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竜と爬虫類の夢

1月3日。初詣は三が日のギリギリを攻める。
朝6時の境内に人はまばらで、石畳を掃除機で掃く事務服を着た男性と、甲斐甲斐しく動き回る巫女さんくらいしかいない。

普段は何も言わないくせに、年の初めだけここぞとばかりに都合よく神に頼るのは気が引ける。

それでも、全く挨拶しないよりかは年に1回くらいは顔を出しておいた方がまだ不義理が薄まる気がして柏手を叩いてお辞儀をしておく。


神に祈ったり、絵馬に願いを書いたうち、実現したものは一つもない。少なくとも記憶にはない。
だから基本的にはお賽銭を投げ入れてからは頭を空にして何も思わないことにしている。

でも次は絶対に叶わない、もしくは叶わなくてもいい願いを願っておくのもおもしろいかもしれない。

そう思っていた最中、予定が空いて暇になったから実際に試してみることにした。出先から少し足を伸ばして文京区にある護国寺へと向かう。


お賽銭を入れて手を合わせ、心を整える。






「私の将来の夢はエリマキトカゲになることです」





あらゐけいいち「日常」5巻より


好きすぎる漫画の影響を受けた結果、不覚ながらそんなことを思ってしまった。

馬鹿なのかと思う。

いや、実際、馬鹿だ。叶わない願いを浮かべるにしろ、もう少しまともなのはきっとあっただろうに。いつもみたいに、何も考えず手を合わせてた方が幾分かマシだったろうに。


こんなことを祈られる護国寺も可哀想だと思う。開山343年の歴史の中でエリマキトカゲになりたいと願い出た参拝者がいただろうか。いいや、多分いない。これを機に護国寺の御本尊には世の中にはいろんな人間がいるのだなあということを知ってほしいと思う。


馬鹿馬鹿しい願いを天に送り出して一礼した後、賽銭箱の横におみくじの箱が置いてあったので引いてみる。



願望 得られない願いもあるもの


神様はよくご覧になられていることを思い知った。護国寺は、本当に偉大なお寺です。



御朱印帳を持ってきていたので、住職様に記帳してもらうことにした。

「10-15分くらいお待ちいただくかと思います」と言われたので、本堂の中に並べられているパイプ椅子に、御朱印と一緒に買ったお守りを握りしめたまま座る。


ぼーっと座って待っている間に、何の気なしに見上げた天井に龍の絵が書かれているのを見つけた。一体の大きな龍だった。色は薄れ、ところどころ輪郭はおぼろであるものの、見事な迫力だった。

そういえばエリマキトカゲも、ちょっと龍っぽいところあるよな。少なくとも人間よりか似ている。
エリマキトカゲに自意識があったとして、そいつらは龍になりたいと願うのだろうか。
龍とは、爬虫類からしたら憧れの生物になり得るのだろうか。なるだろうな。多分。

そういえば建仁寺の天井に描かれてる2体の龍の絵は本当に迫力があって素晴らしい。久しぶりにもう一回観たい。もはや故郷とも呼んでいい関西に戻る理由を探していたところだった。そうだ、京都行こう。建仁寺に行きたい。
そう思い始めると止まらなくなった。


御朱印が書き終わった知らせを受けたけおかげで我に返る。
脈絡なく移ろう思考から抜け出してやっと、護国寺まで来て一体何を考えてるんだと呆れてきた。どこまでいっても不義理だなと苦笑する。

それでも、護国寺に来ていなければ天井の立派な龍の絵も観れなかったし建仁寺を思い返すこともなかった。どこか土日が空いたタイミングで愛すべき関西に戻って建仁寺の天井の龍を観に行こうと、思うことすらしなかっただろう。

建仁寺に行くという予定は、自分にとっては明日以降の仕事に追われる日々を生き抜く原動力になり得る。
そういう点では、きっかけを与えてくれた護国寺に大いなる感謝を捧げたい。


願わくばエリマキトカゲと建仁寺に想いを馳せるこんな私にもご利益を。南無阿弥陀仏。近いうちに写経でもして、せめてもの誠意を仏にお見せしたいと思う。



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