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モスリン橋・私家版

「モスリン橋 ベータ版」というのが、最初のタイトルでした。ベータ版(ベータばん、βばん)とは、正式版をリリース(公開)する前にユーザーに提供するソフトのことを指します。原稿を書く上で、一応見聞きしたことを書いてから正規のものを作るのが、筆者のいつもの方法なので、最初に書いたものがこれです。

モスリン橋探索



「モスリンのことを書くからには、橋も自分の目で確かめなければ!」と思い立ち、モスリン橋の場所を調べました。モスリン橋は、とても不便な場所にありました。阪急神戸線・JR東海道本線・JR福知山線に囲まれたエリアであるにもかかわらず、どの駅からも遠いのです。一番近くを走っている鉄道は、山陽新幹線でした。モスリン橋がかかっている川は、神崎川です。モスリン橋の北約1キロの地点で、猪名川と藻川が合流し、更にモスリン橋の西400メートルの地点で神崎川に合流しています。3つの川が合流する地点にあるのがモスリン橋です。

タクシーに乗りました

さて、実際に行ってみるにあたり、どの駅から行くかを検討しました。JR東海道本線なら加島・阪急神戸線なら神崎川です。加島からは直線の道がなく、神崎川からだと川沿いに1キロ近く歩くことになります。いろいろ迷った末、十三からタクシーに乗ることにしました。
・・・・・・・・

以下、私家版です(大阪方言そのまま)

タクシーに乗ろうとすると、運転手は長髪のおっさんやった。おっさんは新聞を熟読しており、私が乗ってもなかなか反応しない。
「あの、モスリン橋にいって欲しいんですが」
「・・・・・。」
「ご存知ですか?モスリン橋?」
「はあ?」
おっさんは働くことに熱意がないらしい。
「えっとね、神崎川にかかってる橋で....。」
「ああ、モスリン橋かいな!」

やっと反応してもらえた。
「ご存知なんですよね?」
「知ってるで。モスリン橋やろ」

ワタシいそがしいんや、おっさんはよう行けや。というのは表に出さず、ひたすら案内してもらうように明るく誘導する。
「地元の方なんですね、よかったです」
「なんでモスリン橋いくねん?」
そらそうや。こんな酔狂なおばはんはいないだろう。
「それはですね、ちょっと記事を書くことになりまして、写真も要るんです。どのくらいかかりますか?」
「20分くらいかな」
「写真撮る間待っててください。そしてまた十三に戻ってくださいね」

結構メーターが上がるので安心したのか、おっさんは機嫌がよくなってきた。しゃべる。
「モスリン橋のへんって、何もないで」
「そうみたいですね」
「昔はな、あそこは神崎新地って言うたんやで」
「新地ですか」
「遊郭あったんや」
「そうなんですか」

「むかしはな、ワシらは給料もらうやろ、そしたら飛んでいったんや。皆それ目的できとるからな、いっぱいやねん。『ごめーん、◎◎ちゃんあと3時間待ちやねん。』とかおばはんに言われたりしてな」
「はあ」
「そういうのは先輩に連れて行ってもらうんや。アンタは若いから知らんやろうけどな」
若くみてくれるのはありがたいのでそういうことにしておく。
「ワシらの頃はな、女性ゆうたら手もにぎれへんかったしな、憧れの的や。口もきけへんかったで」
女性へのあこがれと、新地で遊ぶのとは別やねんな、などと突っ込むことはしない。まず案内してもらうのが優先なのだ。おっさんは更に話し続ける。

「しってるか?ミタアキラとかフナキカズオとか?青い山脈とか?いつでも夢をとか。そんなんがはやった時代や。みな集団就職できとったわ。」
そうこういう間にタクシーはモスリン橋に着く。すでにフレンドリーな関係が構築されたので、彼は私が写真を撮る間、停めにくい場所に車を停めて待っていてくれた。
更に橋の向こうに行く。対岸はたいへんに寂れている。

対岸の風景

「この辺が新地やってんで」確かにそれらしいスナックとかがある。約40%の家屋は無人になり、残りは工場などに転用されている。倒壊しかかった家屋の手すりなどに遊郭の痕跡がしのばれる。

閉店中

しかし、このエリアもモスリン工場などの景気で潤った時代もあるのだろう。大阪を少しく知るものにとって、十三といえばキャバレーである。故・藤田まこと作詞作曲の歌「十三の夜」に、「十三のねえちゃん 今夜一緒にモスリン橋を渡ろうよ」という一節があるのも調べて知ったことである。

交番もモスリン橋交番

「そんじゃ、帰ります」と再び十三に向う。おっさんは正直で、「なかなか最近メーターいかへんやろ。こんなんで乗ってもらうとありがたいわ」と3500円ほどのタクシー料金に感謝された。
「ワシもいろいろ言うたってんし、ええもん書いてな」と言われた。こういうのも日本の歴史の一つやねんなあと思いつつ阪急に乗った。

。神崎新地や給料をもらってそこに突撃する青年達の姿はあまり可愛くないので記事にならないので、この箇所はカットしたのだが、これも大事な昭和の歴史であると思う。ええもんかどうかはわからないが、その後昭和史を研究するようになったので、この聞き取り調査も意味があったと思う。

と、田辺聖子風の記録になりました。こうした楽しさがあるので調査研究はやめられません。

似内惠子 NPO法人京都古布保存会代表理事
(この文章の著作権はNPO法人京都古布保存会に属します。無断転載・引用を禁じます)

【関連サイト】
NPO法人京都古布保存会HP
http://www.kyoto-tsubomi.sakura.ne.jp/

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