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ホン雑記974「『けしからん』の非想像(想像)性」

ちょうどネタもなかったんで、さっきまた糸井さんとこのエッセイを読みに行ったらいいこと書いてあった。


たいていのことは、「ひっきりなしにやる」ってのが一番強くなるんじゃないか、そして企画とかコンテンツを生み出す人は、「想像してみる」をひっきりなしにやるのが一番いいんじゃないか、って言ってた。
「もし○○だったら」ということを、いつも勝手にやってるのが理想だと。

あぁ、わかるぜ。
もし○○だったら、とはちょっと違うけど、最近になって月があんなにも光ってることを奇跡的だと思うようになってきた。夜もすごいけど昼もすごい。
ワテらが普段見てる太陽(あまり見てはいないが)が、他の星を照らしてる姿を、別の星から見ることができる…。
うーん、言葉にしてもやっぱりこんなもんでしかないんだけど、最近そのことが、とんでもなく素晴らしく美しく感じる。さだまさしの歌のセリフじゃないけど、奇跡は偶然を装いながらいつも近くにいる、って考えにもウンウンしちゃう。

そんなもんだから自分の馳想力(造語)には自信あったんだけど、糸井さんのはもっと細かかった。

たとえば、街路樹のある道を散歩してる時に、「自分がそのうちの1本だったら?」と想像してみるのだという。
「おれが木かよ」と思ってもしかたない。置かれた場所で咲きなさいとも聞く。状況はともかく、そこで咲こうとしなきゃならない。
自分を眺める散歩人の視点、そこに立ち続ける自分の視点、リアルに想像してみる。

ということを、5分だけでもいいからやってみてはいかが? って話だった。
彼のいつものその日替わりエッセイは、最後にまとめっぽかったり、ちょっと違う角度からいきなり別の言葉が1行だけ添えられるんだけど、そこで「視点を自分以外のところに置いてみよう」ってことだった。

こういう遊びを普段からやってたらね、そりゃー「けしからんと怒号を浴びせるジジイ」にはなり得ないだろうなと思ったね。
ここ、モロにつながってると思ってて、やっぱりお笑いとかふざけるとか要らんことするのって、必ずけしからんって怒る人がいるわけだけど、そういう人はふざけないんだよな。
しかも人によって境界線がまったく違うんで、これも難しいとこなんだよねぇ。
バイトがふざけてSNSにその様子を上げちゃうってのも、オレはあんまり善悪の区別がつかない人なんだけど、単に面白くないから嫌い。
でも、粗品の歌の「父ちゃんが1年の余命宣告受けたけど、1カ月目で死んだー。余命巻いたー」ってのは大笑いするんだよね、オレ。

案の定、ネットだと笑えないとかいう声もあったんだけど、ほなどこで笑うねんって思うわけ。
死を丁重に扱えっていう無思考な風潮、嫌いやわー。これもモロにつながってくるんだけど、こういう発想の強いヤツが戦争を引き起こすと思ってるわ。
そんなもん、お前が神妙にしといたらええだけやんか。死の前で。恐れるのも悲しむのもお前の勝手。だけど、死の前で不謹慎であるなっていうのは、これ最近よくある「弱者の仮面被った強者」と同じで、なんも言えなくなるのよね。そこでけしからん言われるとね。卑怯だわねー。お前が人生を、生も死も楽しめないからって、人にふざけるなってのはどうかと思うぜ。

オレのいとこの兄ちゃんはヤンチャ坊主で、一緒に暮らしてた婆ちゃんが死んだ時も写メ撮ったり、仏壇のご飯にふりかけ掛けたろかとか、パンでもええんかなとか言ってたみたいだけど、素晴らしいやんって思うわけ。
いや、だってよ、生きてたらそうするでしょ。なんで、死んでから急に、人の決めたルールにのっとって、神妙にせなアカンねん。
白メシだけじゃ淋しいよなー、たまには洋食でもどうかなーって思わんとそんな発想出て来んわけで、そういうのを弔いって言うと思うんですよ、ワテは。
そんなもんに正しい正しくないを当てがおうとするのは狂気の沙汰で、それはあまりにもおふざけしてこなかったヤツが陥る、茹でガエルのようなゆるやか地獄なんだ。

かといって、「ふざけろ」をみんなの心根に敷こうとするのもまたおかしいわけだよな。そしたらそれはまた「正しい作り」になっちゃうんだから。


「これが正しい」の極致である聖戦って言葉は、ホントにクソ卑怯なヤツが思いついたんだと思う。




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