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コロナ禍に今一度「仕事」について考える (3)「仕事」に潜む3つの不可思議な心理的要因

「仕事」について考える上で、とても興味深い3つの事象を取り上げます。それは、非常にパラドックス的なのですが次のようなものです。

 ・自らが嫌悪し意味のない仕事であればあるほどそれをまじめに続けるこ  とが美徳となる
 ・社会的に有意義な仕事ほど報酬が少ないという現実
 ・真に意義ある仕事についている人に対する妬み(道徳羨望)      

これらの3つの事象は、私たちの「仕事」に対する不可思議な心理的な要因であり、その原因は「神学」「宗教」「哲学」そして人間の弱さや潜在意識なのです。それぞれ詳しく見ていきます。

1.仕事のつらさが目的となる

デヴィッド・グレーバーは、封建時代に北ヨーロッパで貴族の若者が一人前とみなされるために一定期間の労働を要された、というのが労働の神聖性の起源だと言います。それがプロテスタントの労働倫理となり、さらに「労働価値説」として、労働が富の唯一の源泉である、という考えとなり、労働は資本に勝っている、労働こそ神聖なもの、として見なされていました。

やがて資本主義の隆盛と消費主義の蔓延によって、労働価値説そのものは取り上げられることはなくなるが、新たな価値(ある意味でピューリタニズムのリバイバル)として「労働により人は人格を形成される」という考えに至ります。

そして20世紀に入ると、「仕事」に関して膨大な調査や研究が行われ、こうした研究の結論は以下の通りなのです。

・ほとんどの人々の尊厳や自尊心といった感覚は、生きるために働くということのうちに囚われている。

・ほとんどの人々はみずからの仕事を嫌っている。

つまり、人は、自己犠牲や自己否認の形である不快で嫌いな仕事を続けることが目的となり、そのつらさが「人格を形成する」ものとなると考えます。逆に言うと、労働者はみずからの仕事を嫌悪しているがゆえに、尊厳と自尊心の感覚を得るということになります。搾取する側にとってたいへん都合のいいことになっているわけです。

このような空気が私たちの周りに漂っている限り、ブルシット・ジョブであっても、そう意識せず、また外からも見えないということになります。また、それを意識していてもそうではないふりを強いられ、さらに惨めになっていきます。これがブルシット・ジョブのもつ精神的暴力なのです。

2.社会的価値のある仕事ほど報酬が低い

仕事の社会的価値が高いほどその対価として支払われる報酬が低いという反比例の問題があります。教師、看護師、ごみ収集に従事している人、整備工、バスの運転手、消防士、など。どの職業も社会的貢献度は高い。もし朝起きたら、こういった職業の人がいなくなっていたとすると、都市の生活は間違いなく壊滅状態となります。

しかしながら、この社会的便益の高い職業への報酬が極めて低いのです。信じられないことだが、ストア派の哲学者がよく言った「徳はそれみずからが報いである」ということだと言うのです。つまり、いいことをしたらそれ自体が報酬であり、それ以上の対価は不要というわけです。

これが一般論化するとこうなります。「社会に便益をもたらす人間は多くの報酬を受けてはならぬ

もっと言うと、みずから社会に便益をもたらしているという自覚をもつことに喜びを感じる人々には、中産階級並みの報酬を期待する権利はまったくない。自分は無意味で有害ですらある仕事をしているという意識に苛まれなければならない人々は、まさにその理由によって、より多くのお金を報酬として受け取ってしかるべきだということなのです。

グレーバーは、社会にはこういう感覚はあるし、政治的にも多くのケースで表れていると主張しています。英国においては、看護師、救急医療スタッフ、消防士など社会に対して明らかに便益を提供している公務員の賃金が削減されたのもこの考えであっと言います。

3.「道徳羨望」という人間の心理

ブルシット・ジョブにはまった人たちは、真に生産的であったり、社会に有用な労働を行っている人たちに対して反感を抱きがちです。例えば、多くの企業で、工場の労働者がみずからの仕事に誇りを感じる正当な理由を有しているがゆえに、ホワイトカラーである中間管理職は彼らに反感を抱いています。これは単なる「妬み」なのです。

その人が何らかの理由で恵まれていたり、幸運だというのが理由でなく、その人のふるまいが自分の道徳的な基準よりも高いレベルのときに、直接的にその人にむけられる羨望や反感の感覚を「道徳羨望」と呼びます

学校教員は、多くの場合高い使命感をもってその職業を選び、誰からもその社会的意義を認められる仕事です。しかも、その賃金も職場環境も厳しいものであることも明らかです。こういう人たちがアメリカにおいては常に格好のターゲットとされている、とグレーバーは言います。

政治的な意味で、徹底して自動車工場などの工場労働者や教師に向けられる攻撃には、誠実な人生を生きることのできる労働者階級にむける、まぎれもなく羨望含みの敵意があるのです。

4.コロナでわかった有用な仕事

これらの3つの心理的要因は、日本では少しニュアンスの違うところもありますが、概ねすべて欧米と同じように存在しているように思えます。これらのややセンシティブな心理作用によって、ブルシット・ジョブがあまり違和感なく、私たちの社会に浸み込んできているように感じます。

グレーバーは、真に社会的な意義とやりがいをもたらす仕事として、「生産労働」と「ケアリング労働」(人に対してケアをする仕事)を挙げています。

いみじくもコロナウイルスによるロックダウンや自粛の中、真に社会に必要な仕事は明確になりました。いわゆるエッセンシャルワーカーです。他の人の世話をする、病人の看護をする、生徒に教える、モノの移動や修理、清楚に関わる仕事などが必要不可欠だと分かりました。同時にいなくても何も変わらない、不要な仕事もあぶり出しました。

前述した3つの心理的要因はどれも健全なものではありません。にもかかわらず私たちの周りに空気のようにいつも漂っており、人が尊厳に値する価値ある仕事を求めることを妨げます。

私たちは、今こそこのコロナウイルスの経験を活かし、常に纏わりつくこれらの心理的要因を意識し、少しでも軽減することができる可能性があります。