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散文日誌「種種雑多」2022/05/20

私は絵を描く時、独りで黙々と作業をする。キャンバスに置く色は、その時に置きたいものを置く。別に法則はない。青っぽいのが良いなと思ったら、青系を多めに置くが,たまに外した色を入れてみたりもする。白とか黒は画面を締めるために入れる。

何のために描くのかは、随分前に書いた気がする。気持ちがモヤモヤしてどうにもならない時、泣くか喚くか寝るかしか選択肢がなかったが、ポーリングの動画を見て、これやりたいとおもったのが始まり。それが思いの外うまくできてしまったので、これで飯を食いたいと思い始めたのだ。

画面を作る色は、気分で入れているので、結果がどうなるかは重力と、私のキャンバスの振り具合による。絵の具の動きが硬いな?と思ったら、補助剤を添加するのだが、早いうちにそれに気づかないと、中途半端な所で補助剤を添加することになってしまい、思い通りには行かなくなってしまう。なので、始めに補助剤はたっぷり使う方が良い。ここでケチると、絵の具の粘性がまちまちの時に、絵の具が上手くキャンバスの上で踊ってくれないのだ。

余分な絵の具を流し、さてキャンバスの上で絵の具を踊らせようではないか。この時、下に隠れている色が出てくる。この表層の下にあるお宝の色を絵の具の集団を作って回したり、キャンバスギリギリまで滑らせたり、大きく下側まで落としてみたり…。細かく、それでいて美しい模様になるよう、工夫しつつ制作する。

アクリル絵の具は乾くのが比較的速いので、悠長にいつまでも回していられない。だから時間との勝負でもある。短時間で、どれだけ美しく細かい模様を作れるかどうか?それ故、制作時間は一枚(F4号)は1時間位と短くなってしまう。他の作家さんに比べれば、随分とスピード仕上げである。クリーニング屋じゃないんだからさ…とは言え、絵の具の特性上仕方ないことなのである。

しかし、ここまで、絵を褒められると何かな…夢ん中にいるんとちゃうんかな?絵を描いてそんな経ってない時期にやった障害者週間の小さな展覧会で私の絵を3枚出したら、そのうちの2枚を欲しいと言って、買って行った人がいたこと自体、天地がひっくり返るくらいの出来事なのである。こんなど素人の駆け出しの駆け出しの絵ですけどいいんっすか⁉️何か共鳴するものがあったのかな?

確かに私が描くのは心象風景であって、決してどこの景色でもなく、いまの自分の心の中に見えるものを丸写ししているようなものである。鬱がひどい時は、真っ黒に近い画面になるか、逆に炎のように真っ赤に燃えている画面になるか。

それから絵の具は自ら調合している。気に入った色はなるべく自分で作るようにして、何をどのくらいれたかメモしておく。再現性がないとやっぱりまずいでしょ?美術ってやつは、色彩の科学だと思うし。色彩の原理とか知ってた方が楽しいじゃないですか。鑑賞する時も、こことここが補色の関係になってるから、すごく目立って見えるんですよとか…。それ以外にも、作者の感情が色や構図に出てるねとか。

以前から話しているように、私は色を見分ける特性が他人より強いらしい。それから、細部にまで目が行く。誤植をすぐ見つけたり、不良品をすぐ見つけたりするのはそのためだ。あまりにも細部に目が行き過ぎるので、クレーマーだと思われたりしていないだろうかと、実は戦々恐々としているのだが、私が思うのは、製造元のあなたがお客様だとして、この商品を受け取ったら、どう思いますか?という事を考えて作って出荷してますか?という事を言いたいだけなのだ。

私の描く絵は、依頼者をいい意味で裏切りたいとは思うが、その域に達するまではまだまだ描き足りない。やりたい技法もいっぱいあるし、ある程度は人物のパーツくらいは描けないと。

心の中では自由に世界が広がっていくが、さて、どれだけのアイディアが形になるのか?それは、これから先の自分だけが知っているのだ。

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