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ホン雑記863「ワシ、ムズムズしてきた」

DVD6枚組もある寛平ちゃんのアースマラソンを観終わった。何年も前にVol.2ぐらいまでは観たんだけど、長すぎがしんどくなって途中でやめてた。


なんの因果か、それとも後付けか、2回目にフラーっと目にするコンテンツって、ちょうどその時に刺さるようになってる気がする。ま、気のせいだろな。

とにかくまぁ良かったんですわ。何か得体の知れないモノに「オマエ、コレジャナイノ?」と言われてる気がした。ま、それってオレの脳ミソだとは思うんだけどさ。
いま『明石家さんまヒストリー1』を読んでるせいもあってか、何かが欲しいと思うことが減ってきた。それよりも、何かを与えて、遺して、死にたいのだと。

どうでもいいけど、いまふと「何かを与えて死にたい」ってググってみたら、「こころの健康相談統一ダイヤル」ってとこの電話番号が特大フォントで最上段に出てきた。いや、そういうつもりじゃないんだ。誰か同じような人いるかなと思って何げなく打ってみたけど、いますぐ死にたいとは言ってないの。
でもこういう気遣いがネット上に溢れてるのはいいことだね。お疲れさまです。

で、寛平ちゃんにエネルギーももらえたんだけど、何が大きかったかって、オレの中で許せるものが増えてたって知れたことなんだよね。


携帯電話にカメラが付いた時に、オレは大層世を儚んだ。これはロクな世界にならないと思った。自分は芸能人でもなんでもないんだけど、勝手に許可なく芸能人の姿を収めようとするパンピーに○意すら湧いた。「ゴミだな、こいつら」と。

ところが今回、走ってる寛平ちゃんに、沿道で写真撮りながらもう片方の手で強めに握手をしてくる必死パンピーを見てもそんなにムカつかなかった。っていうか、群衆にものすごいエネルギーを感じた。
沿道の道路側のほうは寛平ちゃんとハイタッチしてもらって人が動かないんだけど、後ろ側の人波が寛平ちゃんと並走しているのだ。タッチ目当てで。後ろ側にいくほど前進のうねりが速くて、まさに人波になっている。
そして、最初は寛平ちゃんの声だと思ったんだけど、「ありがとう」の声がいくつも聞こえた時に、応援者たちが叫んでるのだとわかった。

これはちょっと泣けた。そして、必死で写真を撮るような人は、必死なんだと悟った。オレはなにやらいろいろと恵まれていたのだと。
彼らは頑張って生きてるからこそ、一芸能人が走るという行為が、彼らの人生の中で比率的にデカくなるんだ。そこに救いを見るんだ。
オレはそういう人種を馬鹿にしてたとこがある。誰かの偉業に対して、取り込もうとか、ただ単にスゴいとか思うことはあっても、あくまでオレがどう参考にするか、影響を受けるか、というオレ主体でしかない。もちろんそれらは彼ら必死マンも感じるところだろうけど、逆にオレにはなかった感情が彼らには湧いていた。それが「ありがとう」だったのだ。

普段人一倍世界に、人の出逢いに感謝してる自負があったけど、誰かが何かを為した時に感謝の感情が生まれたことはなかったように思う。相当近い間柄でも想像しにくい。人の人生の船に乗りこんだり、人の夢を自分の夢とする者を蔑視し続けてたオレには湧くはずもない感情だ。
それが今回のことで、そういう人も必要なんだなぁ、と思わされた。よく考えたら当たり前の話だが。


ゴールした寛平ちゃんは、何度も何度も「ホントにありがとうございます」と頭を下げていた。こんなに伝わってくる謝意も珍しいほどだ。走ってる最中にも「ホンマに幸せもんやわ」と言っていた。

走った人からも、それを見て鼓舞された人たちからも、同じ「ありがとう」が出てくる。インプットアウトプットじゃなく、受け手と送り手じゃなく、双方から同じ「ありがとう」が出てくる。これってなんかすごいことだなぁ、と思った。
平素の生活ではそれは、お金を介しておこなわれることが多い。で、どっちかっていうと、払うほうが偉いみたいなとこある。いまではフォロワー数とかも見せかけの価値として利用される。あぁ、視聴率なんかもそうだねぇ。
そういった実体のない価値もどきの類の台頭が、これほどに世界を狂わせているんだろうな。

そもそもは、人と人が出会えば、こうやって互いに「ありがとう」を交換できるほど、誰しもの生にただ生きてることの有り難みがあった。その有り難みを価値もどきを介さずに直接交換していれば、もう少しは閉塞感のない世界になると思うんだよなぁ。


地球を一周してきた寛平ちゃんは「地球に食わせてもらってるんやなぁ」と気づいたと言った。
誰が誰より偉いとか、社長が社員を食わせてやってるとか、そんなもんは無いと。全部地球が生み出したもので、みんなそれをいただいてるだけだと。

急に自分ごとだけど、最終巻を観る前、日焼けから帰ってきたオレはシャインマスカットを頬張って「これ奇跡やな」と思わず口をついて出た。
水分が摂れて、それがおいしいってどういうこと? って、ちょっと意味わからんようになった。なんかもう仕組まれすぎてないか、と。こんな異様な祝福あるか? と。
だから寛平ちゃんが「地球に食わせてもらってる」って言った時には鳥肌モンだったんだよ。

感じて動かんといかんなぁ。また感動がすぐ消え去る前に。




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【今日の過去詩リーズ】




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