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オールド上海🎷租界時代の面影を探す旅2010① 【夢の四馬路(スマロ)】

こんにちは。唐突ですが今回は趣を変えて12年前の上海の史跡?歩きの記事を投稿したいと思います。私は租界時代の上海の面影を残す街並を散策するというテーマで、2010年夏に1週間ほど上海に滞在しました。私は以前から上海の街が好きで何度か訪れていましたが、この時は観光地や流行スポットではなく、昔の上海の遺構を探したくて、一人で気になる通りを歩き回りました。ということで、今回は若かりし12年前の一人旅の思い出に浸りながら執筆したいと思います!
注)当時から開発ラッシュで工事があちこちあってたので、今は街の様子もかなり変わってると思われます。この頃あった古い風情のある建物、取り壊されてなければいいな。。

さて、上海の街歩きの参考書として、旅行前に読み倒した本がこれです✨

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やはり頼りになる「地球の歩き方」と、今では高値で取引されている、レトロシュールな装丁が可愛い「大上海 時空旅行ガイド」(以下、大上海本)です。

今回は夢のスマロ編と称して、観光地外灘から西に入った通り『福州路』(昔の四馬路(スマロ))を中心に、大上海本の引用と、自分で撮った写真を交えて当時の様子をレポートします。その前に例によって外灘(バンド)について軽く説明します。1842年にアヘン戦争に負けた清朝政府は、上海を開港しましたが、その後イギリスとアメリカが共同租界として発展させたエリアです。外灘の建築群の多くは、1920年代から30年代にかけて建てられたもので、古典的で重厚、デコラティブな装飾が特徴のビル群です。上海きっての観光名所で、黄浦川からビル群の夜景を眺めるナイトクルーズは有名ですよね。(見出し画像がそれです。)と、ここまで説明しておきながら、今回はメジャーな中山東一路ではなく、そこから西に入った福州路からスタートし、蘇州河沿いの道をぐるっと回ってピースホテルに戻り、ガーデンブリッジ(外白渡橋)でフィニッシュという、マニアックなコースとなります。

散策ルート紹介

なにぶん12年前の記憶なので、細かいルートは間違ってるかもしれません🙇‍♀️

それでは、大上海本から引用させて頂き、福州路(スマロ)についての説明からスタートです❣️

福州路(旧称スマロ)

福州路は、バンドの中央にそびえ建つ壮麗な旧上海市政府の建物の南脇から入っていく目立たない通りだ。共同租界の中心地、南京路から南に数えて4本目の通りだったことから、かつては四馬路(スマロ)とも呼ばれ、1864年の開通以来1世紀半にわたり、旧上海の文化「海派文化」の縮図として南京路に勝るとも劣らない意味をもっていた

大上海本 P.26

戦中や戦後間もない頃の日本人には、旧称の「四馬路」が広く知れ渡っていた。当時ヒットした歌謡曲に、"夢のスマロかホンキュの街か"(「夜霧のブルース」1947年)、"夢のスマロの霜降る中で"(「上海帰りのリル」1951年)と繰り返し登場してきていたからである。

大上海本 P.31

日本人にもゆかりの深い、郷愁を誘う場所のようで、ワクワクしますよね。では早速福州路を西へ進んでみましょう!

通り沿いに設置されている『福州路』の看板。

なかでも、江西中路と交差するロータリーを取り囲んでそびえる建築群の創り出す光景は、高層ビルが林立する現在でも、依然なかなかの壮観である。双子の兄弟のように福州路をはさんで建つメトロポール・ホテルとハミルトン・ハウスは、いずれも1930年代初頭に竣工した上海アール・デコ建築の代表だった。少し遅れて南西の角には、お揃いにコーナーを扇形にえぐった17階建てのビル、建設大厦が建てられた。日米開戦時の米国総領事館である。

大上海本 p.26

そのロータリーのビル群がこれです✨

メトロポールホテル(新城飯店)(左)、とハミルトンハウス(右)↓

ハミルトンハウス(左)と旧米国総領事館(右)↓確かに昔のアメリカっぽいビルですよね🇺🇸

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歴史ある建物の中も見たい!ということで、観光客でも覗きやすそうなメトロポールホテルのロビーをちょっと見学。

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意外とこじんまりして可愛いロビー。
エントランスにしては天井低め。

余談ですが私はグルメではないし一人だったので、ランチの場所は事前に探してなくて、この辺のやはり古くてレトロなビルの一つに入っていたカフェにドキドキしながら入ってみました。で、なんとかありついたご飯の写真↓

アイスコーヒーとピラフのセット

因みに私はコーヒーにミルクを入れるのは好きじゃないので、店員さんにカタコトの中国語で「ミルクは入れないで下さい」って頼んで、店員さんもわかってくれた風だったんですが、出てきたコーヒーにはしっかりミルクが入ってました笑 もちろん抗議して取り替えてもらう交渉をするような高度な中国語能力は私にはありません笑

余談でした。散策進めます。このロータリーの先の江南中路との交差点から湖北路の交差点までは、昔は書店や文房具、印刷関係の業種が集まった出版文化街だったそうです。

福州路が山東路と交差する界隈は中国きっての出版文化の街に成長していき、福州路と南京路の間の山東中路(旧望平街)を中心とする一帯には、100社あまりもの新聞社がより集まっていた。旧中国の新聞界大手だった「申報館」の社屋は、いまも山東中路と漢口路の角に鎮座して往時を偲ばせている。世界書局、大東書局、開明書店など、旧上海文化華やかなりし頃の名だたる出版社のほとんども、この通りに社屋を構えていた。福州路の「文化街」たる所以だ。その名残を留めるのが、大型書店群である。

大上海本 P.28

「申報館」の社屋、見たかったんですが、見つけきれませんでした〜💦もしかしたらすでに取り壊されていたのかもしれません。2010年時点でも上海書城と上海外文書店という大きな書店がありました。昔の出版文化街の名残りが感じられます。昔はこの辺はインテリ感漂う通りにだったんでしょうね。タバコふかしながら遅くまで働いている記者の方とかで深夜まで賑わっていたんでしょうね🗞妄想膨らみます。

湖北路の交差点を過ぎると、にわかにイルミネーションの輝きと雑踏のざわめきが加わる。福州路歩きの最後を飾るのは、美食とエンターテイメントの饗宴だ。上海料理の老舗「老正興」、上海蟹の名店「王宝和」、文人たちの愛した揚州料理の「老半齋」など、上海美食界の古株たちが、ここには勢揃いしている。

大上海本 P.29

写真左手が『王宝和』↓
なんか風格ありますね、建物も古そう。

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だが、スマロをスマホたらしめていたものは、美食と芝居小屋だけではなかった。(中略)快楽と悪に彩られた旧上海屈指の遊蕩の巷、「紅粉街」としての顔を見逃しては、福州路を語った事にはならない。逸夫舞台から福州路をはさんだ向かいには、いま「上海で一番ホットなスポット」と言われる大型ショッピングプラザ「来福士広場」(ラッフルズ・スクエア)が数年前に堂々オープンしたが、そこにはかつて「新会楽里」という旧上海最大級の娼館街があった。1951年に人民政府により閉鎖されるまで、この路地内の建物全28棟のうち、1件の薬屋を除く27棟がすべて、"書寓"(シューユイ)と呼ばれる高級妓院で占められ、戸口ごとに娼妓の源氏名を記したランタンが灯されていたという。

大上海本 p.29

そのラッフルズ広場がこれです(写真左手前)↓
奥の建物、古くて昔の娼館っぽいなと思ったんですが、大上海本にはこの建物は『旧大中華飯店』と書いてあったので、昔はホテルだった建物のようです。(今は撮影公司ってあるから、映像関係の会社が入ってるみたい?)ここが福州路の終わりになるのですが、現代の福州路をずっと歩いてきて、遊郭街の雰囲気はあまり感じられませんでした。

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写真奥のレトロな建物が旧大中華飯店

さて、これからこの交差点を北に向かいます。西蔵中路を蘇州河に突き当たるまで北に進みます。
因みに西蔵中路沿いの写真は撮ってないのですが、この通りはお洒落なショッピングビルが建ち並ぶ近代的な通りでした。(2010年当時)

蘇州河沿い

西蔵中路が蘇州河に突き当たる所には、『西蔵路橋』が架かっていて、その橋の対岸のたもとには、第二次上海事変(1937)の舞台の一つ、『四行倉庫』がたたずんでいます。↓

西蔵路(シーザンルー)の橋のたもとには「四行倉庫」が見える。ここは第二次上海事変末期、日本軍の攻勢に後退をつづけた中国軍部隊が最後に立てこもった場所だ。片側は戦闘地域となった華界、裏側は中立地帯の共同租界という地の利を生かし、公称800人の部隊が最後の抵抗を続けた。増改築が繰り返されていて、当時の面影はもはや窺いがたいが、市内に残る数少ない戦跡のひとつだ。橋の上をあわただしげに通り過ぎる人々が、かたわらの古ぼけたこの低いビルに思いをはせる様子はない。

大上海本 P.107

因みにこの四行倉庫、大上海本によると現在ではデザイン会社やアトリエの入居するアート•センターとなっているそうですよ。このビルだけでなく、蘇州河沿いの北側対岸エリアは使われなくなった倉庫をアトリエにしたアートスポットとなっているようです。(2010年当時)

さて、この蘇州河沿いの道は綺麗な遊歩道が整備されていて、レトロな石橋?もたくさんかかっており、戦前の上海を舞台にした李香蘭主演の映画にも登場するような趣のある通りなのですが、残念ながら写真は一枚も撮っておらず😭何故なら、当時は8月で、昼間に延々街歩きをしていたせいで、私若干、熱中症ぎみでそれどろこではなかったからです笑(今は笑えるけど当時は結構やばかったかも)これはやばいんじゃないかと感じて、蘇州河沿いの道から右折し、繁華街の北京東路か南京東路に入って、喫茶店に入って冷たいレモネードを飲みながらソファーにもたれかかって休んでたら回復したので、本当によかったです😅

ピースホテルとガーデンブリッジ

さて、喫茶店から出たらいい感じで暗くなって来ました。夜に南京東路にある歴史あるクラシックホテル『和平飯店(ピースホテル)』のバーラウンジのジャス演奏鑑賞を予約していたので、そちらに向かいます。(熱中症でぶったおれている場合ではありません!)

1929年建築 和平飯店 エントランス
無駄に?ゴージャスすぎるロビー(ブレブレですが)
上海のベテランジャズメン「老年爵士楽団」の演奏

さて、レトロでお洒落なバーでマンゴージュース(私は下戸)とジャズの演奏を楽しんだ後は、壮大なビル群が建ち並ぶ上海きっての観光スポット外灘エリアの「中山東一路」に出て北に進み、蘇州河と黄浦江の合流地点にかかる「外白渡橋(ガーデンブリッジ)」でフィニッシュです。

ピースホテルのある南京東路から黄浦江沿いの中山東一路に出たところ。各国列強の威信をかけて建造された壮大なビル群が建ち並ぶ。観光客もいっぱい。

そしてこちらが、蘇州河と黄浦江との合流地点付近に架かる外白渡橋(ガーデンブリッジ)です↓
私はここからの外灘の眺めが1番好きです。

蘇州河に架かるライトアップされた外白渡橋。対岸にはクラシカルホテルの上海大厦(左)と浦江飯店(右)

このガーデンブリッジは1856年にイギリス人によってかけられた鉄橋で、現在の橋は1907年に完成したものだそうです。写真では暗くて分かりにくいですが、橋の両岸の門構えは当時のままの面影が残っています。因みにこの橋を渡った先の蘇州河北側が旧日本租界があったエリアなんですよ!
戦前の時代設定の映画やドラマに出てくる上海帰りのモダンガールに憧れていた私です。もちろん日本租界エリアもガシガシ歩いて来たので、また記事でご紹介できればと思っています。

おわりに

租界時代の面影探しの上海旅行記の続きは、私のノートのメインテーマである郷土熊本の史跡巡りと九州南北朝の史跡巡りの合間に、気分を変えたい時に書いて挿入しようかなと思っています。なので、次は半年先か一年先か分かりませんけれども、内容としては、☆虹口のユダヤ人街「リトルウィーン」☆日本人街の内山書店と魯迅☆フランス租界周辺 などをテーマに記事をかけたらいいなと思っています。(予定は未定)

ガーデンブリッジから黄浦江対岸の浦東エリアを望む

最後までお読み頂き、ありがとうございました😊

【参考文献】
•広岡今日子•榎本雄二編著『時空旅行ガイド 大上海』情報センター出版局 2006
•地球の歩き方 上海 杭州 蘇州 水郷古鎮 2010-2011年版





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