うつ病、ADHD、そしてACOA(アダルトチルドレンオブアルコホリック)という私。

私は、社会に出てすぐに盛大にすっ転んだ。

小学生の頃に社会に出るということがうまく想像できなかった。卒業論文も当たり障りのない「鍼灸師か画家」という、その子の将来が不安になるような二択だった。(結局、今はアーティストという道を選択しているので、自己分析はできていたのかもしれない)

美大大学へ行き、いよいよ3年生になった頃。『就職』という小学生の時から先延ばしにしていた常識が迫ってきた。周りは意気揚々とインターンに行ったり、ゲーム業界を目指す人はポートフォリオを作っていた。だが、私には行きたい企業もなかったし、悲しい話だが自己否定が強く、働くことへの不安しかなかった。

結局、先延ばしにし続け、4年の最後の方まで就活をしていた。就活で某大手の飲料メーカーの最終面接まで行けたりして嬉しかったが、結局1社しか内定をもらえず。しかも自宅から会社まで往復約4時間。選択肢はなかった。最初、研修ということで真面目に必死に食いついていた。早く現場に配属して欲しかったがその時は来なかった。そんな状況の中で「もしかしたら‥」という小さい予期不安は徐々に大きくなる。そして研修中の中で会社の人事部長から

「チンチラシルバーは、希望の配属先に行けないかもしれないぞ笑」と言われた。

何気ない一言。おそらく部長に悪意はない。しかしその瞬間、私の中の小さな不安が現実味を帯びてきた。その不安の膨らみ方は異常で、同期は優しく「冗談だよ」「まに受けなくて良い」と言ってくれたが、それらの言葉は頭を通り過ぎた。そんなこと言われても保証はない。もはや手遅れだった。今にして思えば毎朝5時前に起きて、通勤していたので頭が正常に働いていなかったのだろう。そして、研修がそろそろ終わる頃、家族が「お前は最近変だ」「訳の分からないことを言っている」と言われ、20代にして情けないことこの上なかったが、父親が会社に「申し訳ないが退社させていただきたい」と交渉。私は自分の社会との不適合さに泣いた。

こうして私は社会人デビューで盛大に事故を起こした。


自分の人生を今振り返って見てみると、怒りやすい父。そして中学の頃から知った母親のアルコール依存。社会人になってから知ったADHD。それら全てが私の人生において暗い影となり、今私を苦しめている。その中でも特に受難だったのは母親のアルコール依存だった。共依存も突き放しも、知りたくもなかった母親の気持ちなど、とてもじゃないが思春期にこんな思いはしたくなかった。幸い、私には「絵を描く」という希望があった。クリエイティブな方向に向かうということが私にとって残された道だった。でもそれがなかったらと思うとゾッとする。

近年、過労死や自殺率が高いことから、「睡眠時間が短いとうつ病になりやすい」など、徐々に世間的に情報は広まりつつある。しかし「アルコール依存とうつ病が密接な関係にある」ということは知らない人が多いだろう。私もその一人だった。学校では「ドラッグや薬物」の危険性は教えてくれていた。マジックマッシュルームだの大麻だの丁寧に教えてくれた。でも「飲酒の危険性」は誰も教えてくれなかった。誰も。テレビでは酒を飲んでいる大人がいっぱいいて、酒にまつわる歌も数多くある。日本には「飲みニケーション」などというふざけた単語もある。

言いたいことは山ほどある。私は「家族会」というアルコール依存の家族を持つ人たちの集まりに出ることもある。その度に、これからも同じような体験をする人はいるのだと思うと悲しくなる。おそらくこんな精神障害持ちの記事なんて誰の目にも止まらないかもしれない。でも、これから社会に出る人、今酒を飲んでいる人。あなたがもしアルコール依存になったらそこから先は地獄です。


誰も助けてはくれません。周りも理解してくれません。アルコール依存はうつ病にもなりやすく、その逆も起きやすいです。だからこそ家族に見捨てられる人もいます。


それでもあなたは、酒を飲み続けますか?

酒を飲むということのリスクを考えたことはありますか?


私は、精神障害者アーティストです。そして、アルコール依存の人を1人でも少なくしたいです。それが私の生きる意味の一つなのかもしれません。

こんな暗い紹介文を最後まで読んでいただきありがとうございます。これからも症状が落ち着いているときに作品など上げていきますのでよろしくお願いいたします。アルコール依存について知りたい方はお気軽にメッセージください。

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