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人生は、株式会社と一緒

私は大学院の学費を自分で払っているのだが、これは親に指図されたくないからである。私の親は、「途中でやめる」ということに極めて厳しい人であって、やめる決断にはかなり干渉してくる。

それが嫌で、重要な決断は自分の裁量で行うことができるよう、それに必要な費用を自分で賄うようにしている。大学院は中退する可能性があったし、それを反対される状況を作り出したくなかったから、自分で学費を出しているということである。

これは何だか株式会社の仕組みと非常に似ているような気がする。資本主義において、株式会社のあらゆることの決定権は、株主にある。社長ではなくて、株を持っている者が会社の所有者だ。つまり、出資者こそ最終権限を持つ。

親と子という関係は、極めて支配的なものである。だから、基本的に親は子の自己決定権を侵害するようになってしまうし、自分の思い通りに行動してほしいと思ってしまう。そして、それをより根強くしてしまうのが、親が出資者であるという構造であろう。

親は投資家?

何かチャレンジしたいときは、親を説得しなければならない。このことをよく「親はあなたの投資家」という言い方をするが、これはあながち間違いではない(ただし、かなり人権を侵害している表現ではある)。子は、親の金銭に依存しており、結局は最終決定権限が親にあることを意味している。

これを解決する手段は、子が求める学習や手段を政府を介在して提供するか、政府から(子に直接)現金を給付するか、そのような方法しかないように思う。少なくとも、親を介在して何かが供給しているようでは、親は子に投資する投資家であり続けるし、子の株券を所有する株主になってしまう。言ってみれば、子は親の所有物に過ぎない。

結婚式の費用は誰が負担する?

この記事を書こうと思ったきっかけは、結婚式の代金を親が負担することの是非について友人と話し合ったことであった。これのメリットは当然当事者の金銭的な負担が全くなくなるということであろうが、結婚式の内容に(株主たる)親が口を出すということは極めて容易になる。

これまで挙げてきた例以外にも、プロ野球でも金を出すオーナーが球団の編成に口を出してくるなんてことがある。ただ、金は出すが口は出さないという状態は理想的であるが、そんなことはほとんどできない。

政府も教育に金を出せば、教育内容や教育方法を決めたくなることは自然なこととも言える。これが正しいことではないともちろん思うし、批判するのだが、一方でそんなもんだよなとも思えてくる。これがタイトルの「人生は、株式会社と一緒」の意味である。だからこそ、自分の裁量権を訴えたい事柄については、できる限り自分でその費用は賄った方が問題にならなくて済むというものなんだろう。

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