽しそうだ。また、その気になれば、結構、忙しそうだ。でも、事情に合わせて、ライフスタイルを選択すればよい。第二の人生では、自由な生活が最大の特権かもしれない。

今回は、日本の人口問題をきっかけに、思いがけず有史以来から未来、日本や世界の旅となった。世界中の時空間を駆け巡った感覚だ。江戸時代の社会構造やライフスタイルは?、民族って何だろう、日本人って何だろう、と新たな興味の発見もできた。

これもnoteを始めとした知の集積と開放のお陰、最後に改めて感謝です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?