LonelinessとSolitude


今noteを書いている上で意味のわからないことをいいます。
私はこの彼の孤独をまだ自分なりに、咀嚼どころか口にいれてもないです(?)形容の仕方もわかっていない。
私はその上でこの感情の表し方は私の言葉では無理だと。違う形でのせることに意味があるのかもしれないけれど、今の気持ちの掃き溜め程度に見れる人だけみてください。
質問形式で終わることが多いですが、、



彼はよく英単語一つで私達を試しにくる。

今回は彼等の1つの区切りであるAttitudeと考えてみる

Attitudeは姿勢を意味するがこの単語は一人一人の姿勢。

ミセスとしての姿勢ではなく、一人の人間としての姿勢。
そのAttitudeを彷彿させた。

何故なんだろう、、

ここで本題に移る。

「Solitude」

これはLonelinessとは真逆の言葉だ。

望む孤独。
孤独を受け入れている。

Lonelinessは違う。

今回のLonelinessはエロスとの融合だと彼も語っていたが、皆がよく考えるように単純な愛の共有だとしよう。

夜の営みは決して1人ではない。
隣に人がいて、色々な愛の共有をするだろう。

そこで孤独、望まない孤独を感じる。

もう1つnoteを書いているからそっちで主に触れたい(書ける気がしない)が、キリスト教の3つの愛が関係しているのだろうか。

その中の1つであるエロス。

彼は心と体を繋ぎ止める行為を「孤独」と言った。

なぜこれを孤独と謳ったのか。
なぜこの表現で孤独を謳わなければならなかったのか。

私はAttitude、Loneliness、Solitudeに浸りながら、この食べ方にルールもマナーも正解もない異物を食べなくてはならない。


いっそのことフランス料理や和食だったら楽だったのに。



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