日本伝承文化保存会

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着物コーディネートシリーズ・大原おんな一人

昭s時代の歌謡曲で「おんな一人」というものがあります。「京都大原三千院~♪」というでだしをご存じの方も多いでしょう。聞いたことがないという方ユーチューブなどで聞けますのでぜひお聞きください。京都の名所めぐりと着物コーデ一緒に楽しめる名曲です。 場所はこちらです さて、そのイメージで、大原で撮影をしてみました。場所も素晴らしいところがお借りでsきました。ある建設会社が記念事業としてリニューアルした大原の昔の旅館です。当時はカフェとして利用されていました。今は残念ながら休業中

    • 京都府南部の茶摘み衣装調査

      きょうとふの助成金で茶摘み衣装の研究をしました。2018年のとです。宇治市を中心に茶業の方々に問い合わせて、どのような着物で茶摘みをしていたのかという調査をました。残念なことに宇治市ではあまり着物がて残っていませんでした。いずれにせよ、宇治茶といいながら周辺の山地に支えられているのが宇治茶です。宇治以外の情報提供も歓迎しました。 和束町で衣装を見る 和束町でやっと衣装を拝見できました。和束にお住まいの馬場さんのお宅でお母様がお餅だったお着物を見せていただきました。和束町は

      • 着物コーディネートシリーズ・初夏に単でランチへ

        単の着物は難しいとお考えの方が多いようです。気軽にきていただくためにコーデを考えました。小千谷縮は夏だけのものと思わず 初夏も来ていただきたいものです 。 特に軽くて洗えるというのが最大のメリットで、 涼しさも 湿度の高い 6月頃には最適です。 今日はこの 小千谷祝を着て レストランでお食事をするという趣向でコーディネートを作ってみました。 思いがけない取り合わせも面白いものです。 金に炉の帯も一重です。カジュアルになりすぐないのは、小千谷気品に達すけられているからです。

        • 着物コーディネートシリーズ・銘仙でギャラリーへ

          法人設立の前ですので、2007年くらいでしょうか。コーディネートをwebで連載したことがあります。モデルは素人の方ばありでした。スタッフさんの発案でなかなか面白い絵がとれました。京都のガイドもかねて撮影場所の紹介もしました。 撮影場所は、修学旅行生の染織体験で通名な丸増西村矢屋さんです。 銘仙を着てギャラリーを見に行くというコンセプトで作成したコーデです。銘仙は先に決まりました。 帯揚げも銘仙の布地です。色や柄が気にいれば布地を帯揚げにしてもいいのです。ちょうど素敵な©

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        • 日本のまつり
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        • 大原女
          0本

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          伯母 松崎彩子のこと

          父は兄弟が4人 ありその中で一番仲が良かったのがその伯母であったようです。伯母は最初 西宮で美容院を経営していましたが 父が祖母を引き取って同居したのに合わせて、そちらを処分し 父と祖母とともに同居するようになりました。 さして趣味もなかった人ですが 短歌の会には参加していたようで 時々 歌を読んでいた記憶があります 。祖父の家系は京都府城陽市寺田にある古い農家であったようで、 私が子供の頃には その家がまだ残っていました。 湧き水のある古い家でしたが今はもうありません。

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          京都府庁展示「寿ぐこころ昭和の祝い着」展

          京都府庁展示「寿ぐこころ昭和の祝い着」展

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          大島の「あんこさん」による踊り

          京都古布保存会が世田谷文化生活情報センター生活工房の協力のもと、開催した「大原女とあんこさん」展の様子です。交流会で伊豆大島の方々が踊りを披露してくださっています。

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          良妻賢母の行くて

          数年前、当時は研究者だった夫について、アメリカの「ニューロンドン」という街で開催された学会に行きました。期間はかなり長く、6日も滞在したでしょうか。 そこで研究成果を発表し、疲れて戻ってきた夫の足を揉むというのが私の主な業務でした。 他にすることはないのです。 食事やお茶の時間になると、配給される場所まで出向き、あとは室内で何もしないで待つという日常でした。 滞在したのは、Colby-Sawyer Collegeという学校です。という経緯をたどってきたようです。訪問した当時は

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          姉と弟のきわめて京都的な会話

          私が20歳の頃、ということは1980年頃のことです。父が珍しく「今日は床をおごってやろう」と言い出しました。8月のお盆過ぎでした。 床というのは、京都をよくご存じの方には今更かもしれませんが、鴨川の川岸に張り出したテラスのようなものです。鴨川や高瀬川に沿って店舗を持つ店が、季節になるとその「床」を設営するのです。夕刻になれば川の上なので店の中より風通しがよく、東山を眺めながら一杯、という楽しみがあるのです。 父はそのときすでに母と別居しており、祖母と独身の姉と暮らしていまし

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          阿蘇神社御田植祭風景

          阿蘇神社御田植祭風景

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          阿蘇神社御田植祭り

          1 祭りの概要 炎天の7月28日、阿蘇神社の御田植祭りを見学しました。コロナの跡の初めての開催とあって、早くから撮影の人々が神社の前で待っていました。 正しくは御田祭(御田植神幸式おたうえしんこうしき、通称オンダマツリ)と呼ばれるもので、午前11時に行列が神社の前を出発します。祭りの概要は、阿蘇神社HPによれば、 ・・・・・・・・・・・・・・・ 阿蘇神社に祀られている12の神々が4基の神輿に乗って行列を構成し、神社周辺の青田をめぐり生育具合を見てまわる行事です。 お供をす

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          大正の着物と映画「百合子出すヴィダーニャ」

          約15年前、映画の衣装提供をさせていただいたのは、大変貴重な経験でした、マイナーな映画とはいえ、スクリーンで役者さんがコレクションした着物で演技をされるのです。その中には、故人となられた大杉漣氏も含まれます。時代も大正時代ということで、時代にあった衣装を提供できたのは良い経験です。映画名は「百合子出すヴィダーニャ」です。 1 湯浅良子というロシア文学者 湯浅芳子1896~1990ロシア文学者。京都市出身。上京して婦人雑誌の編集に従事する中で、ロシア文学の翻訳・紹介を志す。

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          祭の民俗学的観察

          1 祭の保護者会パトロール体験 祭りを見るのが好きです。祭の雰囲気が好きとかでなく、人間のレアな姿が観察できます。なので大好きです。 小学校の役員関連で、祭のパトロールを仰せつかったときは、嬉しかったです。宇治市の「こんぴら祭」の会場パトロールをしました。この会場をパトロールすることに。 女の子は浴衣が多いです。彼女らにとって祭は勝負タイム。 男の子はなぜか7名単位で行動しています。 子供がたくさんいるのは、学校と同じですが、祭ではいろいろな制約がなく、服装も自由。男

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          和歌山県の藤白神社を訪ねる

          藤白神社に行ってきました。南方熊楠ゆかりの由緒ある神社です。 神社のサイトによれば、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 藤白神社は、熊野参詣道(熊野古道)紀伊路の藤白王子跡として、熊野一の鳥居 (熊野の入り口)と称されいます。本殿には神様、藤白王子権現堂には本地仏として仏様が祀られ、神仏霊場、和歌山清浄の道の第7番となっています。  尚、平成27年10月7日に熊野参詣道紀伊路の追加指定地域として藤白王子跡(藤白神社境内、鈴木屋敷跡)が国史跡に指定されています。 ・・

          和歌山県の藤白神社を訪ねる

          ウポポイでアイヌ刺繍を体験しました

          北海道の博物館、ゥポポイでアイヌ刺繍をやってみました。 ご存じの方も多い、アイヌ文化を紹介する博物館です。 行ったときは、コロナなどで人が少なかったです。 アイヌ関連の染織が多数紹介されていました。 今回やったのは、この模様です。いわゆるチェーンステッチでした。 アイヌの刺繍は、切り伏せ(アップリケ)とこのステッチで構成されているものが多いようです。切り伏せの上をまたぐステッチが綺麗です。日本刺繍のような複雑な縫いはありませんが、特有の文様がうまく布地の上に展開されて

          ウポポイでアイヌ刺繍を体験しました

          大原の江文神社を訪ねる

          大原の調査を行ったのち、江文神社を訪ねました。道路から少し外れた山中にあり、静かな神社です。 江文神社は大原郷八ヶ村の氏神です。八ヶ村と聞いて、その名を全部言える人は地元の方だけでしょう。八ヶ村は「大原八郷(おおはら-やごう)」とも呼ばれています。 います。明治維新前の大原郷には、戸寺・上野・大長瀬・来迎院・勝林院・草生・野村・井出の8つの村がありました。 その内の大長瀬・来迎院・勝林院の3村は梶井宮門跡の領地であり、 戸寺・上野・草生・野村・井出の5村は中東氏の領地でした

          大原の江文神社を訪ねる