【要約】ブラック・スワン 第5章 追認、ああ追認

この章で、この本のもっと重要なポイントのひとつが説明されます。それは「可能性があるという証拠はない」と「可能性はないという証拠がある」を混同してしまうという問題です。

第4章の七面鳥の最初の1000日を観察した人なら、大きな事象、つまり黒い白鳥がいる「可能性があると示す証拠はない」と言うでしょう。それは正しいわけです。でもこれは黒い白鳥がいる「可能性がないと示す証拠がある」わけではありません。

わかりやすい例として、タレブは冒頭で、O・J・シンプソン(元フットボール選手で、奥さんを殺した罪で起訴された)が罪を犯していない証拠があると言って、「いいか、この前あいつと朝ごはんを食べたんだけど、あいつは誰も殺したりしなかったぞ。いやマジだって。あいつが人殺しするのなんて見たことがないよ。これであいつの無実が裏付けられたってことにならないか?」という話をしています。

そして、ほかの例として、「テロリストはほとんど皆イスラム教徒だ」という命題と「イスラム教徒はほとんど皆テロリストだ」という命題を取り違える人は多いと言います。テロリストの数は約1万人と言われており、一方イスラム教徒の数は約10億人と言われているので、この論理的な誤りはテロリストの数を10万倍に課題に見積もっていることになります。

この間違えやすい要因として、タレブはこう説明しています。私たちが日ごろ使っている、私たちに備えつけられた推定装置は、ちょっと言葉を変えただけで命題の中身が大幅に変わるような環境には向いていない、と。

また例として、がんの検査を挙げています。今の技術では、患者の細胞をひとつずつ全部調べて悪性の細胞がひとつもないことを確かめるのは不可能だから、医者は身体を精密検査してサンプルをとり、できるだけ厳密に調べます。それから医者は見れなかった細胞について仮説を立てます。したがい、精密検査の結果が陰性であっても、がん細胞がないという証拠ではないわけです。

医療の世界においては、疾病の証拠なし(no evidence of disease=NED)はありますが、疾病なしの証拠(evidence of no disease)はないわけです。

素朴な経験主義のようなものが頭にはたらくため、私たちは自然と、自分の話や自分の世界観を裏づけしてくれる例を探そうとします。つまり自分の説に合った過去の例を探し、それを証拠として扱うのです。たとえば、外交官が並べ立てるのは自分の「業績」で、うまくいかなった例ではないわけです。

仮説を検証するときですら、私たちは仮説が真であると裏づける例を探してしまいます。もちろん裏づけなどは簡単に見つかるものです。

バカ正直な実証主義を避けるいい方法は、反例をあげることに尽きます。白い白鳥をいくら見ても黒い白鳥がいないことの証拠にならないし、がん化した細胞をひとつ見つかればがんということになるが、見つからないからと言ってがんではないと断言できません。

このように、反例を積み重ねることで私たちは真理に近づけます。裏づけを積み重ねてもダメです。観察された事実から一般的な法則を築くことの危険です。七面鳥の例もそうでした。

裏づけばかりを探してしまう私たちの生まれつき傾向を認知科学者たちが研究しており、この傾向を「 #追認バイアス 」と呼んでいます。何かの法則があれば、その法則が当てはまる例を見て直接に検証することもできるし、当てはまらない例を見て間接的に検証することもできます。真理を明らかにしようとするという場合、当てはまらない例のほうがはるかに強力です。

このような私たちの傾向は本能として先祖から続いているのでしょう。ただ、原始の時代と比べて、私たちの現代の世界は果ての国であり、とても稀な事象に振り回されています。しかもあまりに稀なことであるが故に、判断も長い間待ってからでないとできません。

加えて、今日は黒い白鳥の源は計り知れないほど増えています。天候や地震などの事象はここ1000年くらい変わっていないが、その事象が与える社会・経済的な影響は大きく変わりました。

原始的な環境では、見たことのない野生動物とか新しい敵とか、急な天候の変化などに限られていました。そういう事象はすぐ繰り返すので、私たちはそういう事象を恐れるようになりました。素早く推測を行い、それに焦点を絞る本能です。この本能こそが私たちを苦しめているのだ、とタレブはこの章を締めくくります。