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ホン雑記 Vol.160「1分の魔力」

ちょっと前に「片手間の神様」なんていう記事を書いといた。今日の記事もちょっと関係あるかもしれない。


時間の神様みたいなヤツがいて、人それぞれが感じる体感時間って全然違うんだろうなーっておはなしだった。
いや、体感時間というか実際に人それぞれ与えられてる時間が違ってて(外からの見かけ上は同じ1日に見えても)、量子力学やら相対性理論の世界を匂わせるなぁ、というスピリチュアル脳な話だ。誰がスピ脳やねん。

いまのところ最もオレに影響を与える偉大なメンターのうちのひとり(欧米チックな言い回しやめれ)である、武井壮様がすんごい良いことを言っていた。いや、前から知ってたことなんだけど、この時間の神クロノス(めっちゃテキトーこいてます。クロノス言いたくなる時期あるじゃん)の所業とちょびっとリンクしたのだ。

武井氏の発言は「とにかく1分だけやれ」。これだけ。
これはこのままの意味でも十分役立つ。

オレは毎日腕立て伏せを最低20回はやろうと決めているが、気分が乗らない日は(割と乗らない日々だ)完全にやらなくなってしまう。「あぁ、もういいや」なんて気分になって、そのあとに(どーせ)なんて言葉が脳内で添えられている。
20回やってる間の不快感もある。20回やらないといけないと思い込んでる義務感が、そこまで到達できない自分に「ダメ人間」だと烙印を押すんで、出来て当たり前、20回やってもなんの脳内褒美もないというのもある。
するとそれ自体をなかったことにしてしまう。ダメ人間だと自覚したくないから。

でも、どれだけメンドくさくても、最低1回はやることにした。ホントの目標はこれだ。ただ、これが普段の目標と思いはじめると困るので、あえて早めの締め切り日を告げる編集者と作家の攻防のように、なるべくもうひとりのオレが真の目標に気づかないようにこっそりとやり過ごしている。


このままの意味でないほうの意味は、「片手間の神様」にも書いた、「細部を見つめる人には与えられる」というような概念が使えるじゃないかということだ。

普通に考えたらまぁ有り得ないことなんだけど、孫正義(ホリエモンとか西野亮廣氏でもOK)なんかは1日24時間とは思えないぐらい時間が詰め込まれてる感じがするわけで、それはオレが会社を辞めて、空いた分の9時間ほどがどう考えても9時間分にも感じられないということも証左になっている。

ところが、1分間を意識するだけならどんなクズでも可能だ。
1分間筋トレする、1分間ボイストレーニングする、1分間お腹凹ませる、1分間鍵盤の左手練習をする…。
この間の全力加減なら、孫正義(何回も出てくるけど別に違う人でもいい。二宮尊徳とか)と同じような時間の流れになっているような気がするのだ。ようなが2回にそのうえ気がするだけなんだけどさ。

かの武井氏すらも「俺も最初は芸能界で生きるための勉強を芸能人になる前に、1分から始めた」と言っている。それがいつのまにか1時間、数時間と増えていったと。
これはホントにそうだと思う。腕立てを1日1回は絶対にやると決めてから、1回だけで終わったことは1回もない。
やっぱり最低5回ぐらいはやるんだな。その体勢にせっかくなってるんだから。
そして「その1分をどれだけ1日の間に、こま切れでもいいから挟んでいくかがだいじ。1時間勉強するとか、最初から決めないほうがいい」とも言っていた。



誰でも1分間だけなら、全力を出せる。
少なくとも、1日の1440分の1の時間は全力で処したことになる。あとはこっそりこっそり、その1分を増やすのを楽しめばいい。

時間の神様みたいなヤツが、時間をこっそりかさ増ししてくれるだろう。




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