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無意識のジェンダー

スマホカバーの中から、以前書いたメモが出てきた。

「お店で飲み物を頼もうとするとき、無意識的に女性に頼もうとしてしまう」

車の点検で店舗を訪れていた時のこと。
「待ち時間に飲み物をどうぞ」
と言われて、コーヒーを頼んだ。
しばらく雑誌を読んだり持って来た文庫本を読んだりしていたら、コーヒーがなくなってしまった。
「“おかわりもどうぞ” って書いてあるし、もう一杯頼もうかな」
と思って周りを見渡すけれど店員さんがいない。
「カウンターになら店員さんいるだろう」
と思ってカウンターに向かうと、作業服を着た男性がデスクワークをしていた。

声をかけようか……

一瞬躊躇していると、その先に女性の店員さんが座っているのが分かり、ほっとしてそちらに声をかけようとした時、先に作業着の男性の方が私に気付いた。
「お飲み物、おかわりですか?」
「はい、お願いします」
作業着の男性は、女性の店員さんに目で合図して、その女性が私の空のコーヒーカップを受け取ってくれた。

この時、私は自分が猛烈に恥ずかしくなった。
普段は「女性も男性と同じように働ける」「お茶くみは女性の仕事なんて時代は終わった」と思っているくせに、いざ自分がお茶を頼もうとするときには、 “お茶を頼むのなら女性” という思い込みが気持ちの奥底にあることが分かった。
結局、こういう無意識の思い込みが、世の中を変えていくときの妨げになるんだよなぁ、と思う。
ちいさい思い込みの気持ちがたくさん重なって、無意識的な抵抗勢力になっている。
しかも、自分でそのことに気付いていないうちに。

しばらくして、作業着の男性から合図されたあの女性が、にこやかにおかわりのコーヒーを持ってきてくれた。
制服を着たその女性は、きっとお客様を案内したりお茶をだしたりするのが仕事の一部なのだろう。
そして作業着を着たあの男性はきっとふだんは点検の仕事などをしていて、あのときはたまたまカウンターに座ってデスクワークをしていたのだろう。
”職域” と言ってしまえばそれまでで、それぞれが自分の仕事をしているということになるのかもしれない。
けれど私はあの時にさっと作業着の男性におかわりを頼めなかった自分が、一瞬躊躇って他の人を探してしまった自分のような人間こそが、「お茶くみは女性の仕事だ」と決めつけているような人となんら変わりの無い思考の持ち主だということを見せつけられたような気がした。
長年見てきた様子、無意識に植え付けられたイメージを気持ちの奥から覆す、というのはとても難しいことだ。
けれど、こうやって一つずつ気付いていくことが、変化への一助になるのではないだろうか。

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