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元司法書士×経営者が、新潟ベンチャーで考える地方デジタル化の未来

株式会社DERTA(デルタ)は、地方企業や地域に根ざした課題を「デザイン」「デジタル」そして、起業家・クリエイターが所属する「共創コミュニティ」の力で解決する会社です。
2022年に設立したDERTAには、3度の起業を経験した代表の坂井をはじめ、PM・UXデザインやマーケティング・SNS戦略など、さまざまな専門領域を持つメンバーが在籍しています。

今回は、DERTAの立ち上げメンバーでCAO(最高総務責任者:Chief Administrative Officer)である赤塚さんにインタビュー。

司法書士として独立開業後、住宅会社の代表取締役や二度のM&Aなどを経験。その後、2022年1月にDERTAに参画。自らのキャリアを振り返りながら、IT×デザインという未経験領域に挑む理由、DERTAに感じている可能性などを語ります。

赤塚 裕介
ランド新潟株式会社 代表取締役会長。大学卒業後、司法書士として独立開業。15年のキャリアを経て、年商160億円の住宅会社に2代目経営者として参画し、代表取締役を務める。2021年に東証一部上場企業へのM&Aを決断。現在は不動産会社の会長として会社経営を担いながら、次世代の産業・文化の成長をサポートする。

2年半の「モグラ生活」。生きていくために司法書士へ

ーーー 司法書士道で独立開業を目指した理由を教えてください。

わたしは2000年に大学を卒業したのですが、当時は山一証券や銀行の経営破たんなどが起こり、雇用環境はありえない不安定さ。まさに超就職氷河期でした。「大企業が簡単につぶれちゃうんだ」ということを目の当たりにし、企業就職に夢も希望も持てなかった時代だったんです。自分で何とか食いぶちを見つけていかなければ、という危機感がありました。
当時、父が住宅会社を経営していたこともあり、家や不動産に関連する資格を探したところ司法書士という職業に出会いました。不動産登記や商業登記などの登記申請業務が主な業務。資格予備校のパンフレットを見て「わたしが生きていくにはこれしかない!」と決心したんです。

それが、大学3年の終わりごろ。在籍していたのは文学部で、まったく法律と関係のない学部。中途半端ではだめだなと思ったので「大学卒業後、就職はしない。資格取得のため全日制予備校に通わせてくれ」と、親に頼みこみました。

資格取得に向けて決心したわたしの残りの大学生活は消化試合だったので、今はなきam/pmというコンビニで深夜アルバイトをして、予備校費用に充てたりしました。最終的に親に50万円くらい返したかな。

周りの友達が社会人として働く中で、ひとり勉強の日々。本気で一発合格を目指しました。7月に司法書士試験があるので、予備校に1年通い終わった後の7月合格を目指しましたが、不合格。1回で諦めるつもりはなかったですよ。2年目も、勉強だけの環境においてもらって、普段は友達とも合わないと決め、一日中勉強しかしない生活を送りました。一言も発しない日も結構ありましたが、本当にことばが出なくなるんですよ(笑) そんなモグラのような生活を2年半くらい続けました。結果、2回目の受験で合格。親も喜んでくれたけど、一番うれしかったのはわたしですよね。

資格を取得しても実務経験がゼロなので、最初は新潟の村上にある先輩の事務所にお世話になって3か月間だけ修行させてもらいました。いまは、司法書士事務所に雇われで入るのが一般的ですが、当時は資格をとったら独立するのが主流でした。

その後、勢いで25歳の時に大堀幹線沿いの小針で開業しました。新潟市西区には縁もゆかりもなかったのですが、なぜか雰囲気が自分に合っているように感じたんです。そこから15年ですかね、数人のスタッフと一緒に司法書士として働きました。

父から受け継いだ「使命」

ーーー その後、年商160億円の住宅会社の代表取締役になった経緯を教えてください。

運命として受け入れたとしか言いようがないんです。

父が住宅会社を経営していました。そう言うと、子どもはどう育てられたと想像するかな。わたしは小さいころから「絶っ対!お前には継がせない」と言われて育ったんです。お前に継がせたら倒産すると(笑) 妹がひとりいたのですが、経営者のタイプではなかったので。兄妹が継ぐことはないと思っていました。

でも、念のため。大学時代に将来父の会社に入るべきなのか再度確認したんです。そうしたら「だめだ」と。いま考えると、甘やかしたくないという思いだったんでしょうね。なのでわたしは父の会社を継がないつもりで司法書士として生きていくと決意したんです。

けれども、私が40歳手前ぐらいになると、父も年をとって体調を崩すことがあって。何を思ったかわたしを会社に誘い始めたんですよ。

わたしはわたしで、司法書士として事務所を構えて、自分の城を作り上げてきたつもりだった。それを残すこともできたけど、父の会社もおかげさまで従業員を250人くらい抱えていて年商160億円と、新発田市近辺の企業ではそこそこの規模感。従業員のためにも父の想いのためにも、腹を決めてわたしがやらなければいけないと思い後を継ぐことを決断しました。

ただ、司法書士との二足の草鞋は難しかった。司法書士事務所を閉じるにしても当時スタッフがいたので、スタッフの雇用も継続してもらい、お客様の混乱も防ぎきちんと事業譲渡をうけてくれるよう、東京の司法書士事務所に譲渡してから、2019年1月1日に父の会社の後を継ぎました。

新潟×デジタル。異世界の挑戦に心おどる

ーーー 住宅会社での代表経験を経て、IT×デザインという未経験領域のDERTAにジョインしようと思ったきっかけを教えてください。

父の住宅会社では、苦労しました。入社してまもなくコロナ禍に陥ってしまい事業活動が思うようにできなかったり、創業者の父とも対立したり。それでも入社後は全く手を付けられていなかったデジタルマーケティング領域を推進しました。ただ、いかんせん経験がない。そこで、SNSマーケ運用を総合WEBマーケティング会社クーネルワークに依頼していたんです。

クーネルワークは、DERTA代表の坂井さんが2社目に起業した会社です。実は坂井さんとは司法書士時代に出会っていました。クーネルワークはわたしの司法書士事務所と同じく小針に事務所を構えていたことがきっかけです。
当時の銀行の担当者に誘われて、営業の一環になればと軽い感覚で飲みに行きました。坂井さんともう1名の経営者の方がいたかな。みな同じような地域で経営をしていることもあり気が合いましたね。それが2017年ごろかな。

その後、住宅会社M&Aの話があり、事情を説明するためクーネルワークさんに直接ご挨拶に行ったんです。そのときに、DERTAの前身となるデルタ新潟という集まりがあり、新潟でテクノロジーやデザインの勉強会等を行っていることを聞きました。

わたしには輝いて見えました。超アナログな世界の人間だったので、全く違うデジタルの世界で新潟を盛り上げようとするメンバーに憧れのような感情もありました。誘ったのか誘われたのか前後はよく覚えていませんが、波長も合い、気づいたら何ができるか分からないけど「わたしにもやらせてください」と伝えていましたね。

他のメンバーにも会って欲しいと、のちにDERTA創業メンバーとなるみちこ(須貝)と太一(丸山)も紹介してもらいました。

DERTA創業メンバーの集合写真。左からCAO赤塚、代表坂井、CDO須貝、COO丸山
(参考)創業時のプレスリリース:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000097431.html

4人で2~3回集まって飲んで盛り上がり「会社にしちゃおうぜ」と。後先考えずやってみましょう!とトントン拍子で法人化が決まりました。

それが2021年9月ごろ。実は不動産会社の経営に携わることになったタイミングでもありました。新しい環境がはじまったばかりではありましたが、以前より「新しい分野にチャレンジしてみたい」という漠然とした気持ちがありこの決断ができたように思います。

不安よりも、何か始めたいなという気持ちが大きかった。このまま落ち着いてしまう物足りなさのようなものをどこかで抱えていたんでしょうね。若い人たちと新しいことをやってみたい、とわくわくしました。

電話・コピー・FAX。超アナログからの脱却

ーーー DERTAに参画してみて感じる自らの変化や、挑戦していることを教えてください。

いまDERTAで若い人たちと働くことが、本当に楽しいんです。

DERTAのメンバーはわたし以外若いですが、みんな「いい子」ですよ。真面目で、最先端のデジタル分野に明るく得意分野を持っている上に、一生懸命。わたしにはないものを持っている人ばかりで、きらきらしている。

いま、わたしはDERTAで法務、経理、人事労務というバックオフィス全般を担当しています。いままで経験がない分野で日々手探りです(笑)

法務は司法書士でも絡むことがありましたが専門は別だし、経理と人事労務はまったくの未経験領域。制度や知識を覚えるまで年金事務所に何回も通ったり、経理に関しては顧問税理士さんに何度も質問したりしています。

ただわたしには、それ以前の問題もありました。デジタルに明るくないことです。これまでWord、電話、コピー、FAXを駆使してきた、超アナログ人間なんです。最初はZoomでの会議もSlackでの連絡手段も慣れない上に、URLだのSaaSだの、、IT業界の言葉が分からず苦労しました。

でもIT業界の人、というかDERTAメンバーの特徴なのかな。褒め上手な人が多いですね。相手に対してリスペクトがある。違和感があるくらいアナログ業界との違いを感じました。

対面とちがってテキストコミュニケーションって難しくて、会って喋っていれば声のトーンなどでも感情が伝わりますが、デジタル上ではテキストと絵文字だけの会話。最初は、そこを意識するのが難しかったです。特に司法書士時代は固い言い回しで書類をつくるので、絵文字なんてもってのほかですよ(笑) 絵文字って自由な世界だなと日々楽しんでます。

今ではすっかりSlackの絵文字リアクションを使いこなす赤塚さん

DXの本質「変革」を支援できるのがDERTA

ーーー 2023年1月にDERTAは一周年を迎えますが、振り返るとどんな1年でしたか?

無力感しかないです。わたしはバックオフィスくらいしか力になれていない。みなさん最前線でがんばってくれていてありがたい気持ちでいっぱいです。DERTAとしては、専門分野を持つ若い人たちがどんどん前に出ていった方がいいと思うので、よくいえば縁の下の力持ちというか、そんな存在でありたいですね。貢献できるところで、みんなと一緒に挑戦し続けたいです。

わたしはDERTAに可能性を感じているんです。このメンバーだったら、なにか起こりそうだなと。2022年10月には、専門領域で活躍する6名のパートナーメンバーも入ってその気運の高まりも感じています。DERTAの仕事は「期待感」「将来性」なにより「わくわく感」でいっぱいです。

住宅会社を経験して感じたのは、まだまだ地方の中小企業はデジタル化が全くできていないこと。だからこそ地方企業や地域独自の課題をデジタルの力で解決することを目指すDERTAには可能性を感じています。

これは代表の坂井さんとも話すのですが、DXでいうとD(デジタル技術)よりもX(トランスフォーメーション:変革)のほうが大事だよね、と。方法論のデジタル技術が先にきちゃうと本質的な変革を行うのが難しい。何かを変革する中でデジタルもうまく融合させる流れを作れれば一番いいのになと、常日頃考えています。その変革を支援する存在に、DERTAがなれればいいなと思います。

ーーー 最後に、いま閉塞感やもどかしさを感じているビジネスマンに向けてエールをお願いします。

難しいですね。私自身、新しいものやコト、やったことのない経験をしてみるのが好きなんです。そこから道が拓けたことがあったようにも思います。なので、エールを送るとしたら、アントニオ猪木さんじゃないけど「迷わずいけよ、行けば分かるさ。いくぞ!1.2.3だー!」ですね(笑) 
体育会的な気合いですみませんが、最後は気持ちのある決断がすべてだと思います。