なぜ「人」は勉強しなければならないのか。

私は「人」が勉強しなければならない意味は特にないと思っています。あるとすれば、それは社会一般や国家、経済の都合です。

学ぶ意味とは、各「個人」がそれぞれ(能動的に)持つ方が自然なのであって、抽象的な「人」という存在に対して一様に学ぶ意味があるわけではないということです。

だから私は、「なぜ勉強するの?」と聞かれても、「君が学びたい!と思った時にしか、勉強する理由は存在しないよ」と答えます。

さて、人は勉強しなくても良いということになると学校はいらないことになります。でも、それでは都合が悪い。社会秩序と集団行動を学び、ある程度全体主義的な考え方もできるようにしないと、国家としては立ち行かなくなる。

だから、「勉強する意味」は子ども「個人」ではなく「社会」側にしか存在しない、というのが私の考えです。

教育を施すと都合が良い

教育を施すと2つの面で都合が良いです。

1つが国家に従順な人を作り、内乱・批判を防ぐことができます。あるいは、戦争を肯定するような全体主義を作り上げることができます。これは第2次世界大戦時の日本がまさにそうでした。

もう1つは経済に寄与する人を育てることができます。職業教育なんてのはその代表でしょうし、「社会で活躍する人材」を求める今の教育はまさにこの機能を果たそうとしています。

この2つは今でも教育の重要な役割となっています。現在の日本なら道徳教育の開始や2006年の教育基本法改正なんかは1つ目に当たるでしょうし(調べてみて欲しいです)、独裁国家なんてさらに露骨です。2つ目は今でもバンバンやってますし、むしろ社会的にも肯定されています。

理系が重宝されているのは2つ目の理由です。「就職に役立つための学び」は社会に適応するものとなります。ある意味では踊らされてるのかも。

注意しないといいように使われる

これまでみてきたように、教育は思ったより政治的な営みです。

物事に批判的な教育を行わず、知識偏重の教育を続けてきたのは、問題解決型学習をあえて押し進めないことで権力に対して疑念を抱く人を育てないためだとフレイレは指摘します。

それでも今、教育は変わろうとしているじゃないかという声が聞こえそうですが、それは教育の目的が1つ目重視から2つ目重視へと変わっただけじゃないでしょうか。

でも、実際問題私たちはお金を稼いで生きていかなければなりませんから、うまく2つ目の教育目的といい感じの距離を保ちながら過ごさないと、大切なことを学ばないまま死んでしまうかも。

個人的に一番大切だと思うこと

教育は、人々が政治(社会)に参加する権利の基盤になっています。知らなければ問題に気づきませんし、批判も意見もできません。

なので、「何か今の状況はおかしいのではないか」と個人が気づき、学び、そして声を上げる。そのための「教育」があるべきだと思うのです。

それは誰かから一方的に教わるだけじゃないはずです。図書館に本がたくさん置いてあっていつでも閲覧することができる。同じように関心を持つ人々と集まって議論をする。そんな機会を設けることも教育の役目です。

つまり、市民一人一人にとって不都合なことについて学び、改善を求めることこそ最も大切なことだと思います(これを教育の革新的機能と言います)。決して、国家や経済のために学ぶことが優先ではありません。

日本では教養というと「雑学」「知らないと恥ずかしい」みたいなイメージがありますが、教養とは「リベラル・アーツ」のことですから、今話したような「市民を自由(リベラル)にする学問(アーツ)」こそが教養です。

専門教育は教養教育を軽視しがちです。産業社会にどう適応するかしか考えることができなくなるくらいに。

そうでなくても、普通に小中高通って「自分たちを自由にするために学ぶ」「市民として不都合なことをもっと知る」という感覚はつかないでしょう。

だからこそ、何も考えずに学校生活を過ごしていると大切なことを学ばないまま(自分が直面している問題を隠されたまま、気づかぬまま)死んでしまうかもしれません。

むしろ学校にいく方が「自分で関心を見つけて学ぶ力」が奪われるんですから(これについてはまた話します)。

なので、あくまで勉強する意味は個人にしかないと思いますが、強いていうならば、その個人の自由を守るために学ぶことは大切だと思います。


補足

現代の日本では、国家に従順な人間を育てようとする動きは一切禁止になっていました。敗戦の反省を踏まえた動きです。ただ、2006年の教育基本法が改正され、国家を重視した教育はちょっとずつ復活し始めています。もともと、教育基本法の内容は憲法に盛り込もうという話もあったぐらいだったので、この改正には相当強い批判があったようです。

こうした共同体主義や国家主義、伝統的な考え方を完全に否定する訳ではないですが、少なくとも教育においては「個人の自由」の方が大切だとは思っています。憲法に書いてありますし、日本はそういう国なので。



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