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ホン雑記 Vol.121「地球不適合者はいない」

やりたくないことや努力は、大半の人が好きじゃないと思う。
それらを人並み以上に好きじゃない人たちは、「何者にもなれない」呪いに、人並み以上に罹患しているんだと思う。

やるべきこと… いや、やりたいことすらやれない罪悪感と劣等感。
ちょっと前まではそれが酷かった。一時は「シンガーソングライターになれたらいいなぁ…」というフラフラとした夢を抱えて掲げていた。そしていつかその想いも干からびていた。


ここ数日で気づいたことがある。キーボードの左手の練習が異様に楽しいのだ。
「なりたい病」の時はこんなことは思わなかったし、それどころか保育園でエレクトーンを習っていた頃から、反復練習が楽しいなどとは思ったこともなかった。

それが今は楽しいのだ。
映画を観たり、ゲームをしたり、漫画を読んだりするのとはまったく異質の楽しさだ。
それは、子供の頃嫌いだった算数の問題が解けた時や、草刈りや大掃除したあとだったり、目上の人にメッチャ怒られたあとに反省を促されてるタイムのような、どこか達成感… まではいかなくとも、清涼感のような感覚。
なんなら鍵盤の前に座る前からニヤリとするような感覚。


ここからは暴論になるかもしれないが、人間はやりたいこと以外やらなくてもいいのではないか。優秀な社会適合者には、さぞバカみたいな論だと思うので「戻る」ボタン推奨なのである。

働きたくないなら働くことはないのではないか。「それじゃあ人に迷惑がかかる。けしからん」と思う人は、人に迷惑をかけないために働いているのか。嫌いな人間にけしからんと言う間に減る貴重な時間を使って、好きなことをやればいいではないか。

日本独特の恋愛教に入って「恋人がいなきゃダメ、結婚してなきゃダメ、子供がいて当たり前」と思う人は、(他人が決めた)ダメな生き方を避けて避けて、したくもない婚姻を結ぶのか。そもそも己が、赤の他人とふたりしてまったく新しい世帯を築ける仕様の人間なのか真剣に考えたことはあるのか。何も無理してみんながみんな結婚することはない。

「みんながみんなやりたいことをやってたら世の中回らないよ」と思う人は、みんながやりたいことをやって回らなくなった世の中を見てきたのか。
もしくは、結婚相手も職業も、誰かが誰かのを決めたほうがいいと思っている人間なのか。

「やりたくなくてもお金が…」
いや、生活保護があるじゃないか。それに頼りたくないならバイトでも投資でもしたらいいじゃないか。それに頼りたくなければ、路上生活をすればいいじゃないか。
どれもイヤなら、人生をやめればいいじゃないか… だけはさすがに思わないが、この中でも一番マシなものをセレクトすればいいじゃないか。


なんでこんなことを言いだしたのかというのが、冒頭の話につながるのだが、なぜあんなにイヤだったキーボードの反復練習を、今のオレは好きになっているんだろうか。

そう。ご明察の通り。そういうことなのである。
やりたいことだけやっていれば、魂なのか精神なのか肉体なのかは知らんが、どこかのレベルで勝手にそこに留まるはずなのだ。

バカくさい話だろうか。でも、ホントにそう思う。
オレは昔と違って、「今キーボードを練習するべき人間なのだ」と思っている。だから苦じゃないのだと。
「べき」とはいっても、イヤイヤではなく、そういうフェーズに入ってるのだと。なんかあれだな。文字にするとホント胡散臭いな。

エレクトーンを習っていた頃、家のエレクトーンで反復練習をしてたら「ウキーーーッ!」となり、鍵盤を引き剥がしたことがあって、オカンがドライバーで鍵盤を直してた悲しい残像が残っている。三畳間にエレクトーンを置いてる頃だったな。
だが、その時はきっとそれで良かったのだ。そのあとこっぴどく怒られた記憶はなく、悲しさと反骨精神を学んだのかもしれない。いいように捉えすぎか。


オレはこういう運命的タイミングを信じている。だから、やりたいことがない人なんていないと思っている。

さっき「人生をやめればいいじゃないか… だけはさすがに思わない」と思わず口をつぐんだが、オレがつぐむまでもなく、ただ単に人生をやめる必要がない。

ただ見つかっていないだけだ。そうでなければ生まれていない。



オレ以上に社会不適合な人がもし見てたら、その時は、おめでとう。

あなた以上の社会不適合者の、最高の相談相手になれるよ。




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