見出し画像

雑記1054「ポジションない者に私はなりたい」

「わー、すごーい!」と感銘を受けて少しの間追っかけるほぼすべての著名人に対して後ろ足で砂をかけるように離れていく自分の性格がイヤだ。


ま、相手に砂はかかってないんで迷惑もかかってないんだけどね。ただ飽きるってだけなんだけど。その飽きるってー時に結構「けっ」って思って離れちゃうのよねぇ。世話になっときながらねぇ。

オレも分析するのが好きなんで、さらに分析に長けて賢そうな人にハマってた。2名ほどいた。いる。いた? いる? どっちでもええわ。さすがに今回は名前は出すまい。ま、おふたりとも、何回か「すげーいいこと言ってた」ってオレが言っちゃってる人だからわかる人にはわかっちゃうか。ってかそもそもあんまり読まれてないから「わかっちゃうか」とか言うのもイタいな。って、言いわけすんのもまたイタい。

で、その人たちの共通点がね…あー、なんかすげー抵抗あるなー、悪口じゃないんだけどなー、ま、いいや、なんらかのことがらを語る時に、その中の傾向とか条件とか特徴をいったん数字とかアルファベットに置き換えるんだよね。
①何々は何々
②誰々はどうこう
③あれはこれそれはどれ
みたいな感じで。で、①と③がこうなって、この時に②はあーだから①の時はこうなって、みたいな。

これ、最初は数学的で好きだったのよ。数学嫌いだったオレが言うんだからよっぽどよ。つまり、自分を勘定に入れずによく見聞きしわかってる感じが出るっていうかさ。ポジトークと偏見がなさそうっていうかさ。
が、どうも最近鼻について来た(笑) お前が言うなよって話だけどな。

なんとなくのワケがふたつあって。
いっこが、やっぱり「やる」が減るんだよね。「言う」が増えちゃうんだよ。オレそういう人苦手でさ。いや、おまいうなんだけどね。それに、そうじゃない人ほとんどいないんだけどね。
「これこれこういう法則を発見しましたー」(あぁ、まさにオレだな。ま、棚に上げまくっとくぜ)ってのを人に教えたがってる時点で、その情報源・知覚の最上流にはいないってことなんだよ。
つまり、最高峰の手塚治虫がいちいち漫画の上手い描き方を人に伝授してないってことなんだな。いやいや、手塚治虫著「漫画の描き方」のことをいま言ってくるのは卑怯だぜ。それ、いま言わなアカンか? そういうこっちゃないんだよ。
常に教えたがって悦に入ってるかどうかだ。オレは教えたがって悦に入ってる。だから二流以下だ。いーんだよ、いまから一流になるんだから。

もういっこが、分析家になっていけばなっていくほど、どうしたってポジトー偏見が入ってくるってことだった。
「①と仮定する」の時点で「いやいや、そんなことはなかろ? そう思うのお前だけだろ」と思わされるようなことが、分析の込んできた人相手の時ほど多いんだな。もちろんオレも盲目になるで。
自分がなんかのパターンを5回見て、それ以外のパターンを見たこともないとしたら「そうなってる」って言っちゃうもん。たったふたりに聞いただけなのに「みんなそう言ってるから」って思っちゃうのと一緒だわね。
だから分析家になるほど、分析の数が増えるほど、それが合ってたと自分で思ってきたほど、あまつさえそのことが自信になって来ちゃった人生であるほど、分析は狂ってくわね。
だからなんも考えんと(多少考えるんだろうが)とにかく「やってみる」人のほうが象牙の塔に入りこまずに聡明であれるのだ。いや、あれる気がするのだ。決めつけちゃいかんな。


「柔」の歌詞の「勝つと思うな 思えば負けよ」を思い出した。




――――――――――――――――――――

【今週の過去分オリジナルソング】




サポート大歓迎です! そりゃそうか!😆 頂いた暁には、自分の音楽か『しもぶくりん』への「やる気スポンサー」としてなるべく(なるべく?)覚えておきます✋ 具体的には嫁のさらなるぜい肉に変わります。