ソーシャル社会

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ほぼない

この質問にはこう答えざるを得ない。 中高は男子校で万に一つも有り得ないような妄想に研鑽していると時は流れ、浪人時代に通った予備校では高校時代の親友であり悪友とも言えるT君と共に、食事室で合コン紛いの談話をしている所謂一軍男女グループを横目に、ラーメンを食べる時に髪を耳にかける女性とかけない女性、どちらが魅力的であるか、といったような生産性のかけらもない議論を飽きることもなく交わしていた。 かくして、かつて夢想した青春時代は、蓋を開けるとドス黒くて見るに堪えない暗黒時代だ

    • したこともない、エロ体験

      ゴールデンウィーク(金玉ではなくw)になると街に人は溢れ、一体こいつらは普段どこに隠れて過ごしているんだ、などと考えさせられるものだ。 そんな中人の波に揺られながら満員電車に乗っていると、優先座席に座る少年が一瞬俺の目を見たような気がした。 そんなわけで彼とのセックスが始まったわけであるが、戯れにスカートの中に手を突っ込み、なぞるようにしてパンツに触れると、ある違和感に気づいた。 勘のいい人ならお気づきであろうが、あろうことか、彼はキンタマが5つあったのだ。 キンタマが

      • 雲の上の存在 ということ

        天才、という概念は曖昧なものでしかない。人々は「よくわからないけど能力が高く、自分にはとても再現できなさそう」な人の事を天才と呼んで逃げる傾向にある。その方が楽だからだ。 つまり、昼間まで惰眠に明け暮れて、ようやく起きたかと思えばイカ臭い部屋に引きこもって液晶に張り付く生活をしている、今までのその時間を全て有効に使っていたとしても果たして彼に届くのか、その距離はどれくらいなのか、それを想像することさえままならないという事実に向き合いたくないからだ。 人は優秀な人間を天才に

        • みだりに排泄する事ができる できない

          そぞろにnoteのアカウントを作ってみたわけでありますが、俺はこれにどう向き合うことができるのか、わからないし、どう向き合いたいのか、すらわからない。そもそも俺の糞みたいな文章に幾許かもの需要があるのか、それもわからない。 日記のように気軽に文字を連ねてはそれをただ垂れ流す事もできるだろうし、推敲に推敲を重ねた文章だけを刻みつけることもできるんですわね かつて運営していた倫理というTwitterアカウントでは、人々にお見せするに値すると判断したものだけツイートしていた

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